贈られた花~エレノアの場合
【贈られた花・・・
「これを、私に・・・?」
ユリアは差し出された花に目を丸くしていたが、フランツが頷くのを見ると、つぼみがほころぶような笑顔を見せた。
「ありがとうございます・・・!」
花束に顔をうずめるようにして香りを堪能するユリアに、フランツはいとおしげに眼を細めると言った。
「小さくて、可憐で、優しげで、まるで君のような花だと思ったんだ」
「まあ・・・嬉しいわ」
恥じらうように頬を染めて俯いたユリアの髪に彼の長い指が触れた。
驚いて見上げたユリアに、よく似合っている、とフランツが言った。それで彼女は、彼が自分の髪に花を飾ってくれたことを知った。思い人から贈られた花を身につける、それだけで天にも昇る心地だったのに、手ずからつけてくれるとは・・・ユリアは胸の奥にわき上がる甘い痺れに酔いしれた。
祭りは、まだ始まったばかりだ。】
やがて王都は、建国祭の当日を迎えた。
「あら、エレノアは花をつけないの?」
カトレアに見とがめられ、エレノアは小さく頷いた。
そんな彼女の様子に、カトレアも事情を察したようだった。
実はエレノアの部屋には、前日のうちに二つの花束が届いていた。一つはファレルから、もう一つはハロルドからだ。毎年花をくれる父のウィリアムからは花の形のチョコレートが届いた。これは広くない使用人用の部屋が花で埋もれないようにというアンの入れ知恵だろう。しかし、おかげでエレノアは父のくれた花をつけるという選択肢を失った。
さんざん悩んだあげく、エレノアはなんの花もつけずに過ごすことにしたのだ。世の女性には、複数の人からもらった花を全て髪に差し込むという強者もいる。けれど、相手が本気で贈ったと知っている以上、エレノアにそれは出来なかった。これは決して逃げではない、とエレノアは自分に言い訳した。
建国祭は王国の建国を祝う祭りであると同時に、春の訪れを祝う祭りでもある。そのため女性は老いも若きも花を身につけて春の一部となるのだ。この日ばかりは侍女たちもささやかな花を身につけてよいことになっている。カトレアも髪に小さな赤い花を飾っている。
二人はてきぱきと王女の朝食準備を整えた。
「おはよう」
寝室から現れたアイリーンは、いつもより若干顔色が悪かった。
不思議に思うエレノアだったが、この日ばかりは分刻みで行動しなくてはならない。そのため椅子に座ったアイリーンに茶を煎れ、パンをとりわけと口を動かさずに働いた。
アイリーンが食べている間に、その場をカトレアに任せてエレノアは着替えの準備を進めるジゼルの手伝いに向かう。
「アイリーン様、ちゃんと食べていらした?」
ドレスや宝飾品の最終点検をしながら、ジゼルが聞いた。
エレノアは少し考えてから答えた。
「はい。いつもよりは進まない様子でしたけれど。何かあったのですか?」
昨夜までは変わった様子はなかったのだ。ジゼルはちらりとアイリーンが食事中の隣室のドアを見てから、小声でこう言った。
「なかったの。ディラン様からのお花が」
エレノアははっとして思い起こした。そういえば、昨年は窓辺の花瓶に立派な花が生けられていた。今年はそれがなかったが、あれはディランの花のための特等席だったのだ。
そう考えればアイリーンの様子も納得がいった。
「きっと、お忙しかったのですね」
あのまめそうなディランがうっかり花を贈り忘れるなどとは考えにくい。そのためエレノアは納得できる理由を探して口にした。
「でも、去年だってちゃんと前日の夜には届いたのよ」
ディランもエレノアと同じく昨年王宮に就職した。就職一年目の春でも忘れなかったものを、よりにもよってアイリーンが成人して始めての春に忘れるものだろうか。
憤慨した様子のジゼルだったが、隣で朝食の終わる気配がしたため口を閉ざした。
「始めて頂戴」
現れたアイリーンは、鏡台の前に座ると宣言した。
ここからは戦場だ。ジゼルが髪を結い上げ、エレノアが爪を飾る。その隙間からカトレアがアイリーンの肌を整える。その間中アイリーンは微動だにせず座り続けるのだから、王女というのは大変な仕事だとエレノアは改めて思う。
やがて少し血色の悪かった頬に紅を差し、いつもよりはっきりと化粧をしたアイリーン王女の顔ができあがった。式典の際は、遠目によく顔が見えるようにと王女はいつも濃いめの化粧をする。
「さあ、できましたわ」
真っ赤なドレスと胸元を飾る宝石を身につけ、最後に耳の後ろに白い花形の飾りを差せば、誰もが見惚れるこの国の王女がそこにいた。しかしアイリーンは、鏡に映った自分の姿を一瞥すると、すぐに白い上物を羽織った。そうしてドレスの赤をすっかり隠してしまうと、小さく息を吐いた。
「皆、ありがとう。行きましょうか」
ジゼルに見送られ、王女はエレノアとカトレアを伴って部屋を出た。扉の前で待っていた護衛の騎士に案内され、式典の会場へ向かう。
厳重に警備された会場裏の控え室に入れば、そこにはすでに第一王子と第二王子が揃っていた。
「おはよう、アイリーン。とても綺麗だぞ」
クインランが快活に言って抱きしめようとして、アイリーンにドレスが皺になるからと止められる。
「今年もビリは母上だな。アイリーンは相変わらず支度が早い」
ファレルも彼なりに妹を誉めた。
「おはよう、お兄様、ファレル」
アイリーンは冷静に二人に挨拶をし、用意されていた椅子に座った。
エレノアはカトレアと共に、王子達の侍従に倣って壁際に控える。ファレルの侍従はクリスなど見知った顔ばかりだが、クインランの侍従と一緒になることは少ない。
そのためファレルからじっと視線を向けられたときには内心焦ってしまった。
「・・・」
無言で見返したエレノアにファレルは咎めるように目を細めると、不意にクリスに向き直った。
「王女が花すら贈られない侍女を連れているとは情けない。クリス、どこかで調達してこい」
「はい」
はいはいと聞こえそうな返事をしてクリスが出て行くと、クインランが遠慮なく大笑いした。
「お兄様」
アイリーンがため息混じりに窘めると、第一王子は素直にすまんと謝ったが、肩の震えはなかなか収まらなかった。
エレノアはアイリーンへの申し訳なさで縮こまった。この大事な式典の前に、ディランからの花が届かなかったことを思い出させるような流れは避けたかったのだ。さらに第一王子やその侍従にどう思われたかということも気が気でなかったが、なんとか表情に出さないよう努めた。
この空気を作った張本人であるファレルはすでにそっぽを向いており、事態を収拾する気などさらさらない。彼は明らかにエレノアが花を身につけなかったことに腹を立てているのだ。
真っ向から自分の贈った花はどうしたと聞かなかっただけ大人になったと言えばいいのだろうか、それにしてもあんなとげだらけの花を身につけると本当に思っていたのだろうかと、エレノアは混乱した頭で考えた。ちなみにファレルから贈られた花束は、どう注文したのか、彼がエレノアの目の色を評したアザミを主体に出来ていた。
やがてクリスが戻り、エレノアに淡い黄色の小花を渡した。
「ありがとうございます・・・申し訳ありません」
「どういたしまして。こちらこそ、いろいろ申し訳ありません」
お互い困ったファレルを思って軽く苦笑を交わしていれば、ふんと行儀悪く鼻をならす音が響く。
鏡がないのでカトレアにそれをつけてもらい、その後アイリーンの髪やドレスを整え直していると、ほどなく王と王妃が到着したと連絡が入った。
兄妹は揃って二人を迎え、その後は慌ただしく式典が始まった。
王家の五人が会場に入ると、警備の責任は会場の担当者に移る。この式典ばかりは、王達は誰も従えることなく五人だけで広場の中央に立つのだ。
エレノアは側で守れないことをほんの少し不安に思いながら裏で待つ。朗々と王が声を張り上げ、それからわっと歓声が上がる。
「今年も盛況ね」
「ええ」
カトレアと二人、その空気の震えるような大歓声を聞きながら、エレノアはアイリーンが目指しているものを思った。
王女は以前語ったことがある。いつか、貴族も庶民も豊かな富を分け合える国にしたい、貴族も庶民も男も女も関係なく自由に生きられる国にしたいと。現国王が建国祭の式典に庶民の席を設けたことはそのための小さな一歩で、だからアイリーンはこの祭りが好きなのだと。
割れんばかりの歓声はいつまでも続いて、エレノアはそれに手を振って応える赤いドレスのアイリーンを思った。
きっと王女は、晴れやかな笑顔を観衆に振りまいていることだろう。その胸に悲しみを隠していることなど気取らせないほど見事に。
エレノアはひそかに天に祈った。どうか、あの赤髪の青年がこの強く美しい王女を支えてくれますようにと。
しかし彼女の願いもむなしく、それから2日間続いた祭りの間にもアイリーンにディランからの花が届くことはなかった。
さらにはとある噂話が社交界を湧かせることになる。デール侯爵家の子息、ディラン・デールが、祭りの日にある令嬢と歩いていたというのだ。
糖度が上がらぬまま、盛り上がりなく続くことが心配になってきたこの頃です。
そのため毎日更新することにこだわらずに、先の見通しを立て直しつつ進めようと思います。投稿ペースを若干おとしてしまったらすみません。
エレノア同様私も、きちんと恋愛小説に向き合って頑張りたいと思います!




