努力~カーラの場合2
カーラは次の非番に早速行動を起こした。
宣言通りホールデンを訪ねてきた令嬢として魔法省へ踏み込んだのだ。顔見知りの門番はカーラの顔を見てすぐに道をあけてくれたが、彼女のいつもと違う様子におやと目をみはった。
今日のカーラは淡い栗色の髪をふんわりと結い上げ、白いリボンで飾っている。いつもは目立たぬようにほとんどしない化粧も、今日は口紅や頬紅で華やかに仕上げた。すると、印象の薄い空気のような侍女はどこへやら、たちまち華やかな年頃の令嬢のできあがりである。普段自分には使わないものの、この辺りの技術も侍女の嗜みとして、みっちり仕込まれているカーラである。
魔法省の二階は奥にホールデンのいる人事部、手前に国土部が配置されている。国土部は各地に点在する転移施設の管理や駐在を請け負っているため、常に閑散としている。上司が不在のことが多く、近年ではコネ入省のボンボンの巣窟となっていた。エレノアが絡まれているのも以前カーラが男装でやり過ごしたのも、この国土部の若者たちだ。
思った通り、令嬢姿のカーラが二階の床を踏むと、何人かの居残り組の若者が絡んできた。今日のカーラにとっては都合がいい。
カーラはおっとりとしたお嬢様よろしくわずかに頭を傾けて立ち止まった。
調べたいのはこの部署の人間のことなのだ。カーラは絡まれて困ったふりをしながら、部署内を見渡した。目当ての人物が今日居残り組に入っていることは調査済みである。その人、ラモント老人はこの騒ぎにも関わらずのんびり茶など飲んでいた。関わりたくないのか、体をやや斜にして見ないふりをしているようだ。
「君可愛いねえ。なになに、国土部に何のよう?」
「もしかして俺に用?」
「あの、私・・・」
取り囲まれて萎縮した令嬢らしく、口ごもってみせると、それだけで彼らはひゅうとひやかすような声を上げる。カーラは助けを求めるようにラモントに視線を送った。
「緊張しちゃったの?かーわいい」
「じゃあさあ、ちょっと座って落ち着きなよ」
そのまま奥の応接用の席へと連れていこうとする。カーラはこれが貴族の若者かという呆れを外に出さないように気をつけねばならなかった。その途中、ちらりとラモントと目があったがすぐに逸らされる。
「あのじいさんが気になっちゃった?あれは置物だと思えばいいからね」
「おきもの?」
首を傾げてオウム返しに問えば、調子に乗った若者はこう付け足した。
「そうそう、置物!」
「誰も置いておかないわけにはいかないから、一応置いとくってだけ」
ここまで言われてもラモントは怒りをかいま見せるでもなく、ただ縮こまって座っていた。カーラは噂と違わず、大した人物には見えないと考えた。彼には自ら王女に反旗を翻すような気概はないだろう。ただし、こういう人間は身近な強者になびくものだ。自分の保身のためとあれば、何の主義主張もなくあっさりと裏切ることも考えられる。
ともかくこれだけの観察を終えると、カーラはこの場を脱出することにした。差し出されたお茶には特に不審な点はなさそうだが、背もたれに回された腕やくっつきそうなほど近い膝がすでに不快だ。
あとは家の財政状況や周囲の噂など多方面から調べよう、そう考えながら小さく口を開いた。
「私、やっぱりもう・・・」
「名前なんて言うの?」
「あの、もう行かないと」
「髪きれいだねえ」
人の話など聞いていない様子の若者達に、カーラは言葉で相手をすることを諦めた。さっさと仕込みを済ませると、髪に近づいてきた手に震えたふりをして身を震わせ、そしてその瞬間相手の膝に少しだけぶつかった。
「きゃっ!」
甲高く張り上げた悲鳴は、人気のない部署内に響き渡る。さらにこっそり壁を変形させて隙間をつくっておいたので、隣の部署にも届いたはずだ。
案の定、すぐに人事部側の扉が開いた。
「何をしている!」
現れた中年の魔法使いに、カーラは懇願の目を向ける。眉を下げてしっかり涙を浮かべれば、相手はすぐに気付いて厳しい表情でこちらへ寄ってきた。
「お嬢さん、どうしましたか」
「あの、私・・・カーラ・キャンベルと申します。イアン・ホールデン様にお会いしに参りました」
言いながらカーラは相手を観察した。幾度か見たことのある人事部の中堅魔法使いだ。
彼はカーラの名前を聞いて軽く眉を上げると、若者達をぎろりと睨み付けた。
「お前達、他人の客人をつかまえて何をしている」
「いや、その・・・」
「さっさと自分の仕事に戻れ!」
一喝されて彼らは飛び上がるように自分の席へと戻っていった。つまりこのやりとりの間中まだ状況をつかめずにぼけっと座っていたのだ。
「大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございました」
カーラは差し出された手を借りて立ち上がると、そのまま彼に案内されて人事部の扉をくぐった。
人事部に入ると、隣の倍以上の人間がいた。彼らの視線が自分に集まるのをカーラは感じた。
忍び込んだこと多数、侍女として訪れたことも多数のこの部屋の魔法使いの顔を、カーラは大体覚えている。しかし、彼らは今のカーラの姿に、見慣れない令嬢を見るような顔をしていた。
それが変装前の姿を見慣れていないからではないといい、とカーラは願った。令嬢らしい姿をして、華やかに華麗に、大人としての自分を彼と周囲に印象づけるために。
「ホールデン、お前に客人だ」
案内してくれた魔法使いは、ノックもなくホールデンの部屋の扉を開いた。
「んー?」
顔を上げたホールデンは、カーラの姿を目に入れると目を見開いた。
「カーラちゃん?ええと・・・」
戸惑うホールデンを無視して、同僚が言う。
「可愛いお客を呼ぶときは、次からちゃんと表まで迎えに行け。隣の馬鹿どもに絡まれていたぞ」
「あー・・・え、嘘」
「それではお嬢さん、ごゆっくり」
扉を閉める彼にカーラが礼を言って振り向けば、ホールデンは机の上で頭を抱えていた。
「ご機嫌よう、ホールデン様」
額にあてた手の下から顔を上げ、彼は答えた。
「ごきげんよう、カーラちゃん。それで、どうしたの。その格好」
カーラは自分の姿を見下ろした。今日は卵色の小花柄の訪問着に白いボレロを重ねている。
「似合いませんか?」
「よく似合ってますけど、そうじゃあなくて」
軟派で鳴らしたホールデンの褒め言葉としてはお粗末だったが、動揺させたのだと前向きに捉えてカーラは流すことにした。
「今日は非番ですの。ホールデン様に綺麗な姿を見ていただきたくて」
非番と言いつつ門番には仕事を匂わせて入省し、隣で人間観察をしてきたことは自分の胸の内に留めておく。
ホールデンはカーラの言葉に一瞬絶句した。
「・・・おじさんに見せてもしょうがないでしょう。それより、隣は危ないって知ってるでしょうが」
カーラは笑って見せた。
「多少の危険は、恋の前では問題になりませんわ。思いを寄せる方に令嬢として会いに来ると、言いましたでしょう?」
ホールデンを逃がさぬよう、彼をしっかりと見つめて笑う。
自信があるわけではない。もともと自分など彼から見れば子どもに毛が生えたようなものと知っている。それでも、勝ち目の薄い恋だからこそ余裕ありげに振る舞って彼を振り回さねばならない。
「・・・ええと、まあとりあえず、用件を聞こうかな」
この期に及んで誤魔化そうとするホールデンに、カーラは首を振りながら王女の書状を机に置いた。
「一応の言い分はこれをお届けすることですけれど、今日は仕事ではありませんわ。強いて言うなら、用件はホールデン様に好意を伝えることでしょうか」
「おじさんをからかうのはよしてよ」
人の感情に敏い彼のこと、カーラの気持ちなど察しているだろうに。彼は、ずるい。つい最近まで卒業生と噂が流れることすらあったのに、カーラ相手に自分をおじさんといい、彼女を子ども扱いする。
けれど彼がどんなに誤魔化そうと、今日カーラが令嬢カーラ・キャンベルとして頬を染めてホールデンを訪ねたことは彼の職場に知れ渡った。カーラとしては、一つ目的を達したのだ。
「からかってなどいませんわ。おじさんだなんて、貴族の結婚に10才ちょっとの年の差は珍しいことでもありませんのに」
結婚という言葉にむせかけたホールデンを冷静に見つめ、カーラはそろそろかなと考えた。あまり長居しては忙しい彼の邪魔になるし、それに・・・
「あのさ、カーラちゃん・・・」
「そろそろお暇した方がよろしいですわね。あまり未婚の令嬢と密室に二人きりというのも、ホールデン様の評判に関わりますし」
先手を打っていとまごいをすれば、ホールデンは言いかけた言葉を飲み込んで頷いた。決定的な否定を口にさせるのは得策ではないので、カーラは内心そのことにほっとする。
「入り口まで送るよ」
「ありがとうございます」
今日は令嬢として断らずに笑顔で礼を言ったカーラだが、さすがにホールデンは部屋を出る前に釘を刺すのを忘れなかった。
「危ないからもうこういうことはしないように」
「・・・それでは、これまでの方法で来ればよろしいでしょうか」
侍女の仕事もあるため来るなと言えないことは織り込み済みだ。とはいえ、カーラは彼の反応を待つ間、涼しい顔の下で緊張していた。
ホールデンはため息をついた。カーラは緊張が顔に漏れそうになるのを必死で堪えた。
「入り口まで迎えに行くから」
カーラはこの言葉を聞いて目を見開くと、この日初めて、心からの微笑みを浮かべた。




