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騎士の行動~ホールデンの場合

イアン・ホールデンは大きなため息をついて書類を置いた。

治癒魔法の術士募集も始まり、今はこんなことをしている場合ではない。それは分かっているのに、ため息は勝手に湧いて出て、一向に止んでくれない。

思春期の若造でもあるまいに、と思うが、実際思春期の若者を笑えない。

どう目を逸らそうとしても、気付かないふりをしようとしても、自分がため息をついている原因がカーラ・キャンベルであることは明らかなのだから。

ホールデンの口から、また一つため息がこぼれて落ちた。


彼は、出会ったその日からずっと大きな後悔を抱えてきた。

カーラ・キャンベルに危険な道を進ませたことに責任を感じていたのだ。

彼は魔法省の人材発掘のため、多くの生徒に魔法を教えてきた。当然戦闘職についた者もいる。しかしそれは大抵男児で、それも既に大人の域に片足を踏み入れていた。

カーラに彼女の技の可能性を示したとき、彼女の背はまだホールデンの腰ほどしかなかった。

突然自分を訪ねてきた栗色の髪の少女は、溢れそうな涙を堪えて丁寧に腰を折った。侍女になるために魔法が使いたいのだと、悲壮な顔をして訴えた。

「・・・侍女になるには、役に立ちそうもない力だったので」

しょんぼりと口にした少女に、自分は何と言ったのだったか。

「もし、君が本当に侍女になりたいというのなら・・・危険でもやりたいというなら、訓練次第でこれはものすごく役に立つ能力だよ」

わずか7才の子供相手に、危険のなんたるかなどわかるはずもないのに。そうとわかって技を教えたのは、浅はかな同情からだったのか、それともみにくい大人の打算からだったのか。ホールデンにはどちらとも言い切れない。ともかく、ホールデンがこの時の自分に一言言ってやれるとしたら、10年後悔することになるから止めておけ、と言ってやる。

ただ、結果として、彼女はめきめき力をつけた。さすがキャンベル家の令嬢というべきか、自分が微かに抱いた期待通り、そして本人の希望通り王女の情報収集の『耳』となるほどに。

しかし彼女が優秀な教え子であればあるほど、芽生えたのは罪悪感だった。優秀な『耳』とは、則ち危険な潜入を行い見つかれば死よりも恐ろしい拷問を受けるのだから。

罪悪感は過度な心配を産み、ずっと目を離せずにいるうち、10年が過ぎた。

いつからだったろうか、カーラからの眼差しに、敬愛以外のものを感じるようになったのは。感情に敏いホールデンにとって、カーラから寄せられる好意は明白だった。彼女のまっすぐで真っ白な好意を向けられることは、本当ならば光栄に思えただろう。

しかし、現実にはそのカーラの好意が、さらにホールデンを苦しめることになった。危険に晒しておいてのうのうと好意を受け取るだなどということは、彼の罪悪感が許さなかった。

結局ホールデンは、カーラを遠ざけることで自分を誤魔化そうとした。

まずはいろいろな女性と付き合ってみた。幸いにもホールデンの容姿は昔から女性に受けがよく、付き合う相手に苦労することはなかった。情報に通じたカーラのことだ、その噂を耳にしなかったはずがない。事実何度か、

「全く、仕方のない・・・」

と年齢に似合わぬ悟り顔でため息をつかれた。それなのに、彼女は幻滅して離れていくことがなかった。

子ども扱いも、遠ざけるための作戦の一つだった。

カーラはその子ども扱いを拒否したが、諦めるどころかさらにはっきりと好意を口にした。誤魔化すことで保っていたホールデンの中の均衡はそうして崩された。

この1年、カーラはどんどん美しく娘らしくなった。長じて年頃を迎えた栗色の髪の少女は、物静かな外見の中に大きな才能と激しい感情を秘めた、大層魅力的な存在になった。もはや子どもの好意ではないと、彼女の口から告げられずとも、ホールデンの目にもカーラは子どもには見えなくなってしまった。


その彼女が任務中に大けがをしたと聞いたとき、ホールデンは目の前が真っ暗になった。

クリスと仕事の話をしているところでその報告を耳にして、それからどうやって部屋まで行ったのかもよく覚えていない。息がきれ、もどかしいほどに部屋が遠く感じたことだけが記憶に残っている。

ようやくたどり着いた部屋で、カーラは肘掛け椅子にぐったりともたれて座っていた。

エレノアが、カーラの治癒が無事に終わったことを伝えてくれたが、とても傷が治ったとは思えない顔色だった。

駆け寄るつもりで入ったくせに、足が部屋の中ほどで止まる。まるで、床に見えない線が引かれているように、そこから先へはどうしてもそれ以上近づくことができなかった。

エレノアが出て行き、部屋にはカーラとホールデンの二人だけとなった。

カーラは、ホールデンをぼうっとみつめていた。いつも以上に白い顔は、まるで人形のようだった。

顔が強ばる。表情を作ることができなかった。それどころか、任務中に怪我をしたばかりの彼女に対して、労る言葉も出てこなかった。

ホールデンが言えたのは、この言葉だけだった。

「やはり俺の罪だ」

これに対して、カーラは当然ながら何の話だと聞き返した。

口を開くのも大儀そうな彼女を見つめ続けることができず、ホールデンは床を見つめて言った。

「・・・君を危険な道に進ませた」

それは労いでも労りでもない、ただの自己満足の言葉だった。口に出して、自分が楽になるためだけの。

その言葉にさすがのカーラも怒ったようだった。

「・・・まさか、そんなふうに思っていらっしゃったのですか」

彼女は、ふらふらと立ち上がってホールデンに詰め寄ってきた。

「私は罪悪感なんて欲しくありません」

一歩一歩を踏みしめるようにして、カーラは彼に近づいた。ホールデンが踏み込めなかった線を越えて。

「私を気になさるのは、罪悪感のせいなのですか?」

ホールデンは、答えることができなかった。

「それなら、もう放っておいて下さい」

ホールデンの身体に手が届くところまで近づくと、カーラはよろめかないように足を踏ん張った。

「それでも気になるというなら、私が好きだからとおっしゃって」

ぐいと襟を引っ張られて顔を見れば、彼女の目は涙で濡れていた。

ホールデンは、どうして良いか分からず固まっていた。

振り払うことも、かといってふらつくカーラを支えることもできず。ただされるがまま、言われるがままに彼は突っ立っていた。いつものような冗談ひとつ思いつかなかった。

カーラはそんなホールデンに呆れたようだった。

「・・・それが、答えですのね」

カーラは淡々と呟いて、ホールデンを離した。

それから一歩下がって優雅に腰を折った。

「今までたくさんご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。それでは、明日からはどうかお捨て置き下さいませ」

そう言ってカーラは、ホールデンのわきをすり抜けて部屋を出た。

その後の晩餐会のことなど、まるで記憶に残っていない。

それから、カーラが数日の休養を挟んで通常の侍女業務に復帰したと聞いた。エレノアの腕ならば、彼女の傷はほぼきれいになくなったことだろう。ついでにもう、ホールデンのこともふっきっているのだろうか。

ホールデンはまた一つ、ため息をついた。

目を通し終えた書類に署名をして、部屋を出る。

「これ、殿下に届けて」

新人をつかまえて使い走りを頼む。

その最中にも、記憶の中のカーラが問う。

『私を気になさるのは、罪悪感のせいなのですか?』

そうだ、罪悪感からだった。7つの少女に対する罪悪感を、自分はずっと抱えて生きてきた。けれど、もうそれだけではなかった。しかしそれを告げる権利は、自分にはないと思った。

答えられないうちに、カーラは自分で結論を出した。

呆れられて当然だった。長年そうなるように振る舞ってきたのだ、彼女が離れていくのは自分の予定通りだったのではなかったか。それなのに、淑女らしく腰を折った彼女を見て、他人行儀なその行動に思わず手を伸ばしかけた。分かっていて傷つけてきたくせに、涙に濡れた彼女の目を拭き取ってやりたくてしかたがなかった。

数人の部下に声をかけ、そろそろ学校へ顔を出さなければと時計を見る。

それまでにどうにか気持ちを持ち上げないと、学生というのはこちらの感情に敏く、さらに容赦なく人の弱味を突くことがある。

そんなことを、考えていたときだった。

「緊急事態発生!緊急事態発生!王宮にて異変あり!総員、直ちに非常態勢をとれ」

省内に警報が鳴り響いた。

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