エレノアの事情
少し説明が多くなってしまいました。
エレノアの挫折から読んでくださっている方々、すみません。
恋をしろと言われても、とエレノアは密かにため息をつく。
エレノアには婚約者がいない。13の年から3年間婚約していた男性とは、昨年の秋に関係を解消した。
「婚約を解消して欲しい」
こう言った相手の表情を、エレノアはまだひとかけらも忘れていない。
理由は他に好きな女性が出来たという、貴族には珍しいが巷ではよくある話だ。ただし、これは相手が悪いとは言いえなかった。
エレノアが卒業後王女の侍女として勤め、長い間婚約者をほったらかしにしていたのだから。
相手の家は王家とのつながりを歓迎したが、当の婚約者本人は会える時間の少なさや城勤めに関わる機密事項などに耐えねばならなかった。さらにはそこに彼女の家庭にまつわる問題も絡み、すれ違いは重なり続けた。長い間ずっと彼は辛抱強く、優しく・・・対してエレノアは、鈍感すぎた。
そのため、捨てられたことは悲しくても、エレノアには相手を責めることができなかった。
その後二人の若者に求婚されたが、予想外の相手だったこともあり、エレノアは気持ちの整理がつけられずに迷った。そんなエレノアに、アイリーンは王女の侍女であるという断りの理由をくれた。
エレノアの唇から、再び小さなため息が漏れる。
アイリーンはあくまでも自分のためだ、命令だとの姿勢を貫いたが、いくら鈍いエレノアにも先刻の命令が王女の優しさだということは分かった。そうでも言わなければ、逃げ癖のあるエレノアがこのまま婚期を逃すのではと危惧したのだろう。
事実ここ一週間、休みはあったが家にすら帰っていない自分が仕事の虫になりつつあることを、エレノアも自覚している。また、貴族の令嬢には同じ17才ですでに子どもを授かっている者も珍しくないことも。せっかくアイリーンがくれた猶予を、仕事に没頭するだけで自分の心から逃げて過ごしては、アイリーンにも求婚してくれた二人にも申し訳が立たないというのに。
「エレノア、それはこちらへ」
先輩侍女のジゼルの指示通り、手入れの終わった衣類を運ぶ。
ジゼルはそれを、大きな衣装棚に一つひとつしまっていった。
「ジゼルさんは結婚なさっているのですよね」
エレノアは、ジゼルの指に光る指輪を見て言った。
基本的に王宮の侍女は、お仕着せを着たときに装身具を身につけないことになっているが、既婚者の印である指輪だけは別だ。過去に皆がそれを外していたために不倫騒動が起きたことが原因だとかなんとか、世情に疎いエレノアも小耳に挟んだことがある。
「そうよ」
「素敵ですね」
エレノアにも人並みに結婚や結婚指輪への憧れはあるのだ。ただし、あまりにも漠然としているが。
「そうは言っても、ほとんど別居状態だけれどね」
話しながらも手は止めず、ジゼルの手はどんどん衣装の山を片付けていく。しかし彼女は一瞬だけちらりとエレノアに視線を向けた。
「もしかして、さっきのため息に関係があるの?」
こっそりついたはずだったのに、この先輩にはばっちりばれていたらしい。エレノアは観念して頷いた。
「まあ、貴方の立場なら当然ね」
自分にまつわるあれこれが、どうやら王女の侍女仲間には筒抜けのようだと知り、エレノアの耳が赤くなる。しかし今度はすぐにさあっと青くなった。
「まさか、城中に知れ渡ったりは・・・」
「それは大丈夫よ。私たちは、アイリーン様がこの前貴方のお見合いへ乗り込む手伝いをしたから知っているだけ」
それも恥ずかしい話だったが、ジゼルから王宮の他の人間は婚約解消までしか知らないはずだと言われてエレノアはほっと息をついた。求婚者については、相手が相手だけになるべく知られたくない。
「よかったです。恥ずかしくて王宮内を歩けないところでした」
安堵に頬を緩めていたエレノアは、まあ怪しんでいる人間はいるでしょうけど、というジゼルの付け足しには気付かなかった。
仕事が終わり、エレノアは王宮内の自室に戻った。
昨年王女は長年の政敵を屠り、同時に国王がすすめた改革により敵対する勢力は数を減らした。
それにより、これまでその仕込みのために方々へ出向いていた王女の侍女たちが王宮へ戻り、さらに今まで味方と敵が混在していた部署の掌握も進んだため、王女の陣営の人手不足はかなり解消されている。
緩やかになった勤務態勢のおかげで、仕事後に余暇を楽しむ余裕も出来た。それは、多忙が交際を断り続ける理由にはならないということでもある。
エレノアはお仕着せから部屋着に着替えると、しばらく机の飾りになっていた本を手に取った。
以前取り組みかけ、訳あって読むことを中断していた本だ。
「努力は、しなくてはね」
自分に求婚してくれた人間を、むやみに避けるのは不誠実だ。それに、大切な主であるアイリーンにも心配をかけている。
逃げるわけにはいかない。
エレノアは真剣に机に向かうと、恋愛小説を読みふけった。