過去の人~エレノアの場合1
【過去の人~
シーラと名乗ったその女性は、ユリアより少し年上だろうか。物憂げな顔もまた、彼女を魅力的に見せていた。
「貴女にお会いしてみたかったの」
女性に言われ、ユリアの心臓がどくんと鳴った。
貴女は誰、何をしに来たの、あの人の何、聞きたいことは山ほどあって、けれどそのどれもが喉に詰まってでては来ない。
無言で見つめるユリアをどう思ったのか、女性は笑った。
「可愛らしい方。安心しましたわ」
その微笑んだ顔を見て、ユリアははっと気付いた。
彼女こそ、フリアンの古いロケットの少女・・・『思い出の君』であると。】
「ごきげんよう。ハロルド様はいらっしゃいます?」
休暇明けのその朝、小さな顔を覗かせたのはリリー・ホールデンだった。
そういえば前回リリーは、今度はハロルドに礼を言いに来ると言っていたのだ。
「この前は、ハロルド様の休暇だと伺っていた日に伺いましたのに、お留守でしたからがっかりしてしまいましたわ」
「申し訳ありませんでした。リリー様・・・」
しょんぼりとした顔で言ったリリーに、彼の休暇を教えたエレノアは罪悪感を覚える。ハロルドよりも幼い彼女は、エレノアにとって妹のシンシアのように庇護欲をあおられる対象で、そんな彼女に自分が原因で悲しい顔をさせたことは心苦しかった。
しかしリリーはすぐに花咲くようににっこりと笑った。
「でも、いいのです。今日こうしてお会いできたのですもの」
明るい笑顔が向けられた先を振り返れば、誰かに呼ばれたらしくハロルドが出てくるところだった。
「ハロルド様!」
「お久しぶりです、ホールデン嬢。どうなさったのですか」
リリーは、可愛らしい顔を紅潮させてハロルドに話しかけている。
そんな彼女に、ハロルドの方もまんざらでもないのか、にこやかに対応している。
エレノアは唇の端を微笑の形に持ち上げつつも、胸にもやもやとしたものを感じた。さらには彼がエレノアをちらりと伺ったので、自分が邪魔者に思えたエレノアはそっとその場を離れることにした。
施術用の寝台の方へと下がれば、衝立の側でジリアンが野次馬を決め込んでいた。
「若いっていいなあ」
「貴方もほとんど違わないでしょうに」
ジリアンの軽口に苦笑して返しながら、エレノアはこっそり傷ついていた。
男であるジリアンはまだ若いためこれは冗談になるが、世間から見て、エレノアは未婚の娘としてすでに『若い』『初々しい』と言われる年でなくなりつつあるのだ。
エレノアは少ししょっぱい思いで、二人の様子から目を逸らした。手元に目を落としながらエレノアは、若さが眩しかったせいよ、と自分の行動をごまかした。
しかし目を伏せて寝台の皺を直していても、その光景は目に焼き付いて離れず、白い敷布の上に蘇ってきた。リリーのその場を明るくするような笑顔は、ハロルドの硬質な美貌も温かくみせるようで、二人が並んだ姿は似合いに思えた。
まるで令嬢ユリアと騎士フリアンのよう、とエレノアは考え、嫌なことに気付いてしまった。
そのたとえに当てはめるなら、自分は主人公の恋路に立ちはだかる邪魔者ではないのかと。
二人がユリアとフリアンなら、エレノアはさしずめ、彼らの間に陰を落とす、思い出の君シーラである。
考えてみれば、とエレノアは胸の中で呟いた。
自分は年上だし、家格も下だし、そんなところまでシーラに似ている。残念なことにシーラのような物憂げな美貌はもっていないが。
ハロルドはエレノアに求婚したが、それは一度断った。つまり過去のこと、とも言える。アイリーンに『恋をなさい』と命じられたとき、自分は真っ先に求婚してくれた二人を思い浮かべたが、考えてみれば一度断った身でおこがましい話だったかもしれない。
自分は過去。ハロルドにとって、過去の人間で・・・リリーにとっては、思い人との間に立ちふさがる邪魔者なのだろうか・・・
エレノアは、陰にこもりかけた思考を断ち切ろうと、頭を振った。
それから寝台の上の掛布を手に取ると、衝立の向こうから聞こえてくるリリーの華やいだ声を意識から閉め出すように、ばさりと音をたてて広げた。
「お前、あのホールデンの姪には普通だな」
大抵無視か完全な他人行儀で線引きするのに、とファレルに指摘され、ハロルドはああと説明する。
「あの人はエレノアに嫉妬していないから」
ハロルドの中では、令嬢たちはエレノアに害をなすか否かで識別されているらしい。治癒院の外の黄色い声の集団が数日で居なくなったのは、何かしら彼が手を回したのだろうと思っていたが、その基準を聞いて納得した。
「なるほど」
頷いたファレルは、それからぼそりと呟いた。エレノアは誤解していそうだが、と。
ファレルの予感は的中していたが、肝心のハロルドはそのことに気付かずに言い返した。
「ファレルこそ、イザベラ嬢のことはきちんとしておけよ」
「イザベラ?誰だ」
本気で首を傾げたファレルを見て、ハロルドは呆れた。
「相変わらずだな。イザベラ・ウォーカーと言えば分かるのか」
「ああ、ウォーカーの娘か。それでその娘がどうした」
「ウォーカー同様、エレノアを敵視しているようだから」
「エレノアはそこらの令嬢の嫌味くらいでどうこうされる娘ではないだろう」
なぜか我がことのように誇らしげに言ったファレルに、ハロルドの眉間に皺がよる。
「それとこれとは別でしょ」
「まあ、何かあったとしても腕輪が反応する」
ファレルがひらひらと振って見せたその手首には、エレノアの腕にはまったのとよく似た石が光っている。
それは王女を守る侍女であるエレノアに危機を知らせ、有事の際には戦力をその場に転移させるための魔法具なのだが、揃いであつらえたようなそれを改めて見て、ハロルドの眉間の皺はさらに深くなった。
「・・・魔法具でなかったら、真っ先に壊しているよ」
「ちゃんと、お前が最初に駆け付けるように設定しているだろう」
「当たり前だ。お前が行っても何にもならない」
機嫌を悪くしたハロルドはそのままいつもよりやや荒い足取りで行ってしまった。残ったファレルは顔だけ後ろへ向け、クリスに話しかけた。
「あいつ、もしかして今さら嫉妬したのか」
「もしかしなくても、そうでしょう」
クリスは主の当たり前すぎる気付きに、今さらながらため息をついた。
翌々日行われた報告会でも、ウォーカーとタガードの非難がエレノアに集中した。
彼らも治癒魔法の効果や実用化については、もはや文句がないようで、それは当初定めた試行期間が終わりつつある今、計画に携わる者たちにとって喜ばしいことだった。文官である彼らが納得すれば、普及のための具体的な政策が動き出すのだ。
しかし、他が順調な分、エレノアへの非難に時間が割かれたことは堪えた。
辛いのは、彼らの非難が事実だったからだ。いまだに男性患者はエレノアの治癒を受け入れない。そして、現地の魔法使いで満足な術者は育っていない。
前者についてはファレルの有能な侍従達が、事前に街に妙な悪評がまかれていたことを証明して庇ってくれた。
しかし問題は後者で、これは今後治癒魔法の普及を進める上で致命的な課題だった。
エレノアは父との会話を参考に、指導法を再考することにした。
「何故上手くいかないのかしら・・・お母様に治癒をした人たちは、上手くいったというのに」
ため息混じりに相談したエレノアに、父は思い出すように顎をさすりながら言った。
「手伝ってくれた使用人の皆は魔力があまり多くなかった。その方が制御しやすいし、上手くいきやすいのは確かかもね」
エレノアの母セリーナは長年原因不明の病に苦しんでいた。それは体内から出られずに蓄積し続けた魔力が原因だったのだが、昨年もはや臨終かというところで精霊に魔力を喰らわせるという力業で復活をとげた。その最後の手段が整うまでの間、意識を失った母の身体を治癒魔法で維持したのが、父と領地の使用人達だったのだ。
エレノアは、父の言葉を反芻した。
「そうね。確かに魔法省に入る人は、皆ある程度の魔力量でしょうけれど。でも、ハーディ様だって治癒魔法を使えるようになったのだから、使えないわけではないと思うの・・・」
父のウィリアムは魔力量も集中力も平均的だという。ただ、そのときは治癒の対象が母一人だったことから、複数の使用人と交代で魔法を使えばよく、持続力は問題にならなかった。
「制御と持続の両立が難しいんだね。そう考えると、エレノアはすごいね」
ウィリアムは、そう言って感心したようにエレノアを見た。
その褒め言葉はひどくこそばゆく、その場ではすぐに否定したエレノアだった。
しかし思い返してみれば、興味深い言葉である。
制御と持続。エレノアは発想を転換してみることにした。今まで、多数の患者を治癒するに足る魔力量の魔法使いに制御を習得させようとしてきたが、逆でもいいのかもしれないと。
ハーディは例外として、エレノア自身は亀のような大技が使えるものの、これは幼い頃に精霊に魔力を喰われた後遺症のようなものであって、本来魔力が人より多いわけではない。
ならば、制御に優れた人間に持続力をつけさせることを考えてもいいのではないか。
そう思って相談すれば、ハーディは面白そうに細い眼を見開いた。
「魔法の持続力?」
「はい。制御ではなく、持続力を伸ばす方法を考えようかと思うのです」
「へえ、いい着眼点かも。僕もその線で考えてみるよ」
「よろしくお願いします」
声を弾ませたハーディに、エレノアも嬉しくなった。
「ハーディ様。昨日の患者のことで少しお話があるのですが」
「うん?分かった、今行く。じゃあエレノア、また後で」
ジリアンに呼ばれて立ち上がったハーディを見送り、エレノアも仕事に戻った。
向かった先は、反対側の棟だ。国土部のホールデン領統括官に直接頼みごとに来たのだ。
こうした交渉ごとは、ハーディの補佐であるジリアンが担当してくれているのだが、彼は忙しそうだった。そのため残りの期間で指導しようと急いでいたエレノアは、出しゃばったことと思われるかと緊張しながらも統括官の部屋に入った。
すると統括官は、魔法使いとは思えない大柄な身体からがらがら声を出してこう言った。
「魔力量が多くない奴をよこせって?それは無理難題だよ」
エレノアは驚いた。
「まあ、何故なのでしょう?」
「何故なんでしょうってお嬢さん、あのねえ、国土部の仕事をご存じですかね?」
エレノアは考えた。国土の主な仕事は、魔力による街道の維持整備や転移地点や結界の管理だ。そう答えれば、彼は太い人さし指を突き出して付け足した。
「それと、転移魔法や結界に関わる魔力の補充だ。そう言えば分かるか」
「・・・もともと、魔力量の多い方が集まっていらっしゃるのですね」
今さら気付いたことに、エレノアは愕然とした。唯一治癒魔法を会得した彼が、例外だったのだ。
しかしなぜ今までこの事実を、誰も指摘しなかったのだろう。確かに指導についてはエレノアが専任していたが、上手くいっていないことは会議で皆知っていたはずだ。それに、魔法使いなら国土の特性も分かっていてもいいだろう。
確かに国土のあの老魔法使いは、会議で『異議無し』以外のことを言ったことがないけれど。
ハーディは・・・研究馬鹿なので他の部署のことなど知らなそうだけれど。
そう考え、エレノアは大股になりそうになる歩みを抑えつつ、次に浮かんだ人物のもとへ向かった。
「ごめん、皆俺より少なかったから・・・」
憤慨したエレノアに問いつめられ、ハロルドは申し訳なさそうにこう言った。
確かに、破格の魔力をもつ彼から見れば特筆すべきことではなかったのだろう。エレノアは毒気を抜かれ、ため息をついた。
「そうね・・・。それにもともとは、大事なことを自分でお願いに行かなかった私が悪いのよ」
エレノア本人が統括官に交渉にいっていれば、早くに分かっていたことだ。それをしなかったのは出しゃばりたくないと臆した自分の弱さで、ハロルドを責めるべきではなかった。
実のところ、彼が気付かなかったのはもう一つ、エレノアの指導を受ける魔法使い達への牽制と嫉妬で忙しかったからでもあるのだが、そんなことをエレノアは思いもしない。
「ごめんなさい、八つ当たりしたわ」
「いや。気付かなくて、ごめん」
ハロルドはすぐに許してくれたが、エレノアは反省すると共に大きく落ち込んだ。ジリアンにも、そういう事情とは気付かずに何度も無理な注文を伝えさせてしまった。
「ともかく、分からなかったときより前進したはずよね。あとは残りの日数で何を出来るか、考えるわ」
過ぎたことを悩んでも仕方がない、とエレノアはふるふると頭を振って歩き出した。
仕事にはいくらでも前向きになれる自分が、またしても他の大事なことを後回しにして逃げようとしていることに、エレノアは全く気付いていなかった。




