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あがる声、落ちる息~エレノアの場合

【あがる声、落ちる息・・・

「フリアン様!!」

「素敵!」

黄色い声があがる。

それを当人はいつものことと聞き流したが、側で聞いていたユリアは、胸を突き刺されるように感じた。

こんなことではいけない、彼の側にいようと決めたのだから、と自分に言い聞かせるが、痛みは消えない。

知らず唇からこぼれ落ちたため息に、ユリアは慌てて首を振った。】


治癒院を訪れる女性の数は少しずつ増え、彼女らは大抵エレノアの治療を拒まなかったため、エレノアは女性患者の治癒に携われるようになった。同時に若手魔法使いへの指導も再開することになり、エレノアの日々もようやく忙しいものになってきた。

今日も頑張ろうと、エレノアは張り切って治癒院側の出入り口を開けにいく。居合わせたハロルドも手伝おうとついてきた。

魔法のかかった石の扉は、内側からしか開かない仕様になっている。

その重い扉を開けた途端、黄色い声があがった。

「ハロルド様よ!」

「きゃあ!こっちを見たわ」

エレノアは驚いた。若い娘達の歓声は、開いた扉から見えたハロルドへ向けられたものだった。

そういえば最近ハロルドは街の結界に異常がないか見回っていた。突然現れた見目麗しい若者が、身分ある魔法使いとくれば、周囲が騒ぎ立てない方がおかしいのかもしれない。

娘達の紅潮した頬、夢見るような瞳。

当人は慣れているのか、全く反応せずに涼しい顔をしている。

しかしエレノアは、ハロルドだけをうっとりと見つめる娘達の目に怖じ気づいて後ずさりそうになった。王宮の令嬢達には何度も嫉妬されてきたエレノアだが、ハロルドもエレノアもあまり社交の場に出なかったこともあって、直接彼が好意を向けられる場面を見たことはなかった。

そのため、嫉妬の炎とは違う熱気に当てられて、エレノアはやや疲れて屋内に戻った。

「よう、色男」

戻ってきたハロルドを肘でつついてハーディがにやにやと言う。

ハロルドは軽く肩をすくめただけで、エレノアに話しかけた。

「エレノア。今日の昼も戻らないけど、昼食は大丈夫?」

食事は近くに食べに出るか、施設内の小さな食堂に行くかだ。しかし、もともと駐在員20名程度の食事を作るためだけの施設にエレノアたちが加われば1、5倍の労働量になってしまう。負担をかけすぎないようにと、一行は朝以外の食事をなるべく外でとるようにしている。とはいえ貴族の令嬢が気軽に外食するのも難しく、エレノアは大抵居残りして誰かに買ってきてもらっていた。

「ええ。誰かにお願いするわ」

「僕が買ってくるよ」

「あら、ありがとう」

近くにいたジリアンが請け負ってくれたのでエレノアは礼を言った。しかしハロルドが軽く眉間に皺を寄せたので首を傾げる。

「どうしたの?」

「やっぱり、一度戻るよ。ジリアンにも悪いから」

「気にしないで。どうせついでだから」

そういってジリアンとエレノアが再度約束を取り付けてしまったため、ハロルドは妙な表情をしつつも出かけていった。


「ありがとう、ジリアン」

昼、エレノアはジリアンが買ってきてくれたサンドウィッチを食べた。香ばしい燻製豚と新鮮な野菜がとても美味しい。

にっこり笑って礼を言ったエレノアに、ジリアンもまた微笑んだ。

「どういたしまして。・・・彼、まだ戻ってないんだね」

「ハロルドのこと?そうね、そういえば」

ハロルドのここでの役割は、結界の保持と調査だ。今回の治癒院の開設には、施設に出入りする多数の人間のために施設の結界を結び直す必要があった。それを行い、安定させることと、施設の結界と一体化していた領地の守護に異変が起きていないか調査し、対処するのだ。

そのためエレノアは、ハロルドが遠くまで領内を見に行っているのだと考えていた。

しかしジリアンは思わしげに彼女を見た。

「・・・さっき街中で見かけたから、もう戻っているかと思ったんだけど」

「あら、そうなの?それなら昼休憩のうちに戻ってくるのかしら」

「うん。・・・女の子と話し込んでいたから、それで戻ってこられないのかも」

エレノアは驚いてジリアンの眼鏡の奥の目を見た。

女の子に囲まれて、とは、朝の騒ぎをみればありえない話ではない。ただ、何を思ってジリアンがそれをエレノアに伝えたのかと思ったのだ。エレノアはじっと彼を見つめたが、彼の色素の薄い目からは何も読み取れなかった。

「まあ、もてる男も大変だよね」

ジリアンは軽く肩をすくめると去っていった。


その日、結局ハロルドは夕方遅くになって戻ってきた。

「お帰りなさい。遅かったのね」

ちょうど閉院時で、一人後片付けをした後戸締まりに向かっていたエレノアは、戻ってきたハロルドを見かけて声をかけた。

二人がかりで重い扉を閉めながら、彼はエレノアに尋ねる。

「ただいま・・・ごめん、いろいろあって昼に間に合わなくて。大丈夫だった?」

「ええ。ジリアンが買ってきてくれたわ。とても美味しかった」

「・・・ふうん」

扉が閉まり暗くなったため、エレノアには陰になったハロルドの顔が見えなかった。けれど、声音にどこかおかしなものを感じて首を傾げた。

「どうしたの?疲れたの?」

「・・・まあ、疲れたって言うのかも」

薄暗がりの中で陰が動いた。

そしてハロルドがエレノアの肩に頭を乗せた。

突然近づかれ、あまつさえ身体が触れ、エレノアはおののいた。このところ、基本的にエレノアに手の届かない距離を保っていた彼なのに。

「ハ・ハロルド?」

声がひっくり返ったが、それよりも自分の声で彼の髪が揺れたことに動揺する。

「エレノアが悪い・・・」

拗ねた子どものように呟くハロルドの吐息が、今度はエレノアの首筋に落ちた。

その温度を肌で感じて、ぞくりと何かがエレノアの背筋を走った。その何かから逃れようと、とっさにエレノアはしゃがみ込んだ。

肩にかかった重みが消え、かすかにぬくもりだけが残っている。

そのぬくもりにいまだ鳴り続ける心臓を押さえていると、頭上から、置き去りになったハロルドのため息が降ってきた。

「エレノア・・・」

何故か非難するように呼ばれたエレノアは、理不尽に思いつつ謝った。

「ごめんなさいね、でも、あの。休むならちゃんと部屋で眠った方が良いと思うの」

「・・・休みたいわけではないんだけど」

ならばどういうわけかとは、聞かない方がいい気がした。それでエレノアは言葉に迷った。

沈黙した二人の間に次に響いたのは、どちらの声でもなかった。

「ああ、ハロルド。今戻ったのですね」

天の声の主はクリスだった。

ハロルドは不満げなままだったが、王子の侍従に呼ばれたとあってきちんと振り返った。その隙にエレノアは立ち上がって距離をとる。

「殿下から、貴方が戻ったら部屋に呼ぶようにと言付かっていたのです」

「ファレル殿下がですか」

「ええ。明日の動きについてだとか」

二人のやりとりの間に手早くスカートを直しながら、エレノアは小さく息をついた。

いろいろとクリスに見透かされているような気がするものの、今はあわや二度目の壁際という場面を見事逃れられたことで良しとする。前後左右が断たれてもこれならば大丈夫、と胸の中で唱えたのは現実逃避の一種だったかもしれない。

「そうですか。・・・エレノア、それじゃあまた」

ハロルドがため息まじりにそういって、振り返った。

エレノアはそれに無言で微笑み、片手を振った。

ハロルドはクリスとともに廊下を曲がっていった。

またとは何か、結局自分の何が悪かったのか。

「『疲れた』はこちらの台詞よ・・・」

彼らの姿が消えた曲がり角を見つめながら、エレノアは暗がりの中、壁にもたれてため息をついた。

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