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新天地~エレノアの場合

とうとう治癒魔法の普及に向け、一行は実験の地を目指して出発した。今回彼らの試みを受け入れたのは、王都とほど近いホールデン侯爵領だ。

「こちらの侯爵家は、ホールデン先生のご実家ですよね」

エレノアは、隣のハーディに話題を振った。社交界の人間関係に疎いエレノアでもかろうじて分かる名家だが、傍系だとばかり思っていたイアン・ホールデンが実はこの家の直系の嫡子だったことは、先日カーラに聞いたばかりだ。

「そうそう。あいつは変わり者だから、弟に家を継がせて自分は家を出たらしいけど」

ホールデンは魔法の才能だけで一角の魔法使いとして地位を築けているし、また王族の信頼も厚いようだから侯爵領を継ぐ必要などなかったのかもしれない。

頷いて聞きながらエレノアは、自分もそんなふうに自分の力で立てるようになりたいと思った。そうすれば、一人の人間として自信をもって誰かと共に生きる選択も出来る気がした。

「あれ、エレノア嬢、どうしたのさ」

誰かとは誰だ、と意識してしまったとたん顔が赤くなったエレノアに、ハーディは不思議そうに首を傾げた。彼のいいところは研究熱心なところと、研究以外に鈍感なところだ。

エレノアは急いで話を変えた。

「何でもありません。あら、もうすぐ転移場所ですね」


魔法省に絡んだ活動の便利なところは、全国に出先施設があることと、その建物自体が転移地点になっていることだ。つまり、何度かの転移を繰り返す必要があったとしても、最後の転移で到着したその場所が目的地である。数泊分の荷物を抱えた身としては大変ありがたい。

「お待ち申し上げておりました」

第二王子ファレルを有する一行は、施設の職員総出で迎えられた。ずらりと並んだローブ姿の人間が頭を下げる様は、転移直後に見るとなかなかの迫力だった。もともと転移が苦手なエレノアはぎょっとしてよろけかけ、後ろにいたハロルドに肩を支えられた。

それから一行は転移地点のある三階の奥から案内されて、西の棟に向かう。

転移の間には窓がない。そのため、廊下に出ると一行はまず、大きなガラス窓から見える街の景色に見入った。さすがに侯爵領だけあって、街は賑わっている。王都まではいかないものの、エレノアの故郷とは段違いに都会だ。

そして魔法省の出先施設も立派だった。三階の高さから見下ろせば、街の大通りに面した大きなコの字型の建物には入り口が二つもある。その西と東にある入り口の、西側が治癒院のために解放されるという。

「ここならば人が集まりそうですね」

同じく窓の外を眺めていたのだろう、ジリアンが言った。

「だろう。ホールデン侯爵の了承が得られて良かった」

ファレルはそう言ってさっさと先を進んだ。

護衛が必要ないとはいえ、仮にも第二王子である。慌てて後を追う侍従達を、相変わらずだと見つめていると、文官のウォーカーまでがそれを転がるように追っていった。もう一人の文官タガードは、ふんと鼻をならして歩き出す。

「我々も行こうか」

ハーディがそう言ってタガードを追い抜いて行ったので、エレノアは床に置いていた自分の荷物を持とうとした。

「貸して」

その鞄を先に持ち上げられて、エレノアは困った。今は誰かの侍女として来ているわけではないが、かといって人に世話を受ける令嬢として来ているわけでもないのだ。

「ジリアン!自分で持ちます」

「あのね、淑女に荷物をもたせていたらこっちの気が咎めるんだよ?」

有無を言わさぬ笑顔にひるみかけたが、やはり譲れず、エレノアは自分の鞄に手を伸ばした。

「ごめんなさい、でも」

「俺が持つ。それで問題ないでしょ」

ジリアンの手から鞄を奪ったのはハロルドだった。

「早く行かないと、置いて行かれるよ」

そうして二人分の旅行鞄を持っているとは思えない足取りで歩き出してしまう。

ジリアンとエレノアはそれを一瞬ぽかんと見送りかけ、目を見合わせると動き出した。

「ハロルド、ありがとう。でも自分で持つわ」

急ぎ足で追いついて見上げれば、ハロルドはエレノアを一瞬横目で見たが、止まる気はないようだった。

「エレノアが持つとジリアンの気が咎める。他人に持たせるとエレノアの気が咎める。俺は他人じゃないし、これくらい重くもない。異議がある?」

異議があるかといいながら、彼がじゃあ自分は他人かと言う気なのが明らかで、エレノアは困ってしまった。事実、不満げな様子を察したハロルドは、

「そんなに力がないと思っているの」

と軽く責めるような目を向けてくる。切れ長の目を眇められて、エレノアがまさかと首を振れば、彼は話は終わったとばかりに前を向いてしまった。

そのまま言い返す言葉が浮かばずにハロルドについて廊下の角の階段を下ると、コの字の縦線の部分にファレル等が見えた。

「ここが宿泊場所だそうだ」

ファレル達はすでに荷物を部屋に置いたらしい。少し先の部屋からハーディも手ぶらで出てきた。文官達は様子を見て日帰りするため、さっさとしろとばかりの視線をエレノア達に送っている。

「ご婦人の部屋も同階となってしまい、申し訳ありません」

「構いませんわ。仕事で来ているのですもの」

むしろ王子であるファレルが侯爵の誘いを断って特別室とはいえ皆と共に泊まるのに、エレノアが贅沢を言うなどありえない。

案内の魔法使いがエレノアの部屋を教えてくれると、ハロルドはそこに鞄を運んだ。ファレルの目がちらりとハロルドの持つ鞄へ向けられたため、悪いことをしているわけではないのに、エレノアはたいそう落ち着かない気持ちになった。

「ありがとう」

小声で礼を言うと、小さく頷いたハロルドを追う。

二人が合流したのを見てファレルは歩き出し、あわせて案内役が施設の説明を再開した。

建物は広く、エレノア達に関係のある西の棟だけでも相当な部屋数がある。エレノアは迷子にならないように真剣に説明に耳を傾けた。

西の棟の一階を進んでいくと、建物の先端からひときわ明るい光りが差し込んでいて、そこが入り口になっていた。会議で聞いていたとおり、そのすぐ側の広い部屋がエレノア達の仕事場だった。

「おっしゃっていたものは全て揃えておきました」

「業務の合間に、ご苦労だったな」

満足げな顔のファレルに労われ、魔法使いはほっとしたように頭を下げた。

綺麗に掃除の行き届いた部屋や、片隅に置かれた新品の寝台や衝立などを見て、エレノアは心を踊らせた。

ここで明日から仕事が始まるのだ。この国に今までなかった魔法を広げるための仕事が。


その夜侯爵に招かれての晩餐から戻ると、エレノアは与えられた部屋で鞄を開いた。去年の外遊随行で荷造りも荷解きもすっかりお手の物のエレノアだが、王都の屋敷で詰めたそれには、以前はいれていなかったものもいくつか入っている。

その一つ、侍女のアンが持たせてくれたチョコレートを口に運びながら、エレノアは鞄の底から出てきた本を文机に載せた。

【新天地~ユリアは・・・   】

エレノアは開きかけた本をぱたんと閉じた。

さすがに今日は、疲れて甘い恋愛話を読む気力が湧かない。彼女は本を置いて布団に横になった。

明日はいよいよ、開業だ。

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