決戦の日~アイリーンの場合
その日アイリーンは、いつものように起き、自室で朝食をとった。
そして少しだけ茶を飲んで休憩すると、すぐに朝一番に運び込まれたたくさんの書類に目を通し始めた。
エレノアがホールデンらと会議の日だったので、茶を煎れてくれたのはジゼルだった。
アイリーンの公務は幅広い。王位継承者として、父である国王は彼女を多くの案件に関わらせている。
アイリーンは自分の主導する計画や慰問活動についての報告書を読み終えると、一際分厚い紙の束に手を伸ばした。これは貴族会議の議事録で、彼女は直接自分の携わっていない案件についても議事録に全て目を通すよう言われていた。
しばらく黙々と読み進めていたアイリーンだが、ある項までくると声を上げた。
「あら、この議事録、資料が欠けているわ」
参照するようにと発言されているのに、その参照資料がないのではお話にならない。
ジゼルはすぐに不備を謝ると、侍女を外宮に走らせた。
「全く、最近皆たるんでいるようですわね」
ジゼルが憤慨を露わにするのは当然だ。王女が目を通すものに不備があるなど、本来ありえないことである。それに、朝食の後片付けに向かった侍女が一人まだ戻ってきていないことも、きっと彼女の気にかかっているのだろう。
アイリーンはジゼルをなだめようと、微笑んだ。
「まあ、たまにはこんなこともあるでしょう。私は、待っている間に甘いものがつまめたらうれしいわ」
別の書類を先に見ても良いのだが、頭を切り換えるより少し休憩してついでにジゼルにも相伴させようと思ったのだ。
ジゼルはかしこまりました、ときちんと一礼して、茶菓子を出しに入り口近くの棚に向かう。
しかし、棚にたどり着く前に、その身体が地面に崩れ落ちた。
「ジゼル!?」
驚いて駆け寄ったアイリーンは、部屋の入り口から入ってきたたくさんの人々の姿を見て絶句した。
覆面の男達が、意識のない騎士や侍女をまるで荷物のように運び込む。
「アイリーン王女、大人しくなさって下さい。抵抗されるのは御身のためになりませんぞ」
反乱者はアイリーンに剣を突きつけた。
王宮は大騒ぎになった。内宮の左翼、王女の間のある一帯が突如襲われ、王女が消えたのだ。
この前代未聞の事態に、王は非常事態を宣言した。しかし消えたのは王女だけではなく、彼女の居室の近くにいた騎士や侍女、その上文官の一部もだったようで、状況は混迷を極めた。
「どういうことだ。内宮の騎士たちは皆倒されたというのか。王女の侍女はどうした」
「分かりません・・・」
激昂した第一王子クインランの叫びに侍従が縮こまる。
外宮の一室、王とその家族が集まっている。その中にアイリーンの姿はない。
蒼白な顔をしながらも気丈に座っている王妃、その横で報告が戻ってくるのを目を閉じて待つ国王。クインランはひたすらに王女を心配して荒れている。壁際には文官、魔法省、騎士団の幹部達がずらりと立っている。
その中、ファレルはクリスの帰りを待っていた。
城の警備は直前まで正常に機能していた。ファレルの点検でも、魔法省の言い分でも、結界を破って侵入したものは居ないし、大きな攻撃魔法が使われた痕跡もない。また、ファレルの作った侍女の魔法具も危険を知らせては来なかった。これは、彼女達が少なくとも死んでいないこと、そして危険を察する間すらなく昏倒したであろう事を意味していた。
何があったのか、それ以上のことは分からない。
そのため、今クリス達が情報収集に走り回っている。
「クリス!」
駆け込んできた彼を立ちあがって迎えると、クリスは連れていた者を前に押し出した。
「この者が、近くで状況を見ていたというので連れて参りました」
掃除女中らしき彼女は、びくびくと震えながらも、促されて口を開いた。
「何が起きたかは分からないです、でも、急に、ばたばたと倒れていったんです。騎士様が次々に・・・」
思い出したのか歯の根があわなくなった様子の彼女に、ファレルはなるべく笑って見えるよう顔を作った。
「そのとき、何か見たか?人ではなくてもいい、変わったことはなかったか?」
女中は直接話しかけてきた第二王子に驚いたようだが、懸命に口を動かした。
「怖くなって、すぐに逃げてしまったので・・・」
「逃げる前、騎士が倒れたときのことでいいんだ」
重ねて尋ねるファレルに、女中は眉根を寄せて考え込んだ。
「そういえば、風が吹きました。驚いて窓を見たらしまっていたので、変だなと・・・」
ファレルはクリスと目を合わせた。
倒れた者たちの安否は不明だった。彼等は王女と共に姿を消してしまったのだ。しかし、この状況は彼等に一つの可能性を思わせた。
ファレルは、国王の方へ振り返った。
「廊下で魔法は使われていません。父上、母上・・・落ち着いて聞いていただきたいのですが、これは精霊の仕業ではないでしょうか」
ハロルドはまだか、とファレルは内心でいらいらと叫んだ。予定では昨日のうちに戻るはずだ。一体何があったのか。クリスが真っ先に伝令を飛ばしたから、戻ればこちらに来るはずなのだ。
王は息子の意見を否定しなかったが、代わりにこう言った。
「ファレル、今はそれよりもアイリーンの行方を考えるべきではないか」
父の言葉にファレルは思わず髪をかき上げた。
「分かっています、そのためにも精霊を使役している人間を捜したいのです」
突然、途方もない話を始めたと思われているのが分かり、ファレルは苛々した。こんなことならば早く王に精霊についての話を伝えておくのだった。ハロルドが戻ってもう少し情報が集まってからなどといっていないで。
しかし言っても仕方がない。ぎり、と奥歯を噛みしめたときだった。
「失礼いたします」
入ってきた黒髪の男に、ファレルは叫んだ。
「遅い!」
ファレルが、この事態を説明しうる者としてハロルドの発言を求めたので、王の許しを得ると彼は精霊について話を始めた。
ハロルドの説明は端的で説得力があった。さらに義父であるイングラム国防長の口添えもあり、王はようやく精霊の干渉の可能性を認め、こう尋ねた。
「それで、お前達は犯人に心当たりがあるのか」
「残念ながら、ございません。しかし、精霊は基本的に『場』に依存するということですので、王宮内に現れた精霊は王都から離れて転移したことはないはずです」
王はため息をついた。王都は、広い。それでは探しようがない。
ここで、壁際で聞いていた魔法省の研究長が手を上げる。
「恐れながら申し上げます。精霊使役に関する研究は禁書であり、一般には存在を知る者もほぼいないかと思われます」
「知り得た者は絞られるとな」
書庫が省内の人間にとって出入り自由である以上、ファレルとしては異議が無いわけではなかったが、黙っておいた。彼はこの話の間にこの場の人間の魔力の揺れを確認しようと思ったのだ。鍵をもっていた人間と目録の回覧先について説明を続けている研究長には、裏がなかった。それからさりげなく部屋全体を見渡すが、精霊使役の話に大きな反応を示す者はいなかった。そのことに少し安堵しつつ、この場にいない人間について考える。
文官からは、長の代理が数名出席している。なんでも、『偶然』アイリーンへ提出されていた議事録に不備があり、謝罪のために赴いたところ巻き込まれたようだというが、果たして本当に偶然か。
それから、魔法省の国土長。こちらは普段から国中を飛び回っているから、すぐに戻れないのだという話だが。代わりに出席しているのは治癒院の会議にいたラモントで、ここでも小柄な身体をさらに縮こまらせて壁と一体化しようとしていた。
そこまで見てファレルは視線を戻した。まあ、長だけを見ても組織全体の判断が下せるわけではない。どの部門も一枚岩とは限らないのだ。
研究長の話が終わったところで、文官の一人が発言を求めた。
「それならば、詳しい情報を知っている上に精霊と関わりをもっているその若者が一番怪しいではありませんか」
人々の視線が、ハロルドに集まる。イングラムの隣に移動していた黒髪の青年は、ある程度想定していたのか、表情を変えなかった。
厄介なことになった、とファレルは内心で唸った。そういう見方をする者が出てくることは予想されたし、だからこそガーラント家は当初精霊との関わりを秘密にしようとしていたのだ。
口を開こうとしたファレルは、先に響いた低い声に制された。
「そうした誤解を受けることも覚悟で、我が息子はこの国のために重要な秘密を明かし申し上げた。その上アイリーン様を害しても息子には何の利益もないわけだが」
イングラム伯爵によって眼光鋭く睨み付けられ、文官はややひるんだようだったが、ですがと続けた。
「ご子息はファレル殿下の信頼も厚いご様子。ファレル殿下の御代とするため御兄弟がたを亡き者としようと企んでも不思議はございません」
疑う者には何でも怪しむ理由になるのだ。ファレルは自分を立てるためにアイリーンを・・・というこの暴言に青筋を立てた。
しかしハロルドは落ち着いた様子で、もう一度発言を求めた。
「精霊使役は、術者の能力を問わず、人の魔力を極限まで奪って死に至らしめることも可能です」
死という言葉に、王妃の顔が歪んだが、ハロルドはかまわずに続けた。
「つまり、この状況で殺そうと思えばできたはずなのです。それをしなかったということは、犯人の目的はアイリーン様の死ではなく、人質にとって何らかの要求をすることだと思われます」
ハロルドは自分が潔白だとは主張しなかった。疑ってかかる者にそれを伝えようとしても無駄と割り切っているのだろう。代わりに彼は、犯人の目的について語ることで相手の犯人像とのずれを指摘した。
は、と王が浅く息を吐いた。
「娘は生きている、というのだな」
「そして、要求を見れば敵の見当がつくと」
ファレルが言った言葉に、クインランがだんと拳で机を叩いた。
「それまで、手をこまねいていられるか!ともかく王都中をしらみつぶしに探すぞ」
そのとき、ずずん、と大地が震えた。




