過去の人~エレノアの場合2
【過去の人~
「シーラが・・・?」
フリアンはその名を聞いて顔色を変えた。彼女がたった今去っていったという方向へ呆然と目をやる彼に、ユリアは胸騒ぎを抑えられずに呼びかけた。
「フリアン様・・・」
ユリアが呼びかけるも、彼は憑かれたように玄関へと戻っていく。
「どちらへ行かれるのですか?」
ユリアの問いかけもむなしく、彼の背中は振り返ることなく遠ざかっていった。】
治癒院を開設したときはまだ春だった。試行錯誤するうちにも季節は流れ、気がつけば夏がやって来ていた。
夜会の多くは王都で行われるが、都からそう遠くない高位の貴族は領地に客を招いて夜会を催す。
ホールデン領もその例に漏れず、治癒院の関係者も招待を受けた。
関係者に招待がいくということはイザベラ・ウォーカーも父親に連れられて来られるということで、ファレルは大層気乗りしない様子だった。
しかし、もうすぐ治癒院の試行も無事終わるとあり、世話になった領主の誘いを無下にはできないと、全員参加を申し渡したのだ。
そこでエレノアも、イングラムの祖父母から贈られてきたドレスに身を包み、会場に入った。
青い清楚な印象のドレスは素敵だし、侯爵家の夜会は豪華だった。
しかし、エレノアは落ち着かなかった。この日はエスコートが居なかったこともある。同伴者不要の夜会ですでに未成年ではないとはいえ、今まで婚約者か家族のエスコートなしに参加したことのなかったエレノアは緊張していた。ハロルドに頼む手はあったが、ファレルやリリーの顔が頭に浮かんでしまい、なんとなく頼みづらかったのだ。
何曲か誘いを受けるままに踊って、しばし休憩をとろうと壁際へ向かったエレノアは、近づいてきた人物に気付いて微笑みに気合いをこめ直した。
「あなたがアイリーン様の侍女?」
やってきたのはイザベラ・ウォーカーだった。赤い豪奢なドレスは持ち主の趣味なのかスカートが大きく広がり、王女の作った流行に乗ってふくらみを押さえたエレノアのドレスと比べると大層威圧的だった。
「ご挨拶申し上げるのはこれが初めてでしたね。エレノア・ガーラントと申します。お父様には・・・」
「そんなのはどうでもいいのよ」
家柄が上とはいえ、王女の侍女で父の職場の人間に対してなかなか尊大な態度である。エレノアは微笑の下で呆れかえった。
イザベラはじろじろとエレノアを上から下まで見回すと、嘲笑の形に顔をゆがめた。
「噂通りの、地味な人ね」
「まあ、お恥ずかしいですわ。私、噂になるほどのことなど、致しましたかしら」
通常ならば実際噂もちのエレノアにとってこのとぼけ方は自滅ものだが、その噂の相手であるファレルに好意を寄せているというイザベラに対しては棘以外の何ものでもない。
案の定イザベラはドレスと同じくらい顔を真っ赤にした。
「!・・・あなたが、地味で間抜けな『亀』だって噂よ」
「知っていてくださって光栄ですわ。恥ずかしながら、アイリーン王女を守る亀と呼ばれておりますの」
「なんて変な人かしら。話が通じないわ」
「まあ、それは申し訳ありませんでした」
カーラ直伝の問答をしながらおっとりと微笑んだエレノアに、イザベラは鼻息も荒く去っていった。
「お疲れ様、お見事だったね」
エレノアは差し出されたグラスと手の主を見比べた。
「まあ、見ていたの?ジリアン。・・・これ、お酒かしら」
「もう飲める年でしょ」
どうぞ、と差し出されたグラスにエレノアはためらった。
17を超え、飲酒を咎められる年ではなくなったが、公の場で酒を飲んだことはまだなかった。エレノアが口にしたことのある酒はせいぜい紅茶に垂らした数滴か、ボンボンやケーキに入った分位だ。
正直先程のやりとりでのどは渇いているが、同伴者も居ない会での飲酒には抵抗がある。
「私、やっぱり・・・」
エレノアは断ろうと口を開いた。
そのとき、広間の中央でざわめきが起きた。
何事かと振り向いたエレノアは、次の瞬間、紫の目をかすかに見開いた。
ざわめく人々の中央、皆の視線の先に居たのは見知った男女だった。
ハロルドが、リリー・ホールデンと踊っていたのだ。
エレノアは見てしまった。
リリーの薔薇色に輝いた頬を。
それから、彼女を穏やかに見つめるハロルドの青い目を。
二人の踊る姿はまるで、月夜と太陽を模した精巧な人形が踊っているようで、背格好といい、美しさといい、とても・・・
「なんてお似合いなのでしょう」
そう、似合っていた。
ほうと漏らされた無数の溜め息とこの言葉を、エレノアの耳はしっかりと捉えてしまった。
何も見えなければいいのに、何も聞こえなければいいのにとエレノアは思った。そうすれば、こんな胸の痛みも感じなかっただろうから。
二人が華麗に回る、その度にエレノアの胸を何かがえぐっていく。そしてそれが何故なのかも考えられないのに、痛みは熱さとなって体中を駆け抜ける。
考えられない、考えたくない、そして考えてはいけないともう一人の自分が叫ぶ。今ここで答えを知れば、自分が平静を取り繕えない予感があった。
思考を放棄したエレノアは、頭のてっぺんから足の先までがまるで燃えているようなのを感じた。
そしてその熱さをごまかそうと、彼女は近くにあったグラスに手を伸ばし、それを飲み干した。
「エレノア嬢、いける口なんだ」
ジリアンは嬉しそうにそう言うと、別のグラスを渡してきた。
「ありがとう。きれいな色ね」
さっき飲んだものの味などわかりもしなかったが、どうやらジリアンに勧められていた酒だったらしい。苦くもなかったし、特に問題を感じなかった。そのため、エレノアは次のグラスも口に運んだ。
一刻も早くこの身の内の熱をどうにかしなくてはと、そう思っていた。
二杯目を飲み干し、ほんの少し涼を得たエレノアは、ジリアンから次の杯を受け取ろうと手を伸ばした。
しかし指先が触れたのは冷たいグラスではなく誰かの熱い手だった。




