騎士の行動~ハロルドの場合2
早朝の庭は、甘くすがすがしい香りがした。
春から秋まで、ガーラント家の庭には様々な種類の薔薇が咲く。
香りは誘うように甘く、凛と伸ばした茎の上、慎ましやかに蕾を綻ばせた姿のなんと美しいことか。美しい花を守るための無数の刺が、また気高さの象徴のようでもある。
これほど見事な花をハロルドは他に思いつかない。
この花はまた、王宮の温室に大輪の花を咲かせる一方で、野にあってもたくましく可憐に咲き誇る花でもある。
そんなところが、ハロルドにはエレノアを思わせる。もっともその印象には、昔泣きべそをかくたびにエレノアがこの薔薇園に逃げこんでいた事も関係していないとは言えないのだが。紫の瞳は涙に濡れても朝露をたたえた薔薇のつぼみのようにきれいで、幼いエレノアがその目をハロルドに向けてくれないのが悔しくて、彼女を好きになってからもたびたび泣かせていた記憶がある。
そのころは花を贈ることもできなかったが、自分の力で花を買えるようになって以来、彼女に贈るのは決まって紫色の薔薇だ。
そんなことを考えるうち、庭が終わる。庭の裏手は、特に仕切るものもなく直接森に接している。
薔薇園を抜けて、数百歩。屋敷裏に広がる森は、見るからに深く広かった。
ガーラント領はこの森から下るようになだらかな斜面になっている。そのため一歩近づくごとに、森がせり上がっていくような、異様な威圧感を感じた。
ハロルドは森の境まで来ると、立ち止まって呼び掛けた。
「ガーラントの精霊よ、闇と名乗る者よ。我、ガーラントの末、汝を訪ねん」
一応宣言したのは、うっかり間違って食べましたと言われないためだ。反応が特になかったので、ハロルドは森に分け入った。
森の中には湿った空気が漂っていた。
この森に入るのは三度目だ。一度目はエレノアと共に、精霊を探して来た。二度目は一人で、精霊との約束をきちんと契約にまとめるために。まさかそのときは、こんなに早くまた来ることになるとは思ってもみなかった。
以前つけた道はすでに消えていたため、水の刃で下草を刈りながら進む。背の高い木々に遮られ、森は昼でも薄暗かった。奥に行くにつれ木が生い茂り手元が見えにくくなったが、同時に光を浴びられない下草の勢いも衰えた。
その薄暗い森を、魔力を込めた水で印をつけながら進む。印はすぐに乾いて見えなくなるが、呪文を唱えれば反応して光るのだ。
延々と同じような薄闇が続き、だんだんと時間も上下もよく分からなくなってくる。
精霊のいるせいなのか、動物の気配がないこの森は不気味な雰囲気だ。下生えを踏む自分の足音だけが虚ろに響く。
ハロルドは慎重に方位磁石を確認しながら、時間をかけて目的の場所へとたどり着いた。
ほんのわずかに木々が開けた先、大きな石が二本の巨木に挟まれるように鎮座している。そこが、エレノアの実の父が亡くなっていた場所なのだ。薄暗い森の中で、ハロルドは目を細めてその上を確認した。干からびた茶色いものを認めると、それを背負っていた袋にしまう。そして新しい花を取り出すと、同じ場所に供えた。
軽く頭を下げて黙祷を捧げていると、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
そして、頭の中に声が響く。
・・・お前か・・・
覚悟して待ち受けたものの、声がした瞬間、肌が泡立った。
目を開けると、すぐ近くをふわりふわりと飛び回る影のようなものが見えた。
ハロルドはその影に向かって呼びかけた。
「森の精霊よ。我、ガーラントの末裔、ガーラントの森近くに住まう者」
・・・見れば分かる。なんと、もう子をもうけたか。しかし十にはまだ早かろうに・・・
精霊は、ハロルドが再び現れた理由を契約のためと思ったらしかった。ガーラント家と精霊の契約では、一族の子どもが10才になった年、魔力を捧げる代わりにその子どもの魔力の壺を壊してもらうことになっている。そうしなければガーラントの特殊な体質を受け継いだ子どもは、魔力を外に放出することができずにやがて死んでしまうからだ。
ハロルドは、精霊の思い違いを正さねばならなかった。
「偉大なる森の精霊、此度参りたるは契約のためにあらず」
・・・わかっておる。お前の魔力はあの娘らとは違う・・・
どうやらからかわれたようだと知ったハロルドは、精霊の知能をかいま見た気がした。一応ハロルドは、精霊が太古の昔から生きる格上の存在ということで、古い魔法に使われる古語に則って話しているが、あちらはそれより現代に近い言葉を話している。そんなところからも、彼等の能力の高さが伺われる。
・・・して、何をしに来た・・・
「我が参りたるは、汝にたずねたき事あるが故」
精霊はあまり興味をひかれなかったのか、反応しなかった。そのため、ハロルドはそのまま続けた。
「ガーラントの娘、難事の渦中にて、命の危険あり。事、我らが理解及ばぬ不可思議な様相を示したり。そこで偉大なる精霊の知恵をたずねんと願うものなり。我が願い、聞き届け給え」
ここで精霊は笑ったようだった。亀の前で黒い影が身をよじる。
・・・お前は、言葉は古くさいが、口がうまいな・・・
精霊に古くさいと言われたハロルドは、少し拍子抜けした。しかし予想通り、ガーラントの血をひくエレノアの命の危機は精霊の興味をひいたようだ。そこで重ねて言う。
「それでは、言葉を改めまして今一度お願いいたします。ガーラント家の娘を襲った不逞の輩が、精霊を使役している可能性があります。どうか、お知恵をお貸し下さい」
・・・ほお。・・・精霊使役とな・・・
ぞわりと、ハロルドの背中を一際大きな悪寒が走った。
「恥ずかしながら私はその術の詳細を知りません。何かご存じないでしょうか」
・・・恥ずかしいことなど何もないぞ。精霊使役など、知らぬべきよ・・・
顔も無い黒い影が、確かに怒りに震えていることをハロルドは感じ取った。
・・・人間のごとき卑小なものが、なぜ我ら精霊を従えるなどと思い上がるのか・・・
そう前置きし、精霊は語った。
古来より、精霊は大地の様々なところに存在した。それこそ人間が生まれる前からあったのだ。
やがて人間が文明を築き、国を形作り、魔法を使うようになったころ、人間の中に、精霊の存在に気付くものが現れた。
彼等はときに精霊を神とあがめて祈りを捧げ、ときに魔と恐れて遠ざけた。精霊にとって人間の反応など問題ではないが、気が向けば神と呼ばれて力を貸してやるものもいたし、魔といわれれば面白がってそれらしく振る舞う酔狂なものもいた。しかし、そんな精霊の存在に親しむ内に、その力を支配しようと考える人間が現れたのだ。
精霊は強大な力をもつ。むしろ、力そのものといった方がふさわしいかもしれない。だからこそ精霊は魔力を吸収し、自らを大きくすることを好むのだが、他の生き物とは違う理で生きているので、食べないからといって滅するわけではない。何らかの原因で力が減りすぎれば存在を保てなくなるが、そんなことはあまりない。ごく稀に、たくさんの力が集まる場所に新たな精霊が生まれることもある。
過去にある国で、その精霊を縛る方法が編み出され、精霊を使役しようとしたことがあった。
結果は悲惨なものだった。力を無理に使わされて存在を失いかけた精霊は、最終的に魔力を集めようと暴走した。その結果、その国で魔力をもつ者は大半が死に絶えた。精霊の方は、暴走したまま国から迷い出て森に消えた。
・・・その後も長きにわたり、精霊は怒りに支配され、食欲を抑えることができなかった・・・
黒い影はため息をついたようにしぼんだ。
「つまり、精霊が使役された例は過去にもあったのですね」
どうも話が感傷的になっていることに、もしや体験談ではないのかと思いながらも、ハロルドは敢えて触れないことにした。
・・・そう・・・使役は可能。使役された精霊は膨大な魔力の代わりとされ、小間使いとされる・・・
「どうすれば、その術を解くことができるのでしょうか。それに、術者を見つける手立てなどはないのでしょうか」
・・・さあて。以前はたまたま術者を食らいつくしたら解けたようだが・・・
探す方法など、知らないということだろう。ハロルドは諦めて、他にもいくつかの質問をした。精霊は知る限りのことを話してくれたようだった。
「最後に、一つ。貴方がた精霊は、同じ精霊の危機に介入することができるのでしょうか」
もしもそれが可能ならば、使役されている精霊を探し出して解放してもらえないかと、ハロルドはわずかな期待を込めて尋ねた。
しかし、影はゆるゆると覇気も無く揺れた。
・・・我らは基本、場に依存して在る者。その場を離れて他の精霊に近づくことは、まずできぬ相談よ・・・




