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決戦~エレノアの場合

エレノアは夢を見ていた。

夢の中、自分はハロルドに首を振り続けている。

「だって、邪魔者になりたくないの」

「何を言っているの」

「私がそばに居て、リリーとハロルドの邪魔者になってしまうのは嫌だもの」

結ばれなくとも、せめて嫌われたくはない。

「何を、勝手に俺の人生から退場しようとしているの」

「だって、私は過去の人間だもの」

は、とハロルドは柄悪く聞き返すと吐き捨てるように言った。

それでもエレノアは、壊れた人形のように首を振り続ける。

「ちゃんとお祖父様とお祖母様は大事にするわ、それに貴方の奥さんの気に障らないように気を付けるわ」

ハロルドは眉をひそめた。

「俺の奥さんて、さっきから何の話をしているの」

「だから、貴方は自由だという話よ。リリーと幸せになって」

「何馬鹿なこと・・・」

靄の中エレノアが走り去る。

次の夢は、もっと最悪だった。白い靄から現れたハロルドは、珍しいくらい晴れやかな笑顔を浮かべていた。

「エレノア、紹介するよ」

ハロルドがにこやかに言うので何かと思えば、彼の後ろから現れたのはリリーだった。

「俺の妻だよ」

よろしくお願いします、とリリーがはにかめば、ハロルドも、仲良くしてくれるんだよね、と微笑む。

エレノアは何も言葉を返すことが出来なかった。

よろめいて一歩、二歩と下がれば、視界は瞬く間に白く閉ざされる。

後退していたエレノアの背後から、泣き声が聞こえた。

幼い焦げ茶の髪の少女が、うずくまって肩を震わせている。

「どうしたの・・・?」

遠慮がちに声をかけたエレノアだったが、顔を上げた少女に思わず息を止めた。

少女は涙に濡れた紫の瞳で、きっとエレノアを睨みあげたのだ。

それはどう見ても、幼い頃のエレノアだった。しかしどうしたことか、少女の顔は半分しか見えなかった。残りの半分があるべき場所には、黒々とした虚ろな闇があるばかりだったのだ。

「あなたのせいよ」

少女は半分の唇で言った。

「あなたが自分をごまかしたからよ。私、せっかく頑張ってきたのに。私の身体、半分消えちゃったじゃない」

「どうして・・・」

「そんなことも分からないの?無理矢理気持ちに蓋をしようとして、それも失敗して。見ないふりをしても傷は消えないのに、あなたが放っておいたからよ。放っておいて治るような大きさじゃないのに、馬鹿じゃないの?」

少女は指先をかざすようにした。

「見てよ、これ。もうすぐこっちの指も消えるわ」

魔法が使えなくなっちゃう、と、少女は悲しそうに呟いた。

「どうすればいいの?・・・どうすれば」

エレノアは混乱して口走ったが、少女の声がそれを遮った。

「それくらい、自分で考えなさいよ!」


目が覚めたとき、エレノアはぐっしょり汗を掻いていた。

起き上がって両手があることを確認し、ほっとして息を整えた。

深呼吸をしながらエレノアは、この夢は自分が選ぼうとしていた未来だと自覚した。

ハロルドに向き合うことを恐れ、指をくわえて彼が人のものになるのを見送り、挙げ句喪失の痛手と後悔に飲み込まれて抜け殻になる自分。

そんなことは、耐え難いと思った。

エレノアは自分の選択が間違えていたことを知った。

同じ失恋するにしても、このままでは駄目だ。ハロルドが戻り次第、彼に当たって砕けよう。物分かりのいいふりをして嫌われないようになどと逃げていると、今にあの夢のようになってしまう。肉を切ることを怖がるあまり刺さった棘を抜かずにいて、棘の周りからゆるゆると腐って治りが遅れていくように。

カーラが頑張った。アイリーンも頑張った。

豊饒祭の2日目の夜、眠るカーラの青白い顔を見つめながら、アイリーンはそっと彼女の額にかかった前髪をすいて言った。

「結局、カーラも私も失恋したわけね。エレノア。いいこと?ちゃんと本人に当たって砕けるのよ」

そしてカーラも言った。

「エレノアの番よ。アイリーン様の命令にちゃんと答えてね」

結果泣くことになったとしても、友人達の姿にエレノアも感じるものがあった。忙しいことを理由にするなとアイリーンにも釘を刺されている。

エレノアはハロルドが戻り次第、話をしようと決意を新たにした。


同時に、健気にも普段と変わらず仕事に励む彼女らに負けないよう、気合いを入れた。

早く目が覚めてしまったついでに手早く身支度を調え、仕事に行く。

昨夜の寝ずの番だったカトレアが、早いわねと目線だけで伝えてきた。アイリーンを起こさないためにエレノアも笑顔と唇だけで挨拶をする。

手始めに、丁寧に手入れしたアイリーンのスリッパをスリッパ立てに美しく並べた。

それから音をたてない程度の掃除をして過ごすと、そろそろいつもの仕事時間になったので、カトレアとともに王女の起床の準備をする。

身支度の手伝いがすむと、別室に準備した朝食の給仕だ。アイリーンは無駄に華美なことを好まないため、一人でとる朝食はサラダとパンとスープ、それに卵料理位の至って簡素なものだ。何種類ものジャムや飲み物の用意もない。また、細かく注文をつけることもないため、これといった頑張りどころはない。合間に、他の侍女仲間と交代で食事をとった。

そのあと会議に向かうため、内宮の終わりで迎えを待つ。

ハロルドが不在の間、エレノアは一人で行動するつもりだったのだが、ファレルの手回しでホールデン達の側から迎えが来ることになっていた。それ以外の外出などは、当分の間控えるように言われている。

エレノアはハロルドがいなくても周りの警戒体制が続いたことに驚いた。

しかしホールデンから、

「エレノアが反対派の標的にされたなら、王女や殿下の威信にかけて、なにがなんでも守らないといけないんだよ」

と言われたため、そういうものかと納得した。

外出もできず王宮の中で常に警護を受け続けるというこの生活は、かれこれ一月続いていて、さすがにエレノアも気が滅入ってきた。しかし、数回のこととはいえ忙しい中自分のために時間を割いてくれている人々には到底文句など言えない。そうしたわけで、エレノアはこの日も内宮の端で騎士と一緒に迎えを待つのだった。

内宮の廊下から中庭を見下ろし、エレノアは考えた。まるで今の自分は籠の鳥だと。貴族の令嬢はもともとみだりに外出をしたりはしないものだが、エレノアはガーラント領の庭を走り回っていた子ども時代から学校に通っていた少女時代まで、比較的自由に過ごしてきた。侍女になってからはアイリーンの用向きで一人歩きをすることもあり、ますます単独行動に親しんでいたのだ。そのため、これほど大人しい生活は人生で初めてのことだ。

ここではたと、つい数日前までこの状態に何も不満をもたなかったことにエレノアは気付いた。何が違うかは明らかだったので、そんな自分に呆れる。

ハロルドが居たから、そばにいるのがハロルドだったから。あれだけ避けようとしたりなんだかんだと馬鹿げた事を繰り返していたが、結局は彼が居ることで満たされていたのだ。

「本当に・・・」

馬鹿みたい、と呟きかけたエレノアは、廊下の端に現れた迎えの姿をみとめて口を閉じて腰を折った。


ホールデンと共に練り上げた計画は最終段階に入っていた。すでに指導計画は事細かに書き出され、時間ごとの担当者から割り当てられる施設の部屋割りまで確認済みで、後は募集終了の期日を待つのみとなっている。

「いよいよですね」

全てが準備済みで、今日は現在集まっている応募者の確認や今後の日程の再確認のためにあつまっている。応募者のリストもすでにかなりの厚みになっているのを見て、エレノアは感慨深く口にした。

「ようやくだよ」

ハーディは大げさなため息をついて言ったが、その顔に興奮の色があるのをエレノアは見逃さなかった。

「まだまだ本番はこれからだからね。来月には全国から候補生が集まってくる」

「エレノア、頼むから風邪なんて引かないでね。君か僕どちらが倒れても、計画は座礁なんだから」

真剣な目でハーディに懇願され、エレノアは笑ってしまった。


その日の予定もつつがなく終了し、そろそろお開きにしようかという頃のことだった。ホールデンは応募者の現状をまとめて上に報告せねばと、一足先に出ていった。学校の講師も兼任する彼は常に多忙なのだ。

その彼と入れ代わりに、ノックの音が響いた。

「やあ、エレノア」

現れた目立たない容貌の青年にエレノアは微笑みかけた。

「久しぶりね、ジリアン。ハーディ様にご用?」

「そうなんだ。ちょっと僕らではどうにもならないことがあって」

エレノアがハーディを呼ぶと、彼らは戸口でしばらく問答をしていた。

「まあ、やることは終わったんだけど・・・」

切れ切れに聞こえた会話とちらりと向けられたジリアンの視線で、エレノアは彼らが悩んでいる内容を悟った。

「あの、私は一人で戻れますので」

ところが、これにはハーディが頷かなかった。

「駄目だ。エレノアに一人で外宮を歩かせるわけにはいかないよ」

アイリーンやホールデンとも約束があるのだという。

ハーディは急いで戻らねばならないのに、エレノアを送らないと戻れないと言い張っているのだ。

そこでジリアンがああ、と声をあげた。

「それなら、僕が送ればいいじゃないですか。知らない中でもないんだし」

そうして少し首を傾げると、

「嫌かな?」

とエレノアに尋ねた。

送られる立場で嫌もなにもない。それにジリアンならば、気心も知れている。内宮に入るわけではないから、予定と違う人間だといって騎士に怒られることもないだろう。

「ご迷惑おかけします」

エレノアがジリアンにさっさと頭を下げてしまったので、ハーディが口を挟む前に事態は解決してしまった。

置いて行かれた形のハーディも、信頼する部下とエレノアの親しげな後ろ姿を見送って、まあいいかと呟いたのだった。


これが、魔法省に緊急事態警報が鳴り響く2時間前のことだった。

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