話を切り出すタイミング
【話を切り出すには
相手に理解を求めたい話の場合には、ゆっくりと話せる場所、時間、姿勢などの状況をお互いのために整える必要がある。
自分の要求を通すための話ならば、当然ながら相手の機嫌がよいときをねらい、要求を絞って短く伝えるべきだ。
また、話を振ることで相手の不意を突く目的であれば、敢えて相手が優位を感じているところをねらえば与えられる衝撃が大きくなるだろう。】
エレノアはこの日も舌がちぎれるまで止まらないという覚悟で話し続けた。
「シンシアから手紙が来たのだけれど、最近あの子は子猫を飼い始めたらしいのよ」
「黒い毛並みに青い目なのですって。シンシアはハルとつけようとしたけれど、さすがに止められたらしいわ」
「あのね、ハーディ様がこの間忘れ物をして、届けてくれたジリアンに怒られていたのよ」
「ホールデン先生、休日は靴下をはかないらしいのよ。驚いたわ」
ハロルドはとりとめなくしかし途切れることなく続く彼女の話に口を挟めず、ああ、だとか、あの、だとか言っていた。
しかしとうとう話題がつきたエレノアは、帰り道をどう乗り切ろうかと悩んだ。
「ホールデン先生は、久々にアイリーン様にご用などありませんよねえ・・・」
思いあまってこんなことを言いだしたエレノアに、ホールデンは小さく吹き出した。
「残念ながら、ありませんねえ」
「そうですよね」
しょんぼりとというよりも、さらに追い詰められた顔で言った彼女に二人の大人は視線を交わした。
「ああ、ハーディが内宮近くまで用があるというから、そこまで送ってもらえば?」
内宮まで行けば、あとは顔見知りの騎士達が廊下の各所に立っている。エレノアはぱっと顔を輝かせた。
「失礼します」
ハロルドは扉を開けて、すぐに眉をひそめた。
「ああ、ハロルド君ご苦労様」
「先生、エレノアはどこですか」
ホールデンがエレノアはすでに帰したと言ったので、眉根の皺はますます深くなる。非常時につき、彼女が一人歩きすることのないよう対策をとっている彼としては、この発言は脳天気以外の何物でもなかった。
「ごめんねえ。たださ、少し話したかったものだから。君と、さ」
きびすを返しかけていたハロルドだったが、ホールデンの声音に含みを感じ、しぶしぶ向き直った。
ホールデンはハロルドを座らせると、自分も机上の書類を傍によせた。
そして真っ先にこう言った。
「まずは、姪が迷惑をかけたみたいで、申し訳ない」
師であり年も職場での立場も上の相手に頭を下げられたハロルドは、さすがに返答につまった。
姪とは、リリー・ホールデンのことで間違いない。ただ、それをホールデンから謝られるのも困る。
「・・・先生に謝っていただくことでは」
ホールデンは小さく笑った。
「まあ、そう言うとは思ったんだけどさ。でも、君がエレノアとぎくしゃくしているのはそのせいもあるんでしょ?」
「それはそうですが」
エレノアのあの様子では仕方がないだろうと、ハロルドは誤魔化すことを諦めた。そして、どこまで把握しているのか、黙って相手の出方を伺うことにした。
ホールデンは続けた。
「あの子に聞いたよ。街で助けてくれた君に一目惚れしたんだって?その挙げ句、エレノアに嫉妬して、キスして欲しいとねだったらしいね」
概要はあっているので頷きながら、ハロルドは、ホールデンがなんのためにこんな話を始めたのだろうと考えた。彼の知るイアン・ホールデンは、軟派に見せかけていても、その実無意味な行動はあまりしない。そのため、この一見下世話なお節介にみえる話がどのように着地するのか、見極めようと思った。
「しかもそのことが施設内で噂になっていたとか」
「そのようですね」
「あれ、ハロルドは知らなかったの?」
ここでホールデンが軽く眉を上げた。
「はい。私は仕事柄外回りが多かったので。噂については最近人から指摘されて知りました」
彼は、ふうんと顎をなでた。それから、じっとハロルドの反応を観察するような目を向けて言った。
「君の噂だけど、広がった場所があまりに狭いと思わないか?」
「そうですね。見たのが施設の人間だったからでは」
魔法省の出先機関の人間は貴族だから、領内でも限られた人間と限られた場所で行動している。そのためではないかと、ハロルドは述べた。
それはそうなんだけれど、とホールデンは腕を組んだ。
「普通、こんな浮いた話題なら人伝に僕や家族の耳に入りそうなものでしょう?それが、僕が知ったのはつい最近ハーディが偶然教えてくれたからだし、他の親族は知らないんだ」
この大人達は自分のいないところで何を話していたのだとハロルドは呆れながらも、ホールデンの言いたいことがだんだんと理解できてきた。
「限定的に広められた気がするということですか」
「うん、君に知られないように、なのかな」
確かに、早く知っていればこうなる前にもっと上手い手が打てていただろうとハロルドは思った。
ホールデンはハロルドの顔つきを見て畳みかけるように言う。
「範囲が狭いのに、実際にはしていないキスがしたことになっている辺りなんか、どうも悪意を感じるんだよね。でも、君や彼女のことをよく知っている人間しかしないことだろう?」
ハロルドは黙って頷いた。自分たちの関係は基本的に、元家族という認識のはずだ。好意を隠してはいないから近くにいる人間は分かっていておかしくはないが。
「エレノアの苦難を望むものは、内部にいるのかもしれない。・・・あるいは望みは君の苦難かな」
ハロルドは、つい先日のファレルとの会話を思い出す。精霊の影がみえたことで、敵はいよいよどこに潜んでいてもおかしくないと、彼は言っていた。
もともと、治癒院を開いていた場所は、国土部の施設だ。現在治癒院や市民登用の問題で最もエレノアを疎ましく思っているのは彼等だろう。今考えれば、あのときから敵が近くにいたとしても何も不思議はなかったのだ。
「とにかくエレノアにも注意してほしい。敵がどこにいるかわからないと」
くしくもホールデンの終わりの言葉は、ファレルの結論と同じものだった。
そう言ってホールデンは、話したいことはこれで終わり、とばかりわきに避けてあった書類を手にした。
しかしハロルドが黙り込んで座ったままだったので、立ち上がらずに尋ねた。
「何かまだあるかな?」
いえ、とハロルドは首を振った。ホールデンの話自体には疑問も反論もない。ただ、と彼は口を開いた。
「・・・エレノアに話をさせてもらえないだろうな、と」
ここ数日、なんとか誤解をとこうと思っているものの、エレノアのとどまることを知らない話に連戦連敗しているハロルドだった。
そのため本気で思い悩んで口からこぼれてしまった一言だったのだが、それをホールデンに遠慮なく吹き出されたため彼はむっとした。
「ハロルドってさあ、腹黒冷静に見えるけど、エレノア本人が相手だと、本当にただの焼きもちやきの不器用少年だよねえ」
ハロルドの眉間にくっきりと皺が入る。
「放っておいてください」
「僕が話しても良いんだけど、肝心の誤解についての話もあるし、やっぱり当人同士が話すべきだと思うんだよね」
「・・・分かっています」
「いいねえ、悩める青少年。思い悩んで大いに結構じゃないの。恋とはそういうものでしょう」
にやにやと繰り出される言葉は本筋を外れた蛇足のようで、恐らくはハロルドを苛立たせて奮起させようというものだろう。
腹の立つはずの言葉だったが、ここでハロルドはふいに笑った。
「それはご自身の体験談でしょうか」
表情を変えた彼にホールデンがおや、という顔をする。そんな二人の間の机にハロルドがひらりと置いたのは一枚の回覧文書。
「!なぜこれを・・・」
ホールデンを結婚させるべし、栗色の髪の乙女を逃すべからずというそれは、省内でも幹部以上に回された秘密文書のはずだった。いい加減にイアン・ホールデンを落ち着かせたいという魔法省の重鎮たちの思惑で、カーラが令嬢姿で訪れたその日のうちに回覧されたものだ。
ハロルドは入手経路を答えずにさっさとそれをしまうと、言葉につまったままのホールデンに再び鮮やかな笑みを見せて、言った。
「ご高説承りました。とにかく、どこに敵がいるかわからないというお話の方は、肝に命じておきます」




