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人の気持ちを知るために~ファレルの場合

ファレルは目下、大変多忙だ。

現在議会で審議中の治癒院と市民登用の二つの計画はどちらもファレルの名で進んでいるし、さらには不穏な気配のある王都の警戒や事件の全貌解明にも独自に動いている。

彼が今長椅子に寝ころんでいようとも、それは前日の深夜にまで及んだ公務と、これから控えている今日の分の仕事の間の休養をとっているわけで、誰が何と言おうとも彼は多忙なのだ。

しかし残念なことに、この王子はこれまでの素行のせいで誰にも大変ね、とは言ってもらえないのだった。

今も、やってきた客人は彼を見て呆れた声を出した。

「暇なのか」

「まさか。身体が三つ欲しいくらいだ」

この面会とてその多忙の合間を縫って、わざわざ作った時間だというのに、と一応憤慨してみせる。

しかし対するハロルドは、声と同じく冷たい視線のままだった。

彼のファレルに対する温度はエレノア襲撃以来この夏の暑さもどこへやらのものであるから、これは予想通りだ。

気にせず起き上がると一つ伸びをして、単刀直入本題に入る。

「お前はリリー・ホールデンとつきあい始めたのか」

その途端、ハロルドの青い目が極限まで見開かれ、ファレルは珍しいものを見た、と密かに驚いた。


「・・・つまり、お前はリリー・ホールデンとは付き合ってもいないし、キスをしてもいないのか」

ハロルドの鬼気迫る説明を聞き終え、ファレルはふむと頬杖をついた。

考え込むようなその様子に、ハロルドはやや疲れた様子で尋ねた。

「まだ何か?」

「それなら、エレノアが最近お前と距離をとろうとしていたのはなぜだ」

ハロルドは表情こそ平静を装っていたが、その腹の二色の魔力は大きく揺らいでいた。魔力の見えるファレルに、人は気持ちの動きを隠せない。ファレルの視線に気付いた彼は、すぐに隠してもどうしようもないと考えたようで、はあとため息をついた。

「少し怖がられて避けられた。でも、一応側で守ることだけは了承を得た」

「何をした?」

「・・・言う必要はない」

「言えないようなことを無理矢理したのか!お前、俺よりよっぽど暴君だな」

「・・・多分お前が考えているのとは違う」

にわかに気色ばんだファレルに、ハロルドは何となく彼の想像が予想できたようで否定した。

「でも、エレノアは酔って忘れているから、お前だろうと言いたくないだけ。・・・もともとそれをリリー・ホールデンに見られて、彼女に泣いてねだられたんだ。口づけなければ皆に触れ回ると」

それで泣かれたが、キスはしなかった。しかし、妹のシンシアより少し大きいくらいのリリーが泣きじゃくっているのを見て、哀れになってなだめていたのだが、その姿を人に見られていたとは思わなかった。これが先刻の彼の説明だった。

忙しく施設外を飛び回っていたハロルドは、施設に広まった噂を今まで知らなかった。

こぼれんばかりに青い目を見開いた彼の様子もさることながら、ファレルにはハロルドの魔力の具合でこの驚きが本物であったことが分かった。ハロルドという男は、猫を被るのを止めた相手に対しては腹の魔力と顔の動きが大体揃った、意外に正直な反応を見せる。

そのハロルドが、今度は眉をひそめて問いかけてきた。

「ところで、エレノアもこの噂を知っているのか?」

ファレルは頷く。

「おそらくな。しかもお前、夜会でも誰かと踊っていたろう」

浮気を責めるが如く言ったファレルだが、ハロルドは呆れた顔をした。

「それがリリー・ホールデンだよ」

へえ、と眉を上げたファレルは、世話になった領主の孫の顔も覚えていないことなど全く気にせず追い打ちをかけた。

「それなら、なおさら誤解が進んでいそうだな」

ハロルドの眉根の皺が深くなる。

「誰のせいで彼女と踊る羽目になったと思っているんだ」

あの夜会の日、ハロルドとファレルはどちらがエレノアと踊るかを賭けて勝負をしていた。その賭に負けてハロルドはエレノアと踊れなかった上、ホールデン侯爵の勧めを断りきれず孫のリリーと踊ることになった。それさえなければ、彼は多少強引にでもエレノアを言いくるめて、エスコートもダンスの相手も務めただろう。

ハロルドは冷たい視線で見たが、ファレルは知らん顔をした。

「俺のせいではないな。俺としては、自分の手柄だと自賛しておくが」

ハロルドとファレルは親友だが、それ以前にエレノアを巡っては恋敵なのだから。

そんな当然のことをこの男が言うとは珍しい、との目で眺めていれば、ハロルドは眉間の皺をそのままに問うてきた。

「・・・エスコートなしでエレノアが酔いつぶれそうになっていても、そう言うのか?」

「そんなに弱かったか?」

首を傾げたファレルに、ハロルドの魔力がうねる。

怒りたくともそれを口にしないということは、真実エレノアが酔いつぶれたということ、そしてそれを良いことに手を出して罪悪感を感じているというところか。観察している間にも、ハロルドはため息をついて怒りを逃がした。

ともかく、とファレルは口を開いた。

「お前が距離をとられているのは確かなようだから、こちらも警護の隙を埋めるために動かせてもらう。それと、悪いが好機は逃さないつもりだ。」

ハロルドはこの前ファレルに、お前には任せておけない、という意味のことを言ってきたが、それでもファレルとしては、出来ることはやるつもりだった。それに、今動くことはエレノア争奪戦においても重要な意味がある。リリーに関する誤解は、ファレルにとって大きな好機となるのだから。

これをわざわざ宣言するだけファレルは公正なつもりだった。それはハロルドも分かったらしく、苛立ちを現しながらも返した。

「そう長く誤解させたままにはしておかないよ」

そうは言っても、誤解を解くために重要な『では、何をリリーに知られたのか』という部分に触れられるわけにはいかないのだろう。そのため、これは明らかに強がりだった。

ファレルは、ハロルドの腹をじっと見てにやりと笑った。

「荒れているぞ」


「それで、イザベラの尋問はどうなっている」

ハロルドを見送ると、ファレルは作業台に移動ながら侍従に聞いた。

「イザベラはあの瓶の中身を知らなかったと言っています。例の男から渡されて、使えばエレノアに恥をかかせることができると言われたと」

クリスには人の声から嘘を聞き分ける風の高等魔法が使える。そのため、この証言も少なくともイザベラの本心ではあるはずだ。

ファレルは作業台の石の天板の上から工具を取り上げ指でくるりと回した。

「まあ、あの娘が白昼エレノアに怪我を負わせて得する事もないから、その通りなのだろう。愚かな娘だ」

そう言って工具の先の細い刃物を見つめると、ファレルはもう片方の手に腕輪を載せた。

「本当に作業するのですか?」

意外だと言うように聞かれ、ファレルは失礼な侍従を睨む。

「朝から準備をしていただろう」

「いつも夜中にしかなさらないので、てっきり準備だけかと」

「お前は本当に不敬だな!」

ファレルは指をさして怒ったが、クリスは平気な顔をしていた。

「それで、珍しく急いで何を作っているのです?」

怒ったファレルの方も、クリスが今さらおべっかを使っても気味が悪いだけなので、さっさと切り替えた。

「エレノアの腕輪だ。亀の発動時間を転移の条件にして自動的に味方を送る設定にしていたが、見直そうと思う」

それは効率的な設定だったのだが、亀が使えなかった場合には困ったことになる。アイリーンの盾としてならば、王女にそこまで接近を許す想定がないため問題なかったが、エレノアの警護も考えるならば、見直しが必要だった。何しろ影の犯人はエレノアが亀を使えない状況を作ってきたのだから。

「とりあえず、石を増やしてこちらから問答無用に転移できるようにするつもりだが、最初の石と喧嘩しないようにしないと」

エレノアの腕輪を預かっている時間は極力短くしたい。安全のための改修中にことが起きては元も子もないのだから。

そういうわけで、普段は深夜になってからしかやらない魔法具の加工を昼間から始めようとしているのだ。ちなみに深夜に作業する理由を、ファレルは最も静かで集中できるからと言っているのだが、クリスなどはぐうたらしてぎりぎりになるまで動かないだけでしょう、と冷たい目で見てくる。

それで今も、

「エレノアのおかげで夜型も克服ですかね」

などと言ってきたので、ファレルは不敬な侍従に今度こそ本気で怒鳴った。


見えているくせに、空気は読まないし、人の気持ちはあまり考えないファレルです。いちいち考えていたら疲れ果ててしまうからだと思われます。

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