休日~エレノアの場合
【休日~
「ユリア、一緒に出かけないか」
「でも、お仕事が・・・」
「この家の主は誰だと思っているの?主と出かけるのも、立派な仕事だよ」
「何をしに行くのですか?」
ユリアは嬉しさに頬を緩めつつも、あまり帰りが遅くなってはいけないと思って尋ねた。曲がりなりにもフリアンの屋敷の侍女として、ようやく少し仕事を覚えてきたところだ。
「いつも頑張っているユリアへ、ご褒美だよ」
着いてのお楽しみだと笑ったフリアンに連れられ、ユリアは街へと馬車で繰り出した。】
ホールデン領に出張中の彼らにも、一応休日というものはある。軌道に乗るまではと皆現地を離れなかったのだが、このたびエレノアは上司命令で連休を自宅で過ごすことになった。
当初上司である第二王子は、彼女を長期休養させようとしたのだ。しかし、ハーディの治癒魔法で熱の下がったエレノアが頑として頷かなかったため、休暇を実家で過ごして身体を休めるという約束に落ち着いたのだ。
ハロルドは、彼女を実家に送り届けるための付き添いとして、久々にガーラント家の敷居をまたぐことになった。エレノアとしてはなるべくなら彼を避けたかったのだが、理由を言うのも恥ずかしい気がして、黙っていた。そのため車中はなるべく目を合わせないように具合の悪いふりをして過ごした。
馬車が停まると、すぐに玄関の扉が開いた。
現れたウィリアムはハロルドの姿を見るや、こう言った。
「やあやあ、これはイングラムのお坊ちゃまではないですか。こんなところに何のご用ですかな!」
ウィリアムの大人げない態度に、周囲からため息が漏れる。未だにハロルドの実父ウィリアムは、彼が養子に行ったことを根に持っているらしいのだ。
しかしセリーナが、そんな夫の態度をすぐにたしなめる。
「あなたったら、まだそんなことを言って。・・・ハロルド、久しぶり。さあ入って。エレノアは疲れたでしょうから少し休みましょう」
エレノアは母に促され、自室に直行した。
すでに熱は下がって、本当なら久々の帰宅となったハロルドと父の仲立ちをすべきところだったが、その気力がわかなかった。そのためエレノアは逆らわずにアンの手を借りて階段を上った。
「大丈夫よ。あちらにはシンシアがいるから。それにウィリアムだって拗ねているだけで、本当は会えて嬉しいのよ」
階下を振り返ったエレノアに、彼女の心配を見越した母はそう言った。
父の心情はエレノアには読めなかったが、確かにハロルドの帰宅を待ち望んでいたシンシアの手前、父もあれ以上の攻撃はしないだろう。エレノアはそう考え、安心して寝台に横になった。実際、身体はすでに元気なものの、まだ頭の方は思い詰めたときのように痛んだ。
「お母様・・・」
「なあに?」
エレノアはしばらくためらっていたが、その間母はずっと黙って待っていてくれた。
母の微笑みに励まされて、エレノアは重たい口を開く。
「あのね、最近、ハロルドの行動が分からないの。急に不機嫌になるし」
「あの子の不機嫌な顔なんて今さらではないの」
「気付いていたの?」
エレノアは驚いた。ハロルドがしかめ面になるのは自分に対してばかりだったから、てっきり母は知らないと思っていたのだ。
彼女がそう言えば、母はくすくすと笑った。
「確かに分かりやすいほど貴女に関してばかりだったけれど。あの子、貴女が昔庭師の息子と仲良くなったときすごい顔をしていたもの」
母がきちんと知っていたことと、それについてハロルドを悪く思っていない様子にエレノアは再び安心し、ぽつりぽつりと話を続ける。
「最近はそう険悪ではないはずなの、基本的に優しいし・・・でも、そうかと思えば急に不機嫌になったり・・・困るようなことをしたりするのだもの」
ふいにガタンと大きな音がしたので、エレノアは驚いた。
アンがお盆を取り落としたのだ。
「アンったら、大丈夫?」
エレノアがアンに尋ねている間に、母は目を丸くし、まああの子なら別にいいけれど、などと呟いていたが、エレノアには聞こえなかった。
「一応確認しておきたいのだけど、エレノアはその、困るようなことをされるのが嫌かしら?」
エレノアは少し考えてから首を横に振った。
「どうしたらいいのか分からないし、びっくりするから困るけれど・・・嫌では、ないわ」
母は娘の顔をまじまじ見つめて頷いた。
「そうなの。それなら、何も言わないわ。ただ、少しでも嫌なときは外聞など気にせず大声で助けを呼ぶこと」
「オレンジを食べるのに助けを呼ぶの?」
不思議そうに首を傾げたエレノアに母とアンは拍子抜けしたように息を吐いた。
「ああ、そう・・・私はてっきり・・・。ではそうね、どんなときにハロルドは不機嫌になるのかしら?」
母が話を変えて尋ねたので、エレノアは考えこんだ。
「ジリアンに・・・同僚の魔法使いでハロルドの同窓生なのだけれど、彼に関係があるときが多いかしら・・・ねえ、お母様ったら。何か分かっているのなら教えて」
母がアンとうなずきあっていたので、エレノアは子どものように答えをせがんだ。
母は娘の白い頬を撫でて微笑んだ。
「エレノア。貴女はハロルドを嫉妬させているのよ」
エレノアは眉を下げた。
嫉妬の感情はエレノア自身馴染み深いものだった。自分も幼いころから出来の良いハロルドに嫉妬してきたのだから。しかし、ハロルドのような行動はとらなかった。
そう訴えれば、母は困った子どもを見るような目をした。
「あのね、ハロルドはジリアンに嫉妬しているのよ」
「・・・つまり、ハロルドはジリアンと仲が良くないということね?」
「半分違うけれど、まあそう思っておいてもいいわ」
母は半ば諦めたように言うと、エレノアの焦げ茶の髪を撫でた。
「貴女には大事な時期に何も教えてあげられなかったものね」
その声音に深い後悔を感じて、エレノアは母の手を握りしめた。母はエレノアの思春期、本来なら女親として社交会デビューから人との付き合い方、男女の関係など様々なことを教える時期に病に臥せっていた。エレノア自身そのことを理解できずに恨んだこともあった。しかし今は、母が病に伏せりながらも母なりに自分たちを思って行動していたと分かっているし、母の病を乗り越えたからこそ現在の家族や自分がいると思っている。
だからエレノアは母に悲しい顔をさせたくない一心で、力を込めて言った。
「心配しないで、お母様。私、ちゃんと小説を読んで人間関係も勉強中だから」
母はいとけないものを見るように目を細めた。
「そう。貴女は相変わらず頑張り屋ね。でも、本もいいけれど、直接相手に尋ねることも大切よ」
エレノアははい、と素直に返事をした。
そんな彼女に母はふと表情を改めた。
「私たちは貴女の気持ちに任せようと決めたの。最初の婚約は、私の一存で良かれと思って決めたけれど、貴女の気持ちを置き去りにしていたわ。今の貴女は王女様の侍女としての道を自分で切り開いているし、私も前と違ってしばらくは領地を経営できるから、貴女を守ってあげられる。だからエレノア、貴女は好きに生きていいのよ。誰を選んでもいいし、選ばなくてもいいの。何を決めても、私たちは貴女の選択を受け入れるわ。もちろん、ウィリアムも、ね」
エレノアはなぜ急に母がその話を始めたのかは分からなかったが、母の言葉にこぼれそうになる涙を必死でこらえた。母の言葉がうれしかった。同時にほんの少し、家族や家を理由にしないで、自分一人の気持ちと向き合わねばならないことが心細かった。
「私、ちゃんと決められるかしら」
「大丈夫。その時がくれば、分かるものよ」
その時がすぐ近くまで迫っていることを、エレノアはまだ知らなかった。
部屋で一休みしてすっかり顔色の良くなったエレノアは、母とアンと共に一階へ降りた。
良くも悪くも前向きな彼女は、とりあえずするべきことさえ見つければ立ち直れる。エレノアは、とにかくハロルドの前でジリアンと仲良くしなければいいらしい、と解釈して元気になった。
階段を下りきると、ウィリアムの声が聞こえてきた。
「お前がそんな子だとは、父さんは、思わなかったんだからな!」
「はいはい」
「また、そうやって適当に流して、父さんに相談無しにとんでもないことをするんだ・・・!」
「まさか。あんな決断、人生に一度きりだよ」
続いて聞こえてきた父のすすり泣く声に、三人顔を見合わせる。
予想に反して、泣かされているのはウィリアムの方だった。もっともハロルドは何も攻撃していないようだし、逆にハロルドが泣かされる姿も想像できないが。
部屋に入れば、シンシアが困ったように父親の背中をさすっていた。
その光景を見て、エレノアはうちのシンシアの優しさと愛らしさはまさに天使、と感動し、母はさっさとウィリアムをたしなめに向かった。
「あなた。エレノアをあまり驚かせては疲れてしまうわ」
その言葉に父ははっとしたように振り返ると、すぐにエレノアを自分の隣、ハロルドから最も離れた席に座らせた。
「・・・」
そしてウィリアムは、不満げな顔をしたハロルドにうれしそうな顔をする。
「何か文句でもあるのかな?ああ、うちの娘をあまりそうじろじろと見ないでくれないか」
「顔色が戻ったと思って見ていただけ」
「医者でも治癒魔法の使い手でもない君にそんな心配をしてもらわなくても結構だよ」
若干悔しそうな顔になったハロルドを見て、ウィリアムはふふんと得意げに笑った。そう言えば彼は、セリーナの病の根本解決までの間、エレノアの伝えた簡易的な治癒魔法で彼女の命を維持していたのだ。
「・・・お父様、急に楽しそうだわ」
「息子との新しい遊びを見つけたみたいね」
エレノアは、呆れたように交わされた母と妹の言葉も、言い合う父とハロルドの言葉も、どちらの意味も分からないまま座っていたが、すぐにはっとして立ち上がった。
「そうだわ!お父様なら分かるかもしれない」
何事かと集まった家族の目の中心で、エレノアは眼をきらきらさせて言った。
「治癒魔法の指導法!」
エレノアは両手を胸の前で組み、まるで恋する乙女のように頬を紅潮させて父に迫る。
「お父様の魔力量はどのくらい?治癒魔法を使えるようになるまで何日くらいかかったの?何をしたら使えるようになったか、覚えている?」
「え・ええ~と・・・?」
「使用人の皆にも治癒を手伝ってもらったと言っていたわよね。どうやって覚えてもらったの?どんな人が使えるようになったの?」
せっかくの休日も結局仕事に費やそうとするそんな姉の姿に、シンシアは少し心配そうに呟いた。
「・・・お姉様、お仕事と結婚するのかしら」
「やっぱり休日って最高ね!」
妹の端的な呟きも、興奮したエレノアには全く聞こえていなかった。




