話したくなる状況~エレノアの場合2
体調を崩したせいでこのところ投稿が不規則になってしまい、申し訳ありません。不定期な連載にお付き合いいただいている皆様に感謝です。本当にありがとうございます。
【話したくなる状況
人は本質的に、自分のことを話したいという欲求をもっている。その欲求を解放するためには、前述のようにリラックスできる状況を整えた上で、相手の様子を見極め、話したいという欲求が高まった時を見逃さないことだ。そして適切な話題をふることが必要となる。
相手が話したいと思っているときにそのことについて投げかければ、自ずと話は始まる。】
精霊についてはしばらくファレルに任せるようにと言われ、エレノアは日々の仕事に戻った。いくら彼女が気を揉んでも、一介の侍女には呼ばれるまで出る幕がない。
本来の仕事であるアイリーンの警護も、警戒態勢を強いている今はとても重要だった。エレノアはなるべく王女の側に控えているように配置されている。
そのため、この頃王女のもとに入る報告が目に見えて増えており、その報告をもってきた人々が新たな指示を受けて出て行くのをつぶさに見ていた。穏やかに振る舞っているアイリーンが、その実多くの問題を抱えて対応に苦慮していることが見て取れ、エレノアは胸がぞわぞわと泡立つのを感じた。また、そのアイリーン自身が少し前の王への謁見以来元気がなく、時折スリッパをもてあそびながらため息をついている。それもまたエレノアには気がかりだった。
変化を数えるなら、エレノアの意識にも一つの変化があった。
彼女はあの夜会の日以来、より慎重にハロルドへ接しなければと肝に銘じていた。すでに距離は保っているため、これはエレノア自身の気持ちの問題だ。誰にも悟られないように、自分でも忘れさるようにと気持ちに蓋をしたのだ。
あくまで意識の問題で、エレノアは態度を変えたつもりがなかったが、時を同じくしてハロルドの様子にも変化があった。
「エレノア・・・いや、何でもない」
今も何事か言いかけては口ごもり、止めてしまう。
エレノアは初めこそ首を傾げていたが、今ではこれにもすっかり慣れてしまった。
彼が言おうとして言いにくく思っていることが何か、想像がついたのだ。
回転が速く、言いよどむことなどほとんどないハロルドだ。その彼がこれほど言いづらそうにするとなれば、もうあの件しかないだろう。
ハロルドはきっと、一度は求婚をしたエレノアに対して、恋人が出来たことを切り出せずに困っているのだろう、とエレノアは思った。それは身内に対して非常に優しいハロルドらしいことであり、けれどそんな彼だからこそ、困らせたままではいられない。
この日、エレノアは覚悟を決めて、自分から話題をふってやることにした。
「この前、リリー嬢と夜会で会ったわ」
ハロルドが肩を揺らし、明らかな動揺を見せたので、エレノアはふうと小さく息を吐いた。
前日読んだ本通り、話したい瞬間を捉えたつもりだ。これで、さすがにハロルドも話を切り出すことが出来るだろう。そして、自分も気持ちの一部に永遠に蓋をして、この恋に終止符を打つことができるだろうと。
「あの、エレノア」
ハロルドは意を決したように立ち止まった。
「なあに?」
エレノアは注意深く表情を保ちながら、心の中では、蓋に打ち付ける釘を準備して待った。
ハロルドの青い目がまっすぐにエレノアに向けられる。
「一度きちんと説明したいと思っていることがあるんだ」
覚悟をしていたことなのに、泣かずに頷くことがなんと難しいのだろう。エレノアは自分の手首を握りつけ、耳を押さえそうになる自分と戦った。
「リリー・ホールデン嬢のこと・・・」
彼女の名前の響きにエレノアは指先を震わせた。自分で口にするのと、ハロルドの口から聞くのとでは全く威力が違うことに驚く。エレノアの心の中では、用意していたはずの釘が散らばり、大混乱が起きている。
「分かっているわ。ええ、分かっているの」
思わず早口になってしまった自分にエレノアはますます焦りを感じた。
ハロルドが言いづらそうにしながらも再び口を開く。
「多分、噂を聞いたと思うけど・・・」
「聞いたわ、だから大丈夫よ」
しだいにせり上がってくる涙にエレノアは限界を感じ始めた。涙腺はもはや、ハロルドの唇が動き出す予兆だけでも決壊しそうな有様だ。
「気にしてくれてありがとう、でも、説明しなくても分かっているから大丈夫!」
「いや、だから」
あれだけ言いよどんで今日まできたくせに、今はもういいというのに口を閉じようとしないハロルドに、エレノアはもう半泣きだった。なぜあの本には、話させる方法が載っているのに黙らせる方法は書いていなかったのかと八つ当たり気味に考える。
追い詰められたエレノアは、かくなる上は、『亀』を使って閉じこもるしかないと考えた。とりあえず数十分は亀の中で涙を隠せる。けれども考えてみれば、精度を上げたファレルの腕輪によってものの数分でハロルドが亀の内部に召還されてしまうかもしれない。
「か、か、か・・・」
「エレノア?」
エレノアは訝しげな顔をしたハロルドから目を逸らして、助けを求めて視線を巡らせる。
そして、エレノアは猛然と走り出した。
ほんの十数歩ほどのところに、今日の会議の部屋があったのだ。
わずかに開いたその扉から漏れた明かりは、まさしく廊下に差し込んだ一筋の光明に思われた。
エレノアは周囲にひと目のないのを良いことに、淑女の振る舞いをかなぐり捨てて走った。その、実に十年ぶりの彼女の疾走は、度肝を抜いたのか、ハロルドの不意を突くことに成功する。
ぐいと引いた扉の前で振り返ると、エレノアは引きつった笑顔で挨拶した。
「それではご機嫌よう!」
言うなりバタンと扉を閉めた彼女は、室内にいたホールデン等に驚かれるのだが、とにかく泣かずに乗り切ったことに深く深く安堵した。
残されたハロルドは呆然と閉じた扉を見つめ、ぼそりと呟いた。
「分かっているって・・・どっちなんだ」
その呟きは分厚い扉に阻まれてエレノアには聞こえなかった。
そして一度失敗に終わると、再び踏み出すには一度目以上の胆力が必要だった。
エレノアは結局、その日の帰り道も、ハロルドに『リ』の字一文字たりとも話させなかった。
「これも逃げたことになるのかしら・・・なるわよね・・・」
その夜エレノアは、大事なときにまたしても逃げ癖の出てしまった自分を振り返って深く落ち込んだ。
自分で話を振っておいて、ろくに話させずに、しかも淑女が、はしたなくも走って逃げただなんて。ひと目が他になかったといっても、ハロルドにはばっちり目撃されているではないか。勢いよく振り返ったこともあるし、もしかしたら足首さえ見えてしまったかもしれない。そう思えば、羞恥心でかあっと頬が熱くなる。
その上、帰りも彼に話をさせないようにとべらべら自分だけ話し続けた。ハロルドは呆れかえったに違いない、とエレノアは今度は青くなった。せめておかしなことを言っていなければいいが、と願うのは、緊張して何を話したかろくに覚えていないからだ。
エレノアはめまぐるしく顔色を変えながら、でも、と思う。
せっかくハロルドが打ち明けてくれても、エレノアが泣いて恋心を悟られてしまっては意味がない。危うくそんな事態に陥りかけた後では、とても彼の打ち明け話を聞くことはできなかったのだ。
「アイリーン様、ごめんなさい。私には、アイリーン様のご命令は高度すぎました・・・」
エレノアは、アイリーンの部屋の方角を向いて手を合わせた。




