告白~エレノアの場合2
ハロルドは驚いたようだった。
彼は切れ長の目を見開いたまま固まった。
エレノアは沈黙を恐れる人のように早口に言葉を続ける。
「ハロルドには別に好きな人ができたかもしれないけれど、伝えたかったの。もしそうならちゃんと諦めるし、心配しないで」
「え、待って」
話すにつれ、徐々に悲しみが湧きあがり、エレノアは居たたまれなくなって立ち上がった。
「本当よ、ハロルドが好きになった子に意地悪なんてしないわ。ただ、伝えたかったの。だから、迷惑だったらごめんなさい」
「だからどうしてそう・・・!」
「!大丈夫?!」
ハロルドが大きな声を出してむせ出したので、エレノアは驚いた。
やがてなんとか呼吸が戻ると、ハロルドは心配して近くにいたエレノアの手をぐいと掴んだ。
「ハロルド?」
咎めるように問いかけた彼女にハロルドは言った。
「勘違いしたまま逃がすのはもうごめんだから」
勘違い、とエレノアは言葉をなぞる。
ハロルドは戸惑う彼女の手を引いた。
「きゃあ!?」
力なく立っていたエレノアは、その勢いに負けて寝台に倒れこんだ。
なかばハロルドの上にのしかかるような体勢になってしまったことに慌てて起き上がろうとするも、彼はそれを許さなかった。
ハロルドの腕がエレノアの肩を抱き寄せた。
エレノアは反射的に逃げようとしたが、間近に見たハロルドのいつも白い頬が、紅潮していることに気付き、驚いて逃げそびれた。
「・・・エレノアが、好きだよ」
彼の声は低くかすれていたが、きちんとエレノアの耳に届いた。
驚き目を丸くする彼女に、彼はもう一度言った。
「エレノアに求婚するずっと前から、エレノアだけが好きだよ」
「・・・イングラム家のためではなくて?」
声を震わすエレノアの頬に、ハロルドの手がためらいがちに触れた。エレノアも身を震わせたが、彼の指も震えていた。
「逆。イングラム家に養子に入ったのは、エレノアに求婚したいから」
「でも、あれから1年も経ったし・・・」
ハロルドは小さく笑った。吐息がエレノアの前髪を揺らす。
「1年くらいで変わる気持ちなら、10年以上もこじらせていないよ。念のため言うけれど、リリー・ホールデン嬢の噂は間違いだし」
「そう、なの?」
はっきりと頷いた彼の目を見て、エレノアはようやくほっと息を吐くことができた。
じわじわと、なにか温かいものが身体の中から湧いてきて、エレノアの身体に広がり始める。それに内側からくすぐられているようで、こそばゆいような、恥ずかしいような、それでいて幸せな気持ちだった。
意識を戻せば、目の前にはハロルドの青い瞳がある。そこに映り込んだ自分の姿すら見える距離で、そろって頬を紅潮させている。
「じゃあ、好きで、いいの?」
「当たり前」
「諦めなくていいの?」
「勝手に諦めてどこか行かれたら、連れ戻して閉じこめそう」
「私、年上よ?」
「関係ない。エレノアは、年下だと嫌?」
首を横に振ったエレノアに、ハロルドはほっとしたように微笑む。
「イングラム家は伯爵家だから、もっと良い縁談もくるかもしれないわ」
「エレノア以外と結婚したいと思わないから、関係ない」
「でも、私」
エレノアはなおも言い募った。
好きだと言われ、その幸せに浸りながらも、彼女は一つひとつ確かめずにいられなかった。
美しい弟妹に引け目を感じていた少女時代から、最初の婚約に失敗した苦い経験、そして勘違いを繰り返したこの1年を通して、エレノアにはずっと、自信がなかった。その自信の無さが彼女の努力の原動力であったのも確かだが、それ以上に、肩の力を抜くことのできない不安定さの要因でもあった。
「私には、何もないわ。ハロルドのようにきれいでもないし、シンシアのように可愛らしくもないし、性格も穏やかでも明るくもないわ」
「エレノアはきれいだし、芯の強いところも理想的だよ」
ハロルドに言われても、まだ彼女は言い続けた。
「きれいというのは、アイリーン様のような金の髪やハロルドのような青い目を言うのよ。それに、私は芯が強いのではなくて、頑張らなくてはと意地を張っているだけだもの」
エレノア自身、口を動かしながらも、もはや何故自分がこんなことを言い張っているのか分かっていなかった。
これにはハロルドも、大きく息を吐いた。
彼が目を伏せてしまったので、エレノアは自分で卑下したというのに不安に駆られた。心細く彼を見つめていると、ハロルドは少し怒ったような顔をして再び目をあげた。
「・・・言っておくけれど、途中で止まらなくなっても後悔しないでよね」
訳が分からず首を傾げた彼女を逃がさぬように、ハロルドは両手で肩を掴み直す。
「エレノアは、はっきり言わないと信じてくれないから、言うけれど」
彼は深呼吸して口を開いた。
「エレノアの焦げ茶の髪、ずっと好きだった。光が当たるとつやつや光って、風が吹くとさらさらなびいて、ずっと触りたいと思っていたんだ」
長い指が、肩に垂れた髪をすくう。
「髪をあげると、首の白さがすごくよく分かって」
ハロルドの指によって髪をよけられた首筋に、彼の視線が走るのが分かった。
「この柔らかそうな頬っぺたも、好き。怒ったり、恥ずかしがったり、興奮するとすぐに真っ赤になるから、かぶりつきたくなる」
髪から移動した指がつうっと頬をなぞり、エレノアはその熱さに目眩を覚えた。
「耳も、すぐ赤くなるよね。子どもの頃、俺が何を言ってもため息をついて流していたけれど、耳だけは赤くなっていたよね」
「あ、の、もう」
エレノアは耳を撫でられて涙が滲んだ目で、懇願するようにハロルドを見た。
はあ、とハロルドが切なげにため息をついた。
「そうやって、じっと見るから。我慢できなくなりそう」
「ハロルド?」
「エレノアの紫の目が、大好きなんだ。できるなら、俺以外のものを見ないで、目も涙も俺だけに見せて欲しいくらい」
それは、と少し戸惑った彼女の両頬は、すでに彼にしっかりとつかまれていた。
「困った顔も好きだよ。こっそり拳を握って頑張っているときの顔も好きだよ。泣かせたくないけれど、泣いても自力で立ち直ってくる強さも好きだ」
エレノアは真っ赤な顔で否定した。
「それは、だって、負けたくなかっただけだもの。ハロルドやシンシアより劣っていると思ったから、せめて立派な淑女になろうと思っていただけ」
元々そんな意地でしかないのだとエレノアは言ったが、ハロルドは首を振った。
「意外と負けず嫌いなところも好きだけれど、それだけではないでしょ。地位や権力に興味がないくせに、家族や友だちのためだけで国の中枢に入り込むほど頑張れるところも、好きだよ。俺より大切なものがたくさんあるのが悔しかったけど、でも、大切なもののためにがむしゃらになれるエレノアが好きだ」
エレノアの目から、一筋涙がこぼれた。
「エレノア?」
長い間エレノアの自信にぽっかりと空いていた穴が、惜しげ無く降り注いだハロルドの言葉で埋められていく。常に意識してきた存在が、徹底的に自分を認めてくれていたという事実が、優しい雨となってエレノアの心を慰めた。母とのわだかまりがとけても、たくさんの友人に恵まれても、なお空いていたその隙間は今、満々と水をたたえた湖に姿を変え、溢れた水は涙となってエレノアの瞳を濡らした。
エレノアは、今はもうすっかり幸福感に支配されていた。じわじわと広がった温かなものは、彼女の指の先まで行き渡り、体中を赤く染め上げていた。
「・・・ずっと、ハロルドに認められたかった。きっと、もっとずっと前から、好きだったわ」
ぽろぽろと涙をこぼしつつも、エレノアの瞳はしっかりハロルドに向けられていた。
その紫色の瞳に引き寄せられるように、ハロルドは顔を近づけた。
露に濡れる紫紺の薔薇に、黒い蝶が止まろうとした_____
ぎいと音がした。
「入るわよ、エレノア。あなたまだ夕飯を食べていないでしょう?持ってきたから食べて・・・」
沈黙は一瞬だった。
盆を手に扉を開けたカーラは、中の様子を見てとると、くるりと背を向けた。
「お邪魔してごめんなさい」
そうして彼女はそのまま素速く立ち去ろうとした。
しかし、何を思ったか動転したエレノアはこの精神的な危機に際して、こう叫んだ。
「亀!」
彼女が調整のため魔法具を外していたのでハロルドははじかれ、とっさに背を向けていたはずのカーラはその騒ぎに振り向き、さらには近くに居合わせたらしいディランまでが駆け付けた。
「・・・なんというか、本当に、ごめんなさいね?」
カーラは再度謝ったが、寝台傍に出現した小型の亀とそのそばで額を抑えるハロルドの姿を見比べたディランは、何事か一つ頷くと、言った。
「やあ、ハロルド。久々で言うのもなんだけど、あまりがっつくと女性は殻にこもってしまうものだって言うぜ」
あ、殻でなく甲羅か、と付け足したディランだったが、普段ならば鋭く返ってくる反応がないことにさすがに哀れを催したようだ。
「まあ、たんこぶで済まされたと言うことは、本気の拒絶ではないしね」
エレノアは本気ならばより攻撃的な距離感で亀を発動し、ハロルドを前後不覚にすることもできる。つまりこの程度で済んでいるのは彼女が動転した挙げ句の照れ隠しをしたにすぎないということ。
「ええと、そう、ほら、あれだ。とりあえず、目覚めて早々こんなに元気だってことは、喜ばしいよな」
「・・・ディラン。なんでいるの」
「アイリーンにこき使われ中」
本人曰く、ディランの行動が仕事だったと知っても、アイリーンは、父には相談済みで自分には一言もなかったという点を怒っているのだという。もちろん当時の彼女の落ち込みようも、敵を欺くために必要だったのだが、それすら自分の演技を信用していないのかと腹を立てているのだから、仕方がない。そういったわけで、彼女の気が済むまでディランは使い走りとしてわがままを聞いているのだとか。
ハロルドは、ディランの後ろに食事の乗った台車をちらりと見て、はあとため息をついた。
そして怒りを露わにするかと思いきや、
「まあ、これでよかったと思うことにする」
と言った。ディラン達は与り知らぬことだが、ハロルドにとってエレノアへの口づけは二度と強引にしたくないもので、そのため横やりが入ったとはいえエレノア自身がこうして籠もったのならばその結果を受け入れるつもりになっていた。それに、途中で自制がきかなくなってせっかく思いが通じたというのに早々に仲違いしていたらと思えば、なおさらのことだった。
ハロルドは寝台にあぐらをかいて、傍らの亀に愛しげに触れた。
「エレノア、聞いている?次は、もう一度俺から伝えるから。そうしたら、今度こそ、覚悟して」
ようやくエレノアの恋愛が成就しました。
お話はもう数話続きますので、もうしばらくお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




