勇気の行方~カーラの場合2
駆け込んできたのは、ホールデンだった。
彼は、ちょうどクリスと相談をしているところでカーラが怪我をしたことを聞いたのだと言った。晩餐会の前に詰め込んだ仕事だったのだろう、いつになくきちっと正装をしている。
しかしホールデンの顔は先程のカーラと同じくらいひどく、整えた髪は乱れ、よほど急いできたのか額には珍しく汗が浮かんでいた。
彼のあまりにひどい形相を見たエレノアが、カーラの治癒が無事に終わったことを伝えたが、ホールデンは生返事をしただけで、顔色が戻ることはなかった。
彼は部屋の中ほどで歩みを止めると、険しい顔で立ちつくしていた。説明を終えたエレノアがそっと廊下に出たため、部屋にはカーラとホールデンの二人だけとなる。
カーラは、目の前の思い人をぼうっとみつめていた。これほど険しい顔をしたホールデンを見るのは、カーラにとっても初めてのことだった。しかし、やはりまだ血が足りないのか、普段よりも頭の働きが悪く気の利いた言葉は何一つ浮かんでこないのだ。おまけに身体もだるく、目上の相手に対して立ち上がることも出来なかった。
やがてホールデンは、ため息と共にこう吐き出した。
「やはり俺の罪だ」
「なんの、お話ですか?」
カーラはざわざわと胸が波立ち始めるのを感じていた。
ホールデンは、そんな彼女から目を逸らし、床を見つめて言った。
「・・・君を危険な道に進ませた」
その言葉に、カーラは不足していたはずの血が一気に沸騰するのを感じた。
「・・・まさか、そんなふうに思っていらっしゃったのですか」
気がつけば彼女は、のろのろと立ち上がってホールデンに詰め寄っていた。
「私は罪悪感なんて欲しくありません」
立ちあがった拍子に目の前がさあっと真っ白になり、耳鳴りがしていた。一歩が千里のように遠い。しかしその一歩一歩を踏みしめるようにして、カーラは彼に近づいた。
「私を気になさるのは、罪悪感のせいなのですか?」
ここに駆け付けてくれて、嬉しかった。見たこともない険しい顔は怖かったけれど、それだけ自分を心配してくれたのだと思ったから。けれど、嬉しかった分だけ唇が震える。
ホールデンの答えは、ない。
「それなら、もう放っておいて下さい」
ホールデンの身体に手が届くところまで近づくと、カーラはよろめかないように足を踏ん張った。
「それでも気になるというなら、私が好きだからとおっしゃって」
ぐいと襟をつかんで言えば、霞む視界の中でもはっきりと彼の顔が見える。
ホールデンは、困った顔で固まっていた。
円熟味をおびた美貌が強ばって、いつも見せている余裕もどこへやらだ。
手を振り払いもせず、かといってふらつくカーラを支えることもせず。ただされるがまま、言われるがままに彼は突っ立っていた。いつものような冗談によるごまかしやはぐらかしの言葉さえ、彼の口からは語られなかった。
蜂蜜みたいに甘い人、けれど自分には苦味ばかりを見せる人だとカーラは苦笑した。
「・・・それが、答えですのね」
カーラは淡々と呟くと、ホールデンを離した。
それから一歩下がって、可能な限り優雅に腰を折った。
「今までたくさんご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。それでは、明日からはどうかお捨て置き下さいませ」
そう言ってカーラは、ホールデンのわきをすり抜けて部屋を出た。
「カーラ・・・」
廊下にはエレノアがいた。彼女は出てきたカーラを気遣わしげに見て、そっと肩を支えた。
カーラは自分がどんな顔をしているのか、分からなかった。顔も身体も全てが木になってしまったように硬く強ばって、おまけに寒くて仕方がなかった。
「すごく、疲れたわよね。控えの部屋で、休みましょう?」
優しく囁かれた言葉に、カーラは小さく頷いた。
それから、カーラは数日の休養を挟んで通常の侍女業務に復帰した。腕の傷は跡形もほぼなくなり、引きつれるような内部の痛みもなくなったが、がらんと胸にできた空洞の方は何日たっても埋まる兆しがなかった。10年にも及ぶ片思いは、カーラの想像以上に彼女の中で大きな位置を占めており、それがごっそりとえぐり取られたあとは何物でも埋めることができないようだった。
ジゼルは万全とは言えないカーラの体調を鑑みて、彼女の業務を内宮内に絞っていた。そのため幸いなのかは分からないが、この間彼女がホールデンの姿を目にすることはなかった。
そしてホールデンからの連絡もまた、なかった。
自分の恋が終わってしまったことをカーラは悟った。
「本当は、分かっていたの」
カーラはエレノアに語った。
「もうずっと前から、ホールデン先生は私を見ると苦しそうな顔をしていたもの」
あの蜂蜜色の髪の下、軟派な態度に隠そうとしていても、カーラには分かっていた。
「私の訓練をしながら、ふっと成功して欲しくないという顔をすることがあったの」
それはほんの一瞬のことで、他の誰もが気付かなかっただろう。しかし、カーラはホールデンを見つめつづけていたから、気付いてしまった。
彼の抱く罪悪感に。ホールデンの自分への視線が、おそらく全てその感情を通しているだろうことに。
それでも、なんとか想いを伝えたかった。努力次第でホールデンを安心させ、罪悪感をなくせるのではないか、それ以上の感情を抱かせられるのではないかと思ってきたのだ。結果は、こうなってしまったが。
カーラはため息をついて肩をすくめた。
「正式に侍女になってからは、まるでそれを認めたくないみたいに子ども扱いしだしたし。なるべく技を使うのを避けさせようとするし」
傷跡が消えるようにとエレノアが治癒魔法を使ってくれている手を、カーラは見つめた。
かざされた手から、じんわりと温かいものが伝わってくる。なんて温かい、優しい技なのだろうと思う。そういう魔法ならば、ホールデンは違う態度をとったのだろう。素直に成長を喜んで、一人前になったと誉めてくれたのだろう。
けれどカーラは、自分に存在意義をくれた技を決して否定する気にはなれないし、それはホールデンへの恋が破れた今でも変わらない。ホールデンへの想いはカーラに大きな空洞を残したが、彼の教えてくれた技と訓練で培ったものは、今もカーラを支えている。
「ねえ」
「なあに?」
「私、頑張ったと思うの」
「そうね、とっても」
力を込めて頷いてくれた友人に、カーラはくすりと笑った。
「次はエレノアの番よ。アイリーン様の命令にちゃんと応えてね」
失恋はしても、最後までホールデンに挑み続けたことは、カーラの背筋を伸ばしてくれる。
エレノアは一度目の婚約解消の深手から臆病になっているが、ハロルドが彼女の中に占める割合を考えれば、結果どう転ぼうと、挑むべきだとカーラは思っていた。子どもの頃からライバル視してきたハロルドの存在が今のエレノアを形作っている事は想像に難くない。その彼への想いを見ないふりをして蓋をするようなやり方では、エレノアの残りの部分も駄目になってしまう気がした。
ね、と念を押したカーラに、エレノアはもう一度深く、頷いた。
【勇気の行方
早朝、ユリアは屋敷の庭をさまよっていた。庭園は朝靄に包まれている。自分以外に何も見えない中で、ユリアは、フリアンの言葉を思い出していた。
彼は例のあの女性を、『昔、結婚を考えた人だ』と言った。
ユリアはその正直すぎる答えに衝撃を受けて、泣かずにいるのが精一杯で、それ以上話を続けることが出来なかった。
フリアンはユリアに彼女のことを隠す気がないのだ。それが、ただの同居人であるユリアに隠す必要がないと思っているからなのか、それとも本当に昔話でしかないからなのか、それは分からない。
けれども、彼は正直な答えをくれた。
フリアンはこれまで、ユリアに様々なものを与えてくれた。行儀作法もなっていない末端の貴族令嬢だったユリアに屋敷で礼儀作法を身につけさせてくれたし、見たことのない世界を見せてくれた。たくさん悩んだし、傷付いたが、幸せな気持ちもたくさんくれた。
靄が途切れ、閉ざされていた視界が開ける。
「私も、正直に伝えよう」
それで今の関係が壊れたとしても、彼のくれたものにユリアが返せるのは、それしかないから。
朝日に浮かび上がった屋敷を見上げ、ユリアは決意した。】