出会いは~カーラの場合2
翌日には魔法省の前にカーラの姿があった。キャンベル家の人間、たとえ7才といえどこだろうとひるむわけにはいかない。
「ホールデン様にお目にかかりたいのですが」
7才の少女には大人の都合や作法は分からなかった。ただ、思い詰めた様子の少女に、門番が優しく説明してくれた。
「お嬢さん、約束はしていますか?約束なしで職員と面会するのは難しいんですよ」
「では、明日お会いしたいとお伝えいただけないでしょうか」
門番は困った顔で、家を通して書状を書いてもらった方がいいと言った。カーラはがっかりして肩を落とした。家族に言えば、諦めろと言われるに決まっている。
「ホールデン様は、ご多忙なのですね・・・」
しょんぼりとそう呟いたときだった。
「僕に何か?」
背後から甘い声がして、振り向くとそこには蜂蜜色の髪の青年が立っていた。
髭の老人を想像していたカーラは、思ったよりも大分若いその姿に驚いた。
「ホールデン様でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですよ」
笑った口元にきらりと歯が光る。長身を少しかがめて視線を合わせてくれたその人に、カーラはうっかり涙をこぼしそうになった。
「どうしたの?」
優しい声に、溢れそうになった涙をぐっと堪え、彼女は淑女として腰を折って挨拶をした。
「わたくし・・・カーラ・キャンベルと申します。兄のクリスがいつもお世話になっております。本日は、ホールデン様にご相談したいことがございまして、参りました」
すぐに門番が、だから駄目なんですよお嬢さん、と制止の声をかける。けれどカーラは青年から目を逸らさなかった。
そのやりとりに青年は少し困ったように頬を掻いていたが、やがてわざとらしく手を打った。
「そうそう、思い出した。カーラ・キャンベル嬢ね。今日来ることになっていたっけ。待たせて悪かったねえ」
上手く演じる気すら感じさせないものの、それはカーラを通すための方便のようだった。
苦笑いの門番に軽く手を上げると、彼はカーラに向き直り、礼儀正しくこう言った。
「さあ、こちらへどうぞ。レディ」
ホールデンという青年の案内で省内に入ったカーラは、隣を歩く彼に謝った。
「申し訳ございません、約束も無しに押しかけてしまって」
歩きながらでも息が上がらなかったことで、カーラは彼が自分の歩幅に合わせてくれていることに気付いた。
ホールデンは彼女に軽く片目をつぶって見せた。
「いやあ、かわいいお嬢さんはいつでも歓迎だよ。それに、クリスから聞いて気になっていたからね」
応接室らしい小さな部屋に入るまでに、ホールデンは二回呼び止められた。彼の多忙さをかいま見た気がして、カーラはますます申し訳なく思った。
彼はカーラを長椅子に座らせると、自分も正面に腰を下ろし、イアン・ホールデンだと名乗った。
「それで、カーラちゃんは、魔法の五大要素が何も出せないと言ったっけ?」
ちゃん付けされてカーラは内心ひどく動揺した。両親にも親戚にも、そのように呼ばれたことはなかった。7才にして落ち着いた空気を醸し出すカーラのことをそんなふうに子ども扱いする人間は、年上年下問わず今まで存在しなかったのだ。
そのためこそばゆい気持ちになったものの、彼女は持ち前の落ち着きを発揮して答えた。
「はい、一週間家庭教師と特訓しましたし、その後も自力で特訓してきましたが、全く使えません」
言葉にしながらなんと情けない現実だろうとカーラは改めて思った。
ホールデンはふうん、と顎に手を当てて何やら考えた。
「クリスに聞かれて考えていたんだけど、原因として、一番考えられるのは魔力がないということかなあ。次は、魔力があるけれど少なすぎて、イメージに見合う量使えないとか」
それから彼は、イメージしているものの大きさや状態などをあれこれとカーラに質問した。
そして、魔法を使ってみるように言った。
「手始めに風にしようか」
室内でも安全なものをと考えたのだろう。カーラは緊張を逃がすため一つ大きく息を吐いた。
「始めます・・・風」
小部屋の中の空気は、そよとも動かなかった。分かってはいるものの、カーラは改めてがっかりした。
しかしホールデンはへえ、と声を上げた。
「魔力の流れは感じるなあ。ちゃんとあるよ。君は今魔力を出している」
「それじゃあ・・・」
訓練次第では、使えるということではないか。自分の行動は無駄ではなかったのだ。
カーラは期待を込めて目の前の青年を見た。
イアン・ホールデンは、不思議そうな顔で顎に手を当てていた。
「それだけ十分な魔力があれば、何も出ないはずはないんだけどなあ」
そこで他の火や木といった要素も試してみることになった。やはり屋敷で試したときと同じく、火も木も土も生じることはなかった。
そして残るは水だけとなった。ホールデンは壁際から花瓶を持ってきた。
何も起きないことを知っているカーラは、念のためにと机に用意されたその器を見て、心のなかで謝った。花瓶の底には、ほんの少しだけ水が残っていた。
「始めます・・・みず」
水を頭に思い浮かべる。あまり大きくない方が良いなら、そう、この前のぞき込んだミルク壺くらいの・・・そう思いながら、器の上で念じた。
ところが始めて数秒も経たないうちに、ホールデンが
「止めて」
と制止をかけた。
見切りをつけられたのだと、カーラは思った。目眩のする思いでホールデンを見上げた。
するとホールデンは、先程までと打って変わって一変の笑みもない真面目な顔をしていた。
カーラの懸念は確信に変わった。
「・・・お時間をとらせて、申し訳ございませんでした。やはり、駄目なのですね」
無理矢理気力を振り絞って言えば、表情もそれについてくる。
しかしそんな彼女に、ホールデンは真顔のまま首を振った。
「いや」
「え?」
「見てごらん」
そうして彼が指さしたのは、先程机に置いた花瓶だった。
カーラの手は乾いている。そして、花瓶の中の水分も増えてはいなかった。ところが、そのわずかな水はなぜか別物になっていた。
「白い、ですね」
花瓶には、さっき見たときとは違う乳白色の液体が入っていた。それは明らかに水ではなかった。
意味が分からず、カーラは困惑した。
「うん。今、何をイメージしていたか教えてくれる?」
ホールデンは、花瓶の中に指を突っ込んでいる。
カーラは意識をたどって答えた。
「あまり大きくない水をイメージしようと思って、ミルク壺を思い浮かべていました」
なるほどね、と指先についた液体を舐め、ホールデンは顎を撫でた。
「カーラちゃんの魔力は、特殊なようだ。何かを生じることはできないかわりに、物を変化させるのかな」
「そんなもの、魔法と言えるのでしょうか」
カーラは疑わしい思いで聞いた。
ホールデンは力強く頷いた。
「もちろんさ。カーラちゃんと同じ力は見たことがないけれど、君のように特殊な魔力の持ち主なら知っているよ」
カーラはそうですか、と静かに言った。
自分には魔力があると分かったことも、魔法が使えると分かったことも前進だ。しかし、心は全く高揚しなかった。
目の前の少女が全く嬉しそうでないのを見て取ったのか、ホールデンが首を傾げた。
「どうしたの?」
カーラは答えた。
「魔力を見ていただいて、相談に乗っていただいて、本当にありがとうございます。ただ・・・侍女になるには、役に立ちそうもない力だったので」
ホールデンは再度礼を言って頭を下げた少女をしばらく眺めて逡巡していたが、その後にこう言った。
「もし、君が本当に侍女になりたいというのなら・・・危険でもやりたいというなら、訓練次第でこれはものすごく役に立つ能力だよ」
カーラは即座に顔を上げた。
「本当ですか?」
信じられない思いだったが、ホールデンが頷いたのでそれも吹き飛んだ。
「やりたいです」
ホールデンの顔には未だためらいの色があった。しかし勢い込んだカーラに押される形で、彼はカーラの訓練を請け負うこととなった。