騎士《ナイト》の行動~ハロルドの場合
【騎士の行動
フリアンは窓から庭を見下ろしてた。まだ夜が明けきらぬ庭には、深い靄がかかっている。
彼には、かつて愛して、結婚を考えた女性がいた。その女性は家のため泣く泣く年の離れた侯爵へ嫁いだが、最近その夫と死に別れたのだ。子に恵まれなかった彼女は、多額の財産分与を条件に侯爵家を出された。
「私には今もあなただけ」
そう言って胸にしがみついた彼女を、フリアンは抱きしめることができなかった。彼の胸には、すでにユリアがいた。
しかし、その様子に気付いた彼女は美しい顔をゆがめた。
「最近噂になっている、ユリアという子のせいなの?私よりその子がいいというの?少し若いだけでしょう?その子があなたの何を知っているの?」
「何を言っているんだ」
彼女の見たこともない憎悪の表情に、フリアンは驚き呆れた。
「そんな子のために私を受け入れないというの。それなら、私はその子を許さない」
「いい加減にしろ!」
思わず振り払ったフリアンに、彼女は一瞬表情を失った。そして、美しい顔にうっすらと微笑を浮かべると、去っていった。その、見るものをぞっとさせるまがまがしい笑顔に、フリアンは戦慄した。
彼女がユリアに会いに館を訪れたと聞き、フリアンは彼女の本気を知った。その後、屋敷には匿名で異様な品が送りつけられるようになった。死を思わせる絵柄のカード、割れた鏡、動物の死骸。どれもユリアに見つかる前に始末しているが・・・ユリアの安全のため、彼は、しばらくユリアを遠ざけることを決めた。】
ハロルドは魔法省の地下に潜ってから数日の内に、ガーラント領に向かった。
何者かによって例の研究が持ち出されていたことは、関係者をそれだけ震撼させたのだ。
ハロルドはその日の内にそれをファレルへ伝えた。そして、クリスらと話し合った結果、その何者かが精霊を悪用している可能性がいよいよ高くなったと結論づけた。
「閲覧禁止ということは、それだけ危険があると判断された証拠だ」
その、危険な精霊使役の魔法を得体の知れない誰かが手にしている。敵が分からない上にその手の内を知らないことは、こちらにとって大変不利な状況だった。
第一、はっきりしているのは貴族議会の親王派が相次いで狙われたこと、エレノアが狙われた件も関係ありそうだということだけなのだ。そこから得をする人間を敵と仮定しても、保守派や国土の魔法使いという大きなくくりにしかならない。
「この研究を手に入れられた人物は誰だろう」
ハロルドは、少しでも的を絞ろうと考え込んだ。
「鍵と呪文を知っているという意味なら、魔法省関係の幹部ですね」
「やはり国土か」
治癒魔法への反発という動機からも、そこまではいい。しかし、あまりにはまりすぎて、そこから先に一向に進めないのだ。
「公の捜査でも、ここで壁にぶつかっている。国土の連中は、特定の人間を犯人と捉えているわけでもないのに一まとめに状況だけで疑ってかかるのかと猛反発だ」
国としても、貴族の相次ぐ変死や王宮の敷地内での侍女襲撃に手をこまねいているわけではない。しかし、保守派の牙城に切り込みあぐねているのが現状だった。その上、精霊という表沙汰にできない要素がからんできた。
ハロルドはふとひっかかりを覚えた。二階でたむろしている国土の連中と、書庫にあった精霊の研究。違和感を感じるのは不真面目な居残り組の印象が強すぎるせいか。
そのとき、クリスが口を開いたのでハロルドは気持ちを切り替えた。
「もう一度目撃証言を集めてみます。・・・望みは薄いですが」
クリスはエレノア襲撃時に魔法がかけられる距離にいた人間を調べていたが、該当者が多すぎた。書庫への出入りについても、魔法省の人間ならば日常的に出入りが出来る場所なので、絞り込みは出来ないだろう。
「情報が少なすぎるな」
ファレルのため息に、ハロルドとクリスのそれも重なった。
ハロルドとしては、せめてエレノア襲撃の犯人だけでも早く明らかになって欲しいが、残念ながら唯一犯人と接触したはずの実行犯もあやふやな証言しか出来ず、どうも犯人は自分の容貌が記憶されないよう、何らかの魔法を使っていたのではないかと見られている。また、事件に使われた液体の中身は危険な割に入手が容易なもので、経路の特定ができなかった。
「ハロルド」
腕を組んで考え込んでいたファレルが、顔を上げて呼んだ。
「一度ガーラント領に戻れ」
ハロルドはなぜとは聞かなかった。それは、彼自身もその必要を感じていたからだ。
「戻って、お前の会ったという精霊に、精霊使役とはどのようなものか、どのようなことが起こりうるのか、聞いてこい」
敵を絞れず、他に手がかりもない状態では、せめて情報を少しでも集めるべきだとはハロルドも思う。
「でも、エレノアの警護を止めていくのは」
懸念を口にして眉間にしわを寄せたハロルドに、ファレルが言った。
「エレノアはアイリーンに言って内宮の仕事に専念させればいい。治癒魔法の会議の際は、ホールデンとハーディに任せれば大丈夫だ」
確かにこの二人ならば人となりも知っているし、実力にも文句のつけようがない。
それでもうなずくのを渋っているハロルドに、ファレルはこう畳みかけた。
「これは、エレノアの安全にも関係のある話だ。この前も言ったが、エレノアが襲われた現場の、あの魔力のことを思い出せ」
そこに残されていたのは、ファレルがよく知った、死んだ貴族の魔力だった。
「精霊が貴族議員の死に関わっているとするならば、その吸い出された魔力が、エレノア襲撃の現場に残っていたということだ。『関係がありそう』などという話ではない」
魔力が目に見えるというファレルには、その関係が明確に感じ取れるのだろう。彼は非常に険しい目をしていた。
「分かった」
ハロルドは今度こそ頷いた。しかしそこで彼は、思いついて眉をしかめた。
「ただガーラント領に戻るのに、一つ問題がある」
「なんだ?」
「ガーラントの父がまだ拗ねているから、許さないかもしれない」
ファレルはふっと笑った。事の大小は別としてハロルドにとってはこちらもかなり真剣な問題なのだが、やはり実父の態度は他人から見ても子供じみているのだろう。
第二王子が一筆書くと請け負ってくれたので、ハロルドはエレノアのそばをしばらく離れ、久々にガーラントの領地へ戻ることになった。
残務整理や上司への連絡などわずかな準備を済ませると、ハロルドは旅立った。
王都からガーラント領へは馬車で動けば2日以上かかるが、ファレルの名前で転移施設を使う許可がおりたため、1日でたどり着いた。
屋敷にはセリーナとウィリアムが待っていた。
二人とも、ファレルからの手紙でなにか大事があったとだけ察していたらしく、やや硬い表情をしていた。
「会いたかったわ、ハロルド」
セリーナはそういって応接室へと促してくれた。ハロルドはありがたくその言葉に甘え、二人に大まかな事の次第を説明することにした。
「そうか・・・それで」
エレノアが襲撃された話は、二人も知っていた。しかし、エレノアは治ったから心配しないようにと手紙で書いたきり顔も出さなかったのだ。話せないことをふせて上手く説明する自信がなかったのでしょうねと、セリーナは娘の不器用さをそう評した。
「勝手な判断をして、すみません。でも、エレノアの安全のためにも、国の平和のためにも、精霊のことを知らないふりをすることはできませんでした」
エレノアも同じ気持ちだったのだろう、とハロルドは思った。もっとも彼女の方は自分の安全については忘れていたかもしれないが。
セリーナとウィリアムは、顔を見合わせると、二人そろってハロルドに向き直った。
「どうして謝るの」
「それは・・・」
ガーラント家の重要な秘密を、王家に知らせてしまったからだ。
しかしセリーナは美しい青い目に力を込めてこう言った。
「ハロルドがエレノアの安全を何より考えたのだと、私たちには分かるの。それに、私もウィリアムも同じ判断をするわ。だから、謝る必要なんて何もないのよ」
ね、とまっすぐにハロルドを見つめたその瞳。それは、色こそ違えど、頑固なハロルドの心まですっと入り込んでくるエレノアの眼差しとよく似ている。
そのため、ハロルドは素直に頷いて、礼を言うことができた。