人に「はい」と言わせる方法~エレノアの場合1
【人に「はい」と言わせる方法~
相手から欲しい答えを引き出すためには、まず話を円滑に進めることが最低条件だ。
そのために、話の目的を明確に意識し、十分な時間を確保して望む必要がある。】
ハロルドが双方の詰まった勤務日程を縫って時間を作ろうと苦慮している間に、エレノアはどんどん仕事にのめり込んで行った。
「それでは、行って参ります」
「頑張ってね」
エレノアはアイリーンの側を同僚のカトレアに任せ、魔法省に足を向けた。
ハーディの仕事の都合がついたため、今日から治癒魔法の指導方法についての研究が再開するのだ。
アイリーンはお遣いのチョコレートを喜んでくれ、今も公務の合間に一粒食べていた。
エレノアは結局、あの日チョコレートを選んだのがディランであることをアイリーンに言っていない。それを言えばディランが何をしにきていたのかも話さねばならず、結果アイリーンを悲しませるような気がしたからだ。
エレノア自身がただ今胸の痛みと闘っている真っ最中であり、思い人が他の人間を見ているなどと聞いたらどれほど心が痛むかを思わずにはいられなかったのだ。
失恋、などとうっかり思い浮かべてしまった単語に胸をえぐられ、エレノアは表情を保つために小さく息を吐いた。
本当を言えば、こんな状態なので魔法省に行くのも怖い。ハロルドにもし会ってしまったらという思いもある。それにもう一つ、今の精神状態は以前の婚約の失敗も思い起こさせていた。
「エレノア、いらっしゃい」
「おはよう、ジリアン。待っていてくれたの?どうもありがとう」
微笑みながらも、エレノアの胸の痛みは増す。
ジリアンの優しげな顔だちと薄い青色の瞳が、失った婚約者を思い出させた。この顔にはもう慣れたはずだったのに、とエレノアはさりげなく目を伏せてしまった自分の心の弱さをふがいなく思った。
二階の踊り場でまた数人の若者に絡まれつつ、研究室に入ったときには、思わずほっと息をついてしまったエレノアだった。
「おはよう。すでにお疲れみたいだね」
「おはようございます、ハーディ様」
エレノアが挨拶して席に向かう間に、ジリアンは絡まれていたことを説明して出て行った。
「ああ、もしかしてあれかな。この前出した治癒魔法の報告書で、今後は魔力量の少ない人間に指導して持続力を高めるって書いたでしょ。それで、国土の中でも魔力が多いことしか取り柄のない連中が頭にきちゃったのかもね」
「・・・そういうものでしょうか」
たしかに、当初の計画では各地に建つ魔法省の出先機関の人間を、そのまま治癒の術者に育てる予定だった。つまり国土部の魔法使いが主役のはずだったのだ。それを、魔力の少ない人間を対象にするとなれば、魔法省でも特に魔力量の多い国土の人間は対象外となる。王族肝いりの国家事業に関われないばかりか自分たちの職域に他者が入り込むとなれば、面白くないのかもしれないが。
「まあ、少しの間の辛抱だよ」
「・・・そうですね」
エレノアも気を取り直し、意識を切り替えた。今日はお互い貴重な時間をつかっての、重要な話合いだ。今日の目的は指導方法を持続力重視で明文化すること、と頭の中で唱え直し、エレノアは背筋を伸ばした。
「・・・そういうわけで、基本の集中法などを準備運動として行った後の方が伸びが良かったのです」
「そうみたいだね。僕も君の報告書を読んで、そこは大事だと思ったよ。だからあいつを呼んだんだけど・・・ああ、来たみたいだ」
ハーディの視線を追って扉に目をやれば、近づいてきた足音が止まった。
「やあ、遅れてごめん」
開いた扉からのぞいたのは、見慣れた蜂蜜色の髪だった。
「まあ。お久しぶりです、ホールデン先生」
立ち上がったエレノアに、彼はいつもの甘い笑みで応える。
「久しぶり、エレノア。『スッポンのエレノア』の噂は聞いていたよ」
「亀がスッポンになってしまいましたわ」
ちなみにもう一つある通り名は、『雪崩のエレノア』で、これは氷の魔法が得意なわけではなく書類の山で雪崩を起こす女という意味である。あまり淑女らしいとは言えない通り名に顔を赤らめていたエレノアだが、すぐに気を取り直した。
「そうです、先生なら、指導法の助言を頂くのに適任ですものね!」
ハーディの意図を理解し、エレノアの顔がぱっと明るくなる。
「エレノア、ホールデンの生徒だったって聞いたしさ」
もともと人を頼るのが苦手なエレノアには、その道のプロに尋ねるという当たり前の発想が無かったが、今後治癒魔法を大規模に指導するとなれば、遠からず人事兼人材開発のホールデンの出番となる。エレノアは自分の視野の狭さに気付くと共に、改めて話がどんどん実現に近づいていくことに興奮を覚えた。
すぐに大人二人はエレノアが習った基本の集中法などを列挙し出し、その中でも魔力の効率を上げるために効果のありそうなものを選りすぐっていった。
「属性が土なら泥団子作戦かな」
ホールデンの発言に、エレノアは地獄の特訓を思い出して遠い目をした。
指一本単位で大きさを変えた泥団子を延々と魔法で出し続けるこの特訓の最中、エレノアはチョコレートすら見たくなくなった。そのすさまじさは、一時期ガーランド家中から茶色いものが姿を消したほどである。
「水なら・・・」
続いて他の属性の場合についてもホールデンは地獄のような特訓方法をいくつも語った。
しかもなぜか嬉しそうにほころんだ彼の顔を見て、やはり鬼教官と呼ぶにふさわしい、とエレノアは思った。けれど、うっかり『鬼』と口走った後に待ち受けていたさらなる地獄を覚えていたため、唇はしっかり結んでおいた。ホールデンが甘く軟らかいのは顔と態度だけで、指導に関しては甘さも軟らかさも一切無かったのだ。
「うーん、たしかに効果はありそうだけど、その前に皆脱走しそう」
「脱落者が続出してしまうのは困りますね」
ハーディはエレノアと顔を見合わせ、僕なら聞いただけでうんざり、と付け足した。
ホールデンはすぐに笑って否定した。
「これで投げ出す人間はその程度ということでしょう。だって、やることは単純なんだから」
確かにホールデンのいう通り、自分の属性の土を単純な球体にして出すのは難しいことではない。ただ、恐ろしく根気と集中力がいるというだけで。
「甘やかされたお坊ちゃんには無理かもしれないけどね」
ハーディが首をすくめて言った。
「だって、エレノア嬢の優しい授業でさえ4日目にはやる気を無くしていたって言うじゃない。あれ聞いて、僕あの連中に教える気が失せちゃったよ」
道理で研究熱心な彼が指導に関してはのんびり構えていたわけだ、とホールデン領を振り返り納得したエレノアだった。
ハーディの言うとおり、先日までの指導ではまず候補者のやる気を繋ぎ止めることに苦労した。エレノアとて、指導と考えたときに自分の受けた特訓を思い出さなかったわけではないが、受け入れられそうにもなかったのだ。
そのためエレノアも頷いてハーディに同意を示したが、ホールデンは事も無げにこう言った。
「対象を増やせばいい。大量の候補者の中から基礎の特訓に耐えて残った人間だけに治癒魔法を指導するんだ」
「魔法省の全魔法使いという意味ですか」
「いや、もっと広く募集をかけるんだ」
エレノアは、ホールデンが誰を想定しているのか分からず、じっと彼の顔を見上げた。しかしハーディは違ったようで、げっと品のない声を上げた。
「まさか、ここに国王の念願をぶちこんで来る気?」
呆れたように半目で睨んだハーディにホールデンは片目を瞑ってみせた。
「そうだよ。これ以上ない機会じゃないか?」
国王の念願と聞いて、エレノアはあっと声を上げかけた。
慌てて開いた口を片手で隠し、ホールデンに確認する。
「もしかして、先生は市民を登用しようとお考えですか?」
ホールデンは、頷いた。その甘い美貌に企みの笑みをのせて。




