突然の客人~エレノアの場合1
「今日は文官殿が来る予定だよ」
朝一番にハーディに聞かされ、エレノアは気合いを入れ直した。
文官二人はどちらもエレノアの登用に否定的で、何かしら嫌みを言われるのは決まっているのだ。ちなみにその一人ウォーカー氏は、カーラの調べではファレルに娘を娶せたいらしく、それがエレノアを疎んじる理由の一つになっているようだ。
「それでは準備をしますわ」
前回、椅子の用意もないのかとなぜかエレノアに文句を言った彼を思い出し、早速物置へ向かう。言えば誰かしらやってくれるだろうが、彼女の正確が人に頼ることを良しとしない。
二階の物置から重い肘掛け付きの椅子を廊下へ運び出し、エレノアはふうと息をついた。侍女仕事で見かけより腕力のある彼女にも、木と革で作られた上質の椅子はなかなか手強い相手だった。
エレノアは扉を閉めようと、一度廊下に椅子を下ろして戸口に立った。
ちょうどそこへ慌ただしい足音が近づいてきたので、何事かと階段の方を見る。三階は転移の間など重要な魔法具があるため、このように騒がしくなることはないのだ。
ふさわしくない場所を賑わして現れたのは、これまたそれにふさわしくない身分の人間だった。
「殿下・・・」
駆け足で階段から現れたファレルにエレノアは思わず呆れた声を出してしまった。
彼はその声にぱっと振り返ると、エレノアの姿を認め、飛ぶように寄ってきた。
そして彼女がたった今出てきた物置に、エレノアごと飛び込むと扉を閉めてしまったのだ。
エレノアは動転した。
「殿下?!」
「しっ!静かに」
ファレルの手のひらに口を抑えられ、エレノアはさらに動揺した。しかし先程のファレルの必死の形相を思い出したので、大人しく動かずにいた。
すぐに廊下にウォーカーと若い娘の声が響き、それでエレノアも大体の事情を察する。今日はウォーカーが来るといっていたから、彼とその娘の声なのだろう。それでファレルは転移してきた彼らから逃げていたというところだろうか。
もっと恐ろしい事態を心配していたエレノアは、ほっと息をつくと口を塞ぐ手のひらを両手でどかした。
それからエレノアは、狭い物置の中でファレルを見上げた。
「殿下に会いにいらしたのでは?あの・・・ええと、なんという方でしたかしら」
小声で言ったエレノアにファレルは忌々しげに首をふった。
「分からん。聞いた気もするが忘れた」
エレノアはこの王子が人の顔や名前を覚えるのがすさまじく苦手だということを思い出した。
「せめてご挨拶くらいなさっては?」
ファレルはエレノアをまじまじと見つめ、心底嫌そうな顔をした。
「挨拶しただけで連中にかかれば翌日には婚約間近の扱いだ。それにああいう娘には近づきたくない」
エレノアは驚きに目を見開いた。若い娘をからかったり触れたりするのが大好きではないのかと思ったのだ。
初めて会ったときからファレルはそんな態度だったから。
ファレルと初めて会ったとき、エレノアは13歳だった。学校でアイリーンが襲撃にあい、偶然近くにいたエレノアがとっさに王女を守ったのだ。防御魔法『亀』のお陰でなんとか王女を守りきったエレノアだったが、その後魔力切れを起こして王宮に運ばれた。
そうして目覚めたエレノアの部屋に突然やってきた天使、それがファレルだった。すぐに天使は寝間着のエレノアの胸元を凝視したことで変態へと下落したが、数日後王女の部屋に招かれたとき、そこでその変態が第二王子のファレルだとわかったのだ。
そんな昔のことを思い返していると、ファレルは軽く片眉を上げた。
「今、失礼なことを考えていただろう」
エレノアは即座に首をふった。
「滅相もありません。ただ、殿下は若い娘に近づくのががお好きだと思っていたものですから」
全く悪気なく言った彼女にファレルは呆れた顔をした。
「お前、俺をなんだと思っていたんだ」
エレノアは何かまずいことを口にしたらしい、と悟った。
確かに初対面でエレノアに『変態』と言わしめ、それからも神経を逆撫でする言動をとり続ける彼だったが、少しずつ大人になってきてはいる。以前より人前での行動に気を付けているようだし、仕事への取り組みも真剣だ。態度は大きいが、意外に優しいところもある。エレノアの中での彼の評価はそれなりに上がっている。
「あの、お仕事は真面目になさる方だと」
「・・・」
エレノアはなんとか取り繕おうとして言ったが、無意識に『仕事は』と限定してしまったことに気付かなかった。
そのためファレルの呆れは一層深まったようだった。
「何も、俺は誰彼構わず近づきたいわけじゃない。お前、まさかアレで俺の求婚を終わったことにしていないよな?」
エレノアは、曖昧に笑った。
出会いから4年、何故か求婚されるまでに至ったが、エレノアには彼の考えがいまだにわからない。中でも一番わからないのは、エレノアに求婚したことだ。エレノアの焦げ茶の髪を土の色と言い、例える花にアザミを選ぶ彼が、何故自分に求婚することになるのか、エレノアには理解できないでいる。
そのため、求婚自体が本気だったのか、正直なところ疑問に感じていた。
ファレルは大きなため息をついた。
「しばらくアイリーンに言われて離れていれば、これか」
「・・・申し訳ございません」
「本当にな。いいか、念のため言っておくが、俺はアイリーンの顔を立てて一端引いただけだ。求婚を取り消した覚えはないぞ」
「はい・・・」
ファレルは本気ではないかもしれない、求婚もいつものセクハラと同じからかいだったかもしれないと、エレノアは無意識に向き合うことから逃げていた。しかし、これでもう、逃げは打てなくなった。
ファレルは顔を赤らめたまま自分をまっすぐ見上げるエレノアに少し満足したらしく、頷いて扉の外の音を聞きにいく。
「やはりウォーカーは娘を俺に押しつけたいようだな。文官がお前にきつく当たるのはそのせいだから、気にするな」
「はい」
エレノアは言いながら、それでもタガードの態度はそれだけではないはずだとこっそり考えた。
カーラの様々な調べから、もう一人の文官タガードは文官としても伯爵としても、真面目な人間だと聞いている。その彼がエレノアに言う苦言はただの嫌みではないだろう。
「さて。俺は自室でクリスと合流して対策を講じる。お前は」
「ウォーカー様のために椅子を持って戻ります」
廊下にあったのと同じ重そうな椅子を物置に見つけ、ファレルは呆れたようにエレノアを見たが、気をつけろとだけ言った。
先に出たファレルからしばらく間をおいて戻ったエレノアは、最高に不機嫌なウォーカーから椅子が遅いと嫌みを言われた。しかし機嫌が悪い理由が分かっていたので、素直な気持ちで謝ることができた。
その日の午後、珍しい患者がエレノアのもとへやってきた。
明らかに身分の高そうな薄桃色のドレス姿の令嬢が、供を連れて現れたのだ。エレノアよりも少し年下だろうか。明るい金髪の少女だった。
治癒院の中を物珍しそうにきょろきょろと見回していた彼女は、立ち上がったエレノアを見つけて近づいてくると、にっこりと笑ってこう名乗った。
「私、リリー・ホールデンと申します」
ホールデンという名に、エレノアはまあ、と驚いて名乗り返す。
「申し遅れました、私エレノア・ガーラントと申します」
「気になさらないで。突然訪ねてきたのは私ですもの」
リリー・ホールデンは、ホールデンの姪にあたり、侯爵の孫娘だという。ホールデン家の遺伝なのか明るい蜂蜜色の髪がふわふわと波打って、健康的なバラ色の頬の上にかかっている。
領主から治癒院のことを聞いてきたのだろうかと考えていたエレノアに、彼女はこう言った。
「私、先日ハロルド様に助けていただきましたの」
その彼女の紅潮した頬を見て、エレノアは昨日目にした黄色い声の娘達を思い起こした。




