告白~ハロルドの場合
それから、甘い甘い日々が訪れたかというと、そう現実は甘くない。
この年の秋は、若者達に物思いにふける暇さえ与えず、瞬く間に過ぎていった。
当然事件の事後処理や状況確認などでは何度か顔を合わせたが、そこで個人的な話などするわけもなく、終われば慌ただしくまた仕事に戻らねばならなかった。
エレノアは予定通り開始した治癒魔法の講義に加えて、アイリーンの立太子のお披露目などに忙しく、ハロルドもまた王宮の新たな警備体制や式典の警備に追われていたのだ。
「もう駄目です・・・ガーラント先生!」
「まあ、困ったわ。貴方も田舎に帰さなければいけないのかしら」
「嘘です先生、やりますやれます、待って今やるから!!」
「本当?よかったわ」
講座開講から半月もすれば、エレノアのスパルタぶりも板についてきた。
厳しい日程で人材を見出して仕込まねばならないため、『心を鬼にするように』とホールデンから言われていたのだが、戸惑ったのはほんの数日だった。時間がない、やることは山積み、自分の身体も一つしかないという状況で、エレノアとしてはできるだけ端的な言葉を使うようにしただけだったが、それを聞くと受講者の方が必死に食らいついてくるのだ。
「帰ってしまうの?」
と聞くと、大抵
「帰りません!」
と返ってくる。
素直な人たちで助かった、と思うエレノアは、彼等が年下の少女の発するばっさり切り捨てるような言葉に戦々恐々としていたことを知らない。彼女は正直に眉を下げ困った顔をしただけで、声を荒げたり罰則を与えたりしたわけではないのだが。
100人という人数を相手に講義と特訓を繰り返し、合間に王宮へ駆け戻り、たとえ目の下に隈をつくっていても、ぴんと背筋を伸ばして話す。ついでに言えば、ハーディやホールデンといった他の講師陣が、彼女がもっと幼いころにこの特訓を耐えぬいたことを暴露した。そんなエレノアに、最初は若い娘だと侮っていた者も考えを変えたようだった。それは敬意であったり、同情であったり、共闘の精神であったりと様々だったろうが、本人はそうした周りの感情にも気づかぬほど余裕がなかった。
「こちらはもういいから、少し休んで、彼に会いにいってきなさいな」
アイリーンはようやく想いの通じたエレノアを気にしてくれたが、これは難しかった。エレノアは事件以降正式に身辺警護の騎士をつけられている身で、また治癒魔法の校舎でも、あれ以来ひどく心配症になったハーディが、幾重にも結界を張り巡らせて彼女の動向を気にしている。ただでさえ多忙と慣れない指導で気力・体力を奪われ、毎日が荒れ地を疾走する馬車を御すようなのに、そこから監視も何も振り切って隣を走る馬車に飛び移るかのごとき芸当はエレノアにはできなかった。
こうして、ろくに言葉を交わすことすらままならぬまま、一月以上がすぎ、季節は冬を迎えた。
冬、一番長い夜に行われる冬中祭。
この日には、一年間を振り返り、過去の罪を見つめる。他の二つの祭りとは違い、静かに家族と過ごすことが多い。懺悔された罪は天から降る白い雪に清められ、罪を告白した人間は新年の訪れを告げる鐘の音と共に穢れのない身となってまた新たな一年を迎える。
この前後は多くの店も学校も休みになり、王都の人々も国の各地に戻っていく。治癒魔法の講義もさすがに休みになった。王宮の使用人は交代で休むのだが、ここでアイリーンがまた例のごとく『命令』を下した。
「いいこと?私はこの冬、ディランとのんびり過ごす予定だから、みんな休みなさい」
さすがにそれはできないとジゼルらが窘め、最終的に最低限の人数は残すことをアイリーンも認めた。
けれど、これがわがままな命令に見せた王女の気遣いであることが侍女達には明白だったので、ジゼルがエレノアとカーラを密かに呼んでこう言ったのだ。
「アイリーン様は、あなたたちが休暇くらい恋人と過ごせるようになさりたいけれど、それでは角が立つから『みんな休みなさい』とおっしゃったのよ。だから、貴方達はとにかく最初のご命令に従いなさい」
そうして、自分ともう1人夫持ちの人間が残って、あとから夫婦で揃えて休みをもらうようさっさと手配してしまった。
そうした主や同僚の配慮のおかげで、エレノアはハロルドと共にガーラント領へ戻ることになった。
「イングラム家の方はよかったの?」
エレノアはまだ気にしていたが、ハロルドは機嫌良く頷いた。
「義父上は、『エレノアと帰る』と言ったらそれだけで大喜びだから」
エレノアの祖父でもあるイングラム伯爵は、義息子のハロルドがエレノアと思いを通じ合ったことを大層喜び、この帰省で婚約を正式に結んでくることを期待しているのだ。
ちなみにイングラム家からはガーラント家へ当主同士の話として、すでに婚姻の申込が済んでいる。
この一月の出来事を報告しあっているうちに馬車は転移場所につく。
今回は純粋に私的な帰省だが、ハロルドはうまい具合に転移の許可をとっていた。聞けば、例の事件の際王子の署名入りの許可書をもってしても転移施設を使えなかったため、その後正常な運営がなされているかを確認する名目なのだという。
こうして冬中祭の当日、1日がかりで領地に着いた二人は、家族と共に夕食を囲むことができた。
そして深夜、ハロルドはエレノアを庭へ連れ出した。
真冬のこと、当然そこには花はおろか緑の葉すらない。王都より南に位置するとはいえ、ガーラント領もこの数日は雪に染まるのだ。
「ハロルド、どこへいくの?」
繋いだ指先を意識しながら尋ねたエレノアに、彼はようやく答えた。
「懺悔をしようと思って」
今日は、過去の罪を懺悔して身を清める日だ。懺悔は家族など近しい相手か、伝えたい相手に告げるのがよいとされる。そのためエレノアはなるほどと納得した。
「実は、私もハロルドに言わなくてはならないことがあるの」
ちょうどよかった、と口を開こうとしたエレノアをハロルドは慌てたように制した。
「待った!俺が先」
今度こそそうさせて、と頼まれた意味はよく分からなかったものの、彼の気迫にエレノアは頷いた。
すると、ハロルドは立ち止まってエレノアの前に立った。
彼は、一つ息を吐いて呼吸を整えた。白い息はすぐに闇に紛れる。
改まった様子で口を開く彼を、エレノアはじっと待った。
「あのさ、エレノアは覚えていないかもしれないけれど、ホールデン領の夜会で・・・酔ったでしょう」
「ええ・・・私、何かしてしまった?」
記憶にないことを蒸し返されると、どんな失態を演じただろうかと不安になるものだ。
眉を八の字に下げたエレノアにハロルドは首を振った。
「いや、エレノアはしてない。したのは、俺」
エレノアは懸命に記憶をたどった。あの日、ほんの数杯のお酒を飲んだだけで身体の自由がきかなくなった。後からジリアンが杯に何か入れていたのだと知ったが、そのあとの記憶はやはり思い出せない。
「あいつに酔わされたエレノアを見て、かっとなったのと我慢できなくなったのとで、無理やり口付けたんだ」
「うそ」
エレノアは羞恥に顔を赤らめた。
そんな彼女の反応をどうとったのか、ハロルドは苦しげに眉を寄せながら謝る。
「ごめん。酔っているのも、エレノアが分かっていないのも知っていたのに、自制できなくて。下手をしたら誰かにエレノアをかっさらわれていたかもしれないと思ったら、想像だけで嫉妬して。エレノアに男として意識されていないような気がして。ああ、これも全部言い訳だ。とにかく、ごめん」
ハロルドの言葉を聞けば聞くほど、エレノアの目は丸くなる。
彼が自分のことで嫉妬しただとか、意識されたいだとかという言葉が驚きだった。だって、それでは、ハロルドはそれほど自分のことが好きだったというようではないか。そう気付いて、エレノアは恥ずかしさを耐えきれず、俯いてしまった。
「エレノア、ごめん。やっぱり嫌だったよね。ごめん、ええと、初めてだったとしたら、うれしいけど、ああでも、もっとごめん」
うろたえて支離滅裂になるハロルドをちらりと目だけで見上げれば、目があった彼は、最後に一言ごめんと呟いて黙ってしまった。
ハロルドときたら、とエレノアは思う。普段あれだけ冷静で優秀で涼しい顔をしているくせに、こういうときは本当に拙く話すのだ。以前なら文才がないのかしらと流していたけれど、エレノアも今は、それが自分に対する好意や緊張のせいなのだと分かった。
だから、エレノアは己の恥ずかしさを堪え、消え入りそうな声で言った。
「・・・初めてだったわ」
「ごめん・・・」
「でも、ハロルドだったなら、謝らなくていいの。だって、うれしいもの。覚えていないのは残念だけれど・・・!ハロルド?」
急に力いっぱい抱きしめられ、エレノアは動揺した。
「ごめん、可愛くて我慢できない」
耳元で切なげに白状され、エレノアはこれ以上ないほど真っ赤になった。
「・・・キスしたい」
そのまま頬に手をそえられ、ハロルドの顔が眼前に迫る。細められた美しい青い瞳に魅了され、うっとりと受け入れかけたエレノアだったが、ふいに思い出してまったをかけた。
「あの!私も謝らないといけないことがあるの」
ハロルドは明らかにがっかりした顔をしたが、エレノアは今夜言ってしまわなくてはと続けた。
「この前、精霊に魔力を吸われたとき、ハロルドに治癒魔法を使ったでしょう?あのとき、私、手が使えなかったものだから、その、口でしたの・・・ごめんなさい!」
ハロルドは、虚を突かれたような顔をしたが、すぐにエレノアを抱きしめ直した。
「あの、聞いていた?」
「うん。でも、全然謝るような事じゃないよね、それ。エレノアからしてくれるなんて、うれしいに決まっているでしょう」
だから、続きを、とハロルドが迫る。
じれたようにねだられ、今度こそエレノアも大人しく身を任せたのだった。
冷たい空気にさらされ、さらに拙い口づけで息の上がったエレノアの頬は、赤い。
ハロルドは、鼓動も呼吸も伝わる距離に彼女を囲いこんだまま、すっと周囲に目をやった。
入り組んだ生け垣や一段高くなった花壇は、どれもうっすらと雪をかぶっている。
「ここ、覚えている?」
エレノアは頷く。
「ええ。私の隠れ家だったもの」
「子どものころ、エレノアはいつもここで泣いていたよね」
泣き虫だった自分を思い出してエレノアは決まり悪くなった。
「甘ったれだったものね」
「うん。でも、それだけじゃなかった。その頃から、強かったよ」
ハロルドは、青い瞳に愛しさを湛えて腕の中の恋人を見つめた。
「エレノア。貴女のまっすぐな瞳が好きです。泣いても前を向く強さが好きです。俺は貴女のその目を一番そばで見ていたい。貴女が涙を流す場所になりたい。貴方が前を向く手助けをしたい」
紫の瞳を潤ませるエレノアの手に、彼はすっとそれを置いた。
薔薇の意匠の指輪だった。冷たい夜の空気の中、指輪はハロルドの体温で温かかった。
「結婚して下さい」
苦しいほどに高鳴る心臓。しかし、それが自分だけの胸の音ではないことをエレノアは知っていた。
だから、しっかりと彼の顔を見つめて頷くことができた。
「はい。一生貴方のそばにいさせて下さい」
エレノアの答えにハロルドはにっこりと微笑んで、そして宣言通り彼女の涙をその胸で受け止めた。
次が最終話になる予定です。




