読めない心とすれ違い~エレノアの場合
とうとう治癒院の最後の仕事が終了し、一行が引き上げる日になった。
ホールデン領における治癒院の雛形試行は結果として概ね成功に終わった。
連日訪れた市民の数はこれまでの診療所よりは少ないものの、その効果と市民の信用は十分数字として認められた。ハーディにより、人件費を考えてもこれまでより安価に健康管理ができると立証され、またハロルドは治癒院を開いた場合にも施設の結界管理が可能だと示した。
たった一人残念な思いを抱えているのはエレノアで、彼女の心残りは、結局男性患者の信用を得ることができなかったことだ。
しかし、最終日に運ばれてきた子どもが彼女の治癒を受けてにこにこと帰って行くのを見ていたファレルは言った。
「最初はこれでいいのかもしれないな。あの子どもが、やがて大人になるのだから」
「はい」
その言葉にエレノアも心から素直に返事をすることができた。
試行が上手くいったので、今後全国で治癒院を開く方針で、文官達が議案書を作成したという。
一行に残された一番の課題は、術者を育てることだ。これにファレルは、今まで通りエレノアとハーディを指名した。
「二人とも、引き続き頼むぞ」
「はい」
「当然です」
何とか最後まで外されずに関われることに喜びを感じて、エレノアは力強く返事をした。
ハロルドへの失恋を自覚したエレノアは、一層仕事にのめり込もうとしていた。もっともこれは本人の意識の問題であって、傍目には以前から十分仕事の虫の彼女に大きな変化があったようには見えなかっただろうが。
気付いているのは、魔力の荒れ具合が見えているファレルと、この日久々に顔を合わせたエレノアによそよそしい態度をとられたハロルドだろう。
出発前に荷物を持とうとしたハロルドを、エレノアは強ばった顔で拒否した。
「何故」
不服そうな顔で問いただしたハロルドに対し、エレノアは苦し紛れに言った。
「・・・願掛けよ。大事な願い事だから、私の荷物は放っておいてちょうだい」
「・・・願掛けって、何を」
「それを言ったら願いが叶わなくなってしまうものなのよ」
全く納得した様子はないもののエレノアの頑なな態度にしぶしぶ引き下がったハロルドは、よほど大事な願い事なんだ、と肩をすくめた。
エレノアは頷きながら、そっと目を伏せた。今一番願いたいことなら、貴方と思いを通じ合うことだと。
エレノアの中には、ハロルドを諦めようとする心と、目覚めてしまったハロルドへの恋心がせめぎ合っている。前者はハロルドに頼ることを拒否するのに、後者は彼がこうして気遣ってくれることを喜ぶのだ。
転移のたびに、エレノアは一歩もふらつかないように気をつけた。少しでもふらつけば側にいるハロルドが手を差し伸べてくれそうで、そうしたら喜んでしまう自分が居そうだから。
「皆、大儀だった。それでは、今日はこれで解散とする」
いつにもまして簡潔なファレルの言葉で一同は解散した。
皆がそれぞれの持ち場へ向かう中、エレノアも自室で旅装をとくと、すぐにアイリーンのもとへ報告に向かうことにした。
「エレノア、本当にご苦労様」
アイリーンは到着の報告に来たエレノアを労ってくれた。
「昨日ファレルの侍従から、治癒院の最終報告を受け取ったわ。貴女の任務は成功よ」
部屋にはいるまでカーラ直伝の完璧な微笑みを浮かべていたエレノアだが、この言葉にほっとしたように表情をやわらげ、息を吐いた。
「ありがとうございます。結局男性患者は得られませんでしたが・・・」
「わざわざ患者数の報告を男女別にしたのは文官の嫌がらせね。もともと患者の男女比は半々なのだから、そんなことを気にする必要はないはずなのよ。エレノアは十分な数の患者を診ているから、私が侍女の貴女を派遣したことに文句はつけられないし、治癒魔法の指導についてもこれなら一定の成果が認められるわ。貴女の努力の賜ね」
「もったいないお言葉です」
エレノアははにかんで微笑んだ。
「あら、少し元気がないみたい」
その微笑みがやや陰っていたことを親友である王女には気付かれてしまった。しかしアイリーンが続けて問い返そうとしたところに、ジゼルが急ぎの知らせを抱えて入ってきた。
「ネビル伯爵が急死したそうです」
アイリーンは王からの知らせに眉をひそめた。
「今月に入って三人目よ」
エレノアも、聞きながら首を傾げた。爵位をもつ者の多くは年配だから、毎年ある程度の代替わりはある。しかし、月に三人というのは異様だ。しかも、皆エレノアも知っている親王派なのはどういうことだろうか。
「刺客の線はありそうかしら」
昨年の粛清後国内に大きな武力を持った敵は居ないはずだが、鎖国をしている訳でもなく、刺客を雇うなりして突然死を装った暗殺をするのはいくらでも可能だ。
「毒物の反応は出ていないそうです。念のため先程ファレル殿下も極秘で出向かれたそうですが、魔力の痕跡もないと」
アイリーンは美しい唇をきゅっと引き結んだ。
ファレルは、殺意をもつ人間が無意識に込める魔力さえ見つけてしまう。その彼に見つけられないというなら、魔法による暗殺の可能性は薄い。もちろん時間が経ちすぎて痕跡が消えたことは考えられるのだが。
エレノアが他の侍女と共に見守る中、アイリーンは口を開いた。
「偶然と考えるのは楽観的すぎるでしょうね。警戒態勢を整えましょう」
はい、と即座に返事をしたジゼルらによって、ただちに警備網が準備される。
アイリーンは表情を切り替えると、言った。
「転移で疲れたでしょう。今日はもう下がっていいわ、エレノア」
「大したことはありませんわ」
エレノアは隣の間で次々指示を飛ばしているジゼルの気配を気にしながら応えた。アイリーン周辺の警戒態勢を整えるとなれば、王女の盾であるエレノアの出番だ。
「本当は特別休暇でも出したいところだけれど、見てのとおりなの。だからせめて、今日だけでも休んでね」
「はい・・・」
なおもエレノアが後ろ髪引かれるような顔をしていたからだろうか、アイリーンは思いついたように頼み事をした。
「そうだわ、もしよければ、一つだけお使いをしてくれると助かるのだけれど」
エレノアはガーラント家へ帰る道すがら、馬車をあるところへ寄らせた。
アイリーンに頼まれたお使い先は、王都の富裕層に人気のチョコレート専門店だった。
エレノアも何度か口にしたことがあるが、少しお高いけれどもその分口溶け、濃厚さ、どれをとっても最高に美味しい。素材の組み合わせ方も絶妙で、その上繊細な細工も得意ときている。
頂き物でもらったことはあっても、店を訪れるのは初めてだった。クリーム色の可愛らしい扉を入れば、ショーケースの中に宝石のようなチョコレートが並んでいる。
まだ開店間もない店内には、すでに先客が居た。
「あら・・・」
扉の開く音に振り返ったその客を見て、エレノアは瞬いた。
「お久しぶりです、ディラン様」
赤毛の美青年もまた、エレノアを見て軽く目を見開いた。
「やあ、エレノア嬢。一人?」
「ええ。お遣いなのです。数箱見繕ってきて、ですって」
誰のとは言わなかったが、ディランは察したらしかった。
「それなら、お薦めはこのあたりかな」
ディランは迷いなくいくつかの商品を指さしたので、エレノアは素直にそれを注文した。
そう言えば、最初にこの店を知ったのもディランの手みやげだったから、ここは彼の行きつけなのだろう。それに、アイリーンの思い人で、幼なじみでもある彼なら、好みも把握しているだろうと思ったのだ。
店主が商品を詰めるのを待つ間、エレノアはどうしても気になっていたことを口にした。
「あの、ディラン様はどなたかへの贈り物ですか?」
ディランの前にはたくさんの小箱が山になっている。そこに店員がせっせと可愛らしい赤いリボンを結んでいた。
彼は焦る風でもなく微笑んで見せた。
「そう。ここのチョコレートは女の子に好評だからね」
あまりにてらいなく返され、自分で聞いておきながらエレノアは反応に困った。
春先に噂になった建国祭の女性が気になっての質問だったのだが、そもそもアイリーンにとってディランは思い人だが、彼にとってのアイリーンがどういう存在なのか、エレノアには分からなかった。そのため、この反応がやましいことがないせいなのか、それともアイリーンをどうも思っていないせいなのか、判断しかねた。
エレノアは話の方向を変えた。
「ディラン様は、最近お仕事の方はいかがですか?」
「まあ、ぼちぼち本来の仕事を始めたってところかなあ」
「それでは、お忙しいのですね」
「エレノア嬢ほどではないよ」
それからしばらく、治癒魔法についてディランが質問をしてきたのでそのことを話し、そうこうするうちにエレノアの分の商品が詰め終わってしまった。
ディランに挨拶をして店を出ながら、エレノアは無力感にさいなまれていた。自分にもっと話術があれば、ディランからなにかアイリーンのためになることを聞き出せたかも知れないのにと思ったのだ。
「それでも、これで少しは元気を出していただけるかしら」
今日も難しい表情をしていたアイリーンを思いだし、エレノアはチョコレートの詰まった箱を見つめた。
その夜、エレノアは屋敷の書庫から新たな本を持ち出した。
【聞き出す話術、人の心を読む方法
読心術の基本~
最初に大きな質問をすることは、相手に警戒心を抱かせることがある。
小さな質問を慎重に重ねることで、相手からより多くの情報を引き出すことができるのである。これこそが、安全で確実な読心術の基本だ。】




