勇気を出して~カーラの場合
秋、王国は収穫の時期を迎える。各地でその年の実りに感謝する豊饒祭が行われ、貴族も市民も、ご馳走を食べて祝う。
中でも王宮の豊饒祭はにぎやかだ。全国各地から届けられる特産品、海外から贈られてくる珍味などが建物に入りきらないほどで、窓を開ければ異国の香辛料の香りが届くことすらある。
昨年のこの時期には、ファレルの外遊に付き合って隣国に居たため、エレノアにとってアイリーンの側で迎える初めての豊饒祭だ。数人の学生達が、大量に届けられる各地の食材を運ぶ手伝いをしている。
「エレノアは懐かしいのではない?」
アイリーンは移動途中の窓からそれを眺め、エレノアに話しかけた。
エレノアやカーラは、学生時代に彼女達のように祭の手伝いをしていた。貴族の令嬢が通う学校では、ほとんどの生徒が必要としない本格的な魔法や職業体験が、授業に組み込まれていない。そのためエレノア達少数派のためにホールデンの特別補講があり、その受講生がこうした機会に手伝いとして駆り出されるのだ。
「はい。あの頃はこうしてアイリーン様にお仕えできるとは夢にも思いませんでした」
「あら、私はあの頃から貴女を狙っていてよ」
やがて少女達の群れは、監督役の女中に連れられて消えていった。
「・・・あの頃は、楽しかったわね」
彼女らの消えた方向を見つめて呟いたアイリーンに、侍女達はそろって眉を下げた。
王女が、このように過ぎた日々を懐かしみ、まるで過去の自分を羨むようなことを言ったからだ。元来明るく前向きなアイリーンなので、皆いつにない主の様子にどう声をかけたものかと戸惑っていた。
アイリーンがあの頃もっていて今は失ってしまったものなど、侍女達には一つしか思いつかなかった。
つい先日、ディランから手紙の返事が返ってきた。しかし侍女たちは、その宛名が代筆だったことを知っている。しかも手紙を読んだアイリーンが徐々に落胆していった様子も、皆が見ていた。
「・・・よく、分かったわ」
手紙を読み終えると、アイリーンは抑揚のない声で言った。そして彼女は大きな長いため息をついた。それはまるで、身体中の力が抜けてしまうような、深いため息だった。
また、王の命令があった時点で分かっていたことだが、収穫祭の晩餐会の招待客名簿にも彼の名前はなかった。
ディラン・デールは、すでにアイリーンの手から失われてしまったようだった。
それがなぜだったのか、何がきっかけだったのか、誰も分からなかった。分からないことが、ただでさえ傷付いている王女を余計に苦しめる。きっと、よその令嬢に恋をしてしまった、その相手が保守派の人間だった、そういうことなのだろう。しかし、あまりに一方的で、気付いたときには合うことすら出来なくなっていたというこの仕打ちは、軟らかな少女の心が受け止めるにはひどく残酷なものだった。
内宮とはいえ、人目のある廊下だ。下手な慰めを口にすればどこに潜んでいるか分からない敵に弱味を握らせることにもなりかねない。そのため、一行は内心の心配を押し隠して、主の動向を見守っていた。
しかし、その密かな緊迫を破ったのは、王女ではなかった。
アイリーンが何か言うよりも先に、のんきな声をあげた者がいたのだ。
「アイリーン様、私、今年こそガーラントの鳥の正しい食べ方をお教えしますわ」
侍女たちは一斉に、空気を無視した能天気な発言を咎める視線を送った。しかし、発言した本人は頬を紅潮させ、ひどく真剣な顔をしていた。
エレノアは場違いなことなど承知の上で、不器用に話題を変えたらしい。突然の指南宣言は、今年の豊饒祭も楽しんで欲しいと伝えたいのだろうか。
その拙くも温かなやりかたに、アイリーンはふっとほどけるように笑いをこぼした。
「素敵。何かこつがあるの?」
「はい。きれいに骨と身を分ける方法があるのです」
それからエレノアは身振りを交えて鳥の揚げ物の食べ方を教授した。手づかみで食べるというその料理が王宮の晩餐で出るとは考え難かったが、それでもアイリーンは楽しげに話を聞いた。
ディランの返信の話は、カーラにももちろん届いた。
ジゼルの手でつづられた報告を手に、カーラは思わず口走っていた。
「まさか。デール家は王妃の生家よ。何かの間違いでしょう」
それは反射的な反駁だったが、カーラ自身にも、実際は思い当たることしかなかった。
まさか、も何かの間違いでしょう、も何度も自分の調べた情報に対して繰り返した言葉だった。しかし何を調べても、間違いだ、と言える状況は出てこなかったのだ。
カーラはエレノアからホールデン情報の報告書を渡された際も、夜会でディランに会わなかったかと聞いていた。
「そういえば、一度もお会いしていないわ」
エレノアがこれまでにこなした夜会の数を思えば、一度くらい遭遇していてもおかしくないというのに。
「ディラン様は具合でも悪いのかしら」
わずかな期待を込めるようにエレノアは言ったが、カーラは同意してやることができなかった。
「残念ながら、元気なのはわかっているの。ただ、親王派寄りの会には出席していないということね」
治癒魔法の宣伝のためにエレノア達が出ていたのは、親王派から中立派の主催の夜会だった。
つまり、それらに出ていないディランは、保守派といわれる改革に反対する人々と行動をともにしているということになる。そう告げれば、エレノアは表情を強張らせていた。
その後もカーラは、キャンベル家の情報網を駆使してディラン・デールについて調べた。
カーラのように特殊能力を使って潜入する者はいないが、キャンベル家は長い歴史の中で多くの配下を様々な組織に送り込み、いざというときに情報を収拾できるようにしている。遠い異国の言葉では『ニンジャ』というものがあるが、カーラはそれを知ったとき、自分の家の役割はまさに『ジョウニン』ではないかと驚いたものだ。
その上忍の立場を駆使して分かったことは、結局、デール侯爵が保守派に祭り上げられているということだった。
情報によれば、侯爵自身はまだ立場を明らかにしてはいないようだという。しかし急激な改革が国を崩壊させるのではないかと憂えていた、という話も聞こえており、あのデール家がまさかという思いも、動機が国を思ってのことならばあり得る話かもしれないと、納得させられてしまう。
けれど。
カーラは赤毛の青年の姿を思い浮かべた。
すらりとした長身に、いつもにこにこと余裕の笑顔を浮かべている、育ちが良いのに誰に対しても気さくな青年だ。
カーラも、アイリーンと面識を得てからたびたび接し、友人といっても良い間柄だった。アイリーン抜きで頼み事をされることもあったが、そんな場合でも驕り高ぶったところが一つもなく、また頼み事の内容も大抵他人のためという様子で、カーラのディラン・デールに対する評価は、きさくで器用貧乏なお人好し、だった。
そんな彼がアイリーンと共にいる様子は、どこまでも自然に見えた。早熟な内面を持つために人に甘えたり怒ったりすることが苦手な少女だったアイリーンは、彼に対しては年相応の子どもらしく怒ったり拗ねたりしていた。また、ディランの方も本当に楽しそうにアイリーンをからかったり、拗ねた彼女を宥めたりしていたのだ。
アイリーンにはディランがいる。ディランには、アイリーンがいる。アイリーンとディランが一緒にいるのは、昼の空に太陽があるのと同じくらい当たり前の事だとカーラは思っていた。
その思いが、様々な情報がディラン・デールはもはや味方とはいえないと示した今でも、カーラには忘れられなかった。雨の日に雲が太陽を隠しても、太陽がなくなったわけではないように、本当はディランの心もアイリーンのそばにあるのではないかと、一縷の望みを捨てられなかったのだ。
「本人に会いにいくしか、ないかしら」
カーラは、豊饒祭に最後の望みをかけることにした。




