突然の客人~カーラの場合
恋愛運二重丸、仕事運×、幸運の鍵はもっと目深なフードだったらしい。カーラは自分の運勢を冷静に分析した。
この日カーラは昼前にホールデン領に着き、調査を開始する予定だった。前日の夜にエレノアの転移魔法申請とともに体調不良が王女のもとへ伝えられたため、苦境の彼女を少しでも助けようと思ったのだ。幸いなことにホールデン領は転移魔法を使わずとも王都から馬車で半日とあり、カーラはアイリーンから独立部隊として自由に動く権限を与えられている。そのため、この機会に気になっていたことを調べることにしたのだ。
それで魔法省の駐在施設近くまで行き、職員がよく行くという食堂に潜伏しようというところで、問題が起きた。
カーラは先ほどから無言で馬を走らせている人物を見た。
カーラはいつものように路地裏でフードを被り、魔法で、黒髪に特徴のないぼんやりとした顔の男に姿を変えた。路地から数百歩先にはホールデン領に新設された治癒院があり、その近くで情報を収集しする手筈だった。
しかしさて行こう、と路地から一歩出たところでホールデンにつかまった。
彼は自分の両親が治める侯爵領での治癒院試行を見に来たのだろうが、運の悪さにカーラは呻いた。さらに運の悪いことに、そこへハーディが通りかかったのだ。
「あれえ?ホールデンじゃないか。なに、実家に顔出し?」
そう声をかけてきた彼は、さらにこう言った。
「休憩で外に出たら怪しい気配を感じてこっちに来てみたんだけど、お前だったのか」
「新しい防御魔法を試しているんだよ」
ホールデンが自分の魔法だとごまかしたのでハーディは納得して去っていったが、カーラはほんの少し冷や汗をかいた。
その後ホールデンは無言でカーラを馬に乗せ、今に至る。
やがて馬は郊外に出た。
見渡す限り麦畑になったところで、彼は馬を止めてカーラをおろした。
「さあて、何か言い分があるなら聞こうか」
普段よくしゃべる人間の無言でかなり神経をすり減らされていたカーラは、ため息混じりに謝った。
「ご迷惑をおかけしました」
ホールデンはその答えが気に入らなかったらしかった。
「迷惑どうのという話じゃないよね。さっき出てきたのが敵対する人間で、僕がいなかったらどうなっていた?」
カーラは頬に手を当てた。
「ハーディ様やホールデン様でなければ、気取られたりは致しませんでしたわ」
思った通りを述べたカーラだったが、ホールデンはまたもやお気に召さなかったらしい。
ホールデンは、彼には珍しいほどの渋面を見せた。
「そんな保証はどこにもないよ。前にも言ったよね、本職の魔法使いには魔法の気配に鋭いやつもいるって。もし術を見破られたら、君は一気にスパイ容疑で捕らえられるところだった」
カーラは呆れた。
「スパイですもの、そんなことは承知の上です。それにそうならないように、対策もたてていますわ」
カーラとて、最悪の場合の備えはしている、怪しい魔法の気配のもとは言い訳として持ち歩いているし、逃走の手段もある。自分の仕事を馬鹿にされたようで、カーラは少しむっとした。けれど表面上はいつものようにおっとりと言った。
「・・・他に方法があるのに、敢えて危険を冒すのは感心しないと言っているんだ」
「人を使えば情報が漏れる危険が増しますし、人を介した分だけ精度が落ちます。敢えてとおっしゃいますが、私にとってはそれこそ敢えてですわ」
カーラも一人の諜報係として、キャンベル家の情報網や信用のおける手足は持っているし使っている。本当のことを言えば、今回は友人の手助けをしたいというカーラ個人の思いだったから使わなかっただけのことだ。
ホールデンはため息をついた。
「どうして君はそう・・・」
ため息に対する少々の不満を込めて、カーラは言った。
「私、これでも先生の優秀な教え子のつもりですのに」
ホールデンは無言で首を横にふった。
「違いましたか?」
「いや。残念ながら、君は本当に優秀な教え子だよ」
カーラとしては、何が残念なのかと言いたいところだ。
思い人が心配してくれるのはもちろん嬉しい。普段はまずありえない一頭の馬に相乗りという状況も、普通なら最高に胸がときめくはずだ。
けれど、今のカーラはうれしさよりもときめきよりも、悲しみを感じていた。
どうしても、ホールデンは、カーラの技を認めてくれない。カーラにとって彼は、自分を見出してくれた、最も認めて欲しい人なのに。優秀な教え子だと言いながら、技を使うな、残念だと言う。もう自分は大人で、彼が危険を心配したり罪悪感を抱いたりする必要はどこにもないのに。そう伝えてきたというのに、彼はなおもカーラを認めようとしないのだ。
カーラはこっそりとため息をついた。しかし今日のところは説得を諦めた。ハーディに不審がられた事実がある分、分が悪いからだ。
それで、カーラは頬に手を当てて首を傾げて見せた。
「ともかく、そろそろ街に帰らないと夜になってしまいますわ。乗せてくださいますか?」
ホールデンはため息を隠そうともしなかった。
「・・・お嬢様の仰せの通りに」
甘い甘い容貌に、ちらりと苦みが混じる。その様を素敵だと思いつつも、カーラの悲しみは拭えない。
二人を乗せた馬車は街に着いた。
目立たぬよう魔法省から少し離れた路地で止まれば、往来から人の声が聞こえてきた。
「やっぱり、女の方の魔法使いは駄目って話だぞ」
「隣の家のかみさんは効いたって話だけどなあ」
「そりゃ、女子どもは雰囲気だけで治ったような気になっちまうもんだからさ」
「そうなのか?若い女の子に手を握ってもらうだけでも元気になりそうだがなあ」
「お前、それは違う意味だろうが」
ひとしきり笑った後、彼らの声は遠ざかっていった。
「・・・多難そうだな」
エレノアを思ってか気遣わしげに言ったホールデンと対照的に、カーラは押し黙っていた。
「カーラちゃん?」
「・・・どこからそんな話が出るのでしょう。治療を受ければエレノアが駄目などでないことは分かるはずです」
「それだけ、この国では女性への風辺りが強いんだろう」
ホールデンの言葉に、カーラは首を傾げた。
「そうでしょうか。確かに貴族には完璧な淑女を良しとする風潮が強いですが、庶民は女性も働かなければ生きていけません。それなのに女の魔法使いが駄目などと噂が立つものでしょうか?」
カーラは仕事柄、一人で街を歩くこともある。そうして庶民のものの見方に接したこともある。それだけに、今の会話には違和感を覚えた。
「駄目だ」
「あら、まだ何も言っていませんわ」
何も言う前に却下され、カーラはとぼけた。しかしホールデンは譲らず、彼女の腕を確保した。
「まあ、放してくださいませ」
恥じらうそぶりを見せるも、ホールデンはため息をつくだけ。
「あのね、今さらそんな演技が通用すると思ってる?」
「演技だなんて」
「僕もそこそこもてるので、本当に恥ずかしがって言っているのかくらい分かりますよ、お嬢さん。放したらあの連中のあとをつける気でしょうが」
そこそこもてる女慣れした人ならば、自分の恋心にも正しく対応して欲しいものだとカーラは内心皮肉った。けれど口ではこう言った。
「ご多忙なホールデン様にここまで送っていただいて恐悦にございますわ。これ以上一侍女のために貴重なお時間を頂くわけには参りませんもの。私、本当にこの辺りで失礼しようと思っていたところですの」
そうしてやや強引に会話を幕引きにしようとしたのは、さっきの男達を早く追いかけたいからで、普段なら彼との会話を無理矢理終わらせようだなんてそんなもったいないことは考えもしないが、そこはカーラも王女の侍女としての自負がある。
今はあちらが優先と、そのまま礼をとった流れにのって立ち去ろうとしたのだが、彼女の身体はふわりと浮き上がった。
「ご多忙な侍女様には悪いけど、もう夜なのに得体の知れない連中を追いかけるだなんて危険な真似はさせられないよ」
「ホールデン先生!おろして下さい!」
カーラの身体はホールデンの腕の中に収まってしまっていた。
「あのねえ、カーラちゃんももうお年頃なんだから、明らかに酔っぱらった男達にあんまり近づいたら駄目だよ」
年頃といっておきながら子どものように抱き上げる貴方はどうなのだと、言いたいけれども言ったら一気に赤面してしまう気がして、カーラは必死で言い募った。
「おろして下さい!」
しかしホールデンはこう返してきた。
「ねえ、おろして君があいつ等を追いかけて、君の主はそれを喜ぶの?」
カーラは黙った。
アイリーンにカーラは情報を入手する手段を告げない。言えば王女が、友人が、苦しむことを知っているからだ。王女は優しい、けれど統治者になる人間として、仕事には非情にならなければならない。カーラが手に入れる情報、カーラが行う侵入がアイリーンが女王になって理想の国作りをするために必要ならば、王女は心を痛めつつも命じるし、カーラは喜んでそれを引き受ける。
敢えて苦しませたいと、カーラには思えない。だから言わずに済む限り危険なことをしたとは言わない。
急に大人しくなったカーラを、ホールデンは軽々と馬に乗せた。
「・・・カーラちゃんに危険なことをして欲しくないのは、僕も同じだからね」
ここに来てそんなことを言うのは反則だ。
カーラは脱力してしまった。
急にぐったりと疲れを感じて、大人しく聞き返す。
「・・・宿まで送って下さいますの?」
「いや、今日はうちの屋敷に泊まっていきなさい」
「まあ。ご迷惑では?」
ホールデンの屋敷といえば領主の屋敷で、当然彼の親兄弟もいるだろうに。そう思って尋ねれば、彼は前を向いたまま、夜中に抜け出されるより母親の詮索に耐える方がいくらかまし、とぼやくように呟いた。
賢いカーラはそれを聞かなかったことにしてあげた。
そして、自分の逃した情報収集の機会をどう挽回するかと算段しつつ、この場は王女の特別ルールに従ってホールデン家の客人になっておこうと考えるのだった。




