努力~エレノアの場合
【ユリアは後ろ向きな自分を変えようと決意した。
住む世界が違うからと諦めるのではなく、あの人にふさわしい自分になるのだと。
「待っていてくださいね・・・」
彼にもらった花をそっと撫で、ユリアは鏡に向かった。】
エレノアは魔法省を訪れた。
治癒魔法に関する実験を手伝うためだ。前回の会議の後、報告を聞いたアイリーンはエレノアの判断を支持した。
「文官の方はこちらで考えるから、あなたは中立派を認めさせることだけ考えなさい」
そう力強く請け負ってくれた王女と、既に情報収集のため潜入先を検討しているカーラを見れば、諸々の報告で疲弊しきっていたエレノアにも気力が戻った。
そして昨日、ハロルドからの情報提供でハーディを中心とした研究員が治癒魔法の実験を行うと知り、手伝いを申し出たというわけだ。ちなみにあれ以来ハロルドは罪悪感にさいなまれているらしく、これを伝えに来たときも決してエレノアに手の届く距離まで近寄ろうとしなかった。そのためエレノアの方は、あれは何かの間違いだったのだと気持ちを切り替えてしまえた。
治癒魔法を国内で使える人間はまだ少ない。そのため、幸いなことにエレノアの申し出は聞き届けられた。
「失礼。エレノア・ガーラント嬢ですよね」
魔法省の建物に入るとすぐに、エレノアは名前を呼ばれた。
見れば、眼鏡をかけたまだ若い魔法使いがこちらを見ていた。
「ハーディ様から聞いています。今日は協力ありがとうございます」
「こちらこそ、部外者の頼み事を快く聞き入れて下さってありがとうございます。よろしくお願いいたします」
にっこり笑った彼に促され、エレノアは階段を上り、三階へと進んだ。
「実験場ではないのですね」
カーラの説明によれば、実験を行うための場所は建物の一階奥にあるという話だった。エレノアが言うと、彼はまた笑った。
「よくご存知ですね。大がかりな魔法はそちらを使いますが、今日は暴走の危険もないので、実験室で行う予定です」
頷きつつ、エレノアはよく笑う人だと思った。こういう優しい笑顔は苦手だ。胸が疼く。
三階には研究職の人間が集まっているらしく、他の階とはまた空気が違っていた。明らかに浮いた存在のエレノアが入っていっても、まるで気づかない者もいる。その大きな空間を囲むように左右に扉が並んでおり、その中の一つにエレノアは案内された。
「やあどうも。むさ苦しいところまでご足労頂いてありがとう。みんな、こちら昨日話したエレノア嬢」
ハーディの言葉の敬語とそれ以外の入り雑じった様に、エレノアは自分が彼にとって面倒な客人であることを悟った。
そのため一層の気合いを入れて挨拶をした。
「エレノア・ガーラントと申します。本日は無理を言って来させて頂いて、こちらこそありがとうございます。よろしくお願いいたします」
エレノアの完璧な礼と笑顔に、若い魔法使いが数人嬉しげな声を上げたが、ハーディは表情を変えなかった。むしろ予定外に若者達を浮わつかせてしまったことでかえって迷惑に思われたようで、エレノアは内心しまったと思った。
そんな彼女の思いをよそに、ハーディはさっさと動き始める。
「早速だけど、実験の説明をしますよ」
「はい」
聞けば、属性の相性による治癒魔法の効果を確かめるのだという。エレノアは言わずもがなの土属性を、他に集められた魔法使いが水や火といった属性を担当し、ハーディへの治癒を行う。
数人の若手魔法使いが治癒を行った後、エレノアの番がきた。この間完璧にエレノアを無視していたハーディだったが、エレノアはやるべきことをやるだけだと気持ちを奮い立たせた。
そして、エレノアが治癒魔法をかけ始めてすぐのことだった。
「驚いたなあ。ちゃんと使えている」
ハーディが意外そうな声を上げたので、エレノアは魔法をかけ続けながら首を傾げた。
「報告書をまとめる前に、自分で治癒魔法の実験をして効果を確認したのです。そう報告書にも書いたと思ったのですが」
隣国の文献解読には複数人で当たったが、実際に実験をしたのはエレノアだった。当然ハーディも会議の他の面子も、エレノアに治癒魔法が使えることは知っているはずなのだが。
しかしハーディは悪びれず肩をすくめた。
「いや、確かに書いてあったけど、話半分に読んでいたから。君、言ってはなんだけど、大層な噂引っ提げてきたろう」
反応に困ったエレノアに、ハーディはあっけらかんと言った。
「だから正直、王子の無茶苦茶な人事に理由付けするためだと思ってたんだよね」
エレノアは驚いたが、世の中とはそういう解釈をするものなのかと内心納得していた。王族は無茶な命令をして平気で現場を混乱させるものだと思われ、さらに報告書の正確性は女性問題で簡単に損なわれるものだと思われる。それが王族という最高権力者が絡んでいるからなのか、自分が何の役にも立たなそうな小娘だからなのかは分からないが、ともかく世間にはそういう見方があるらしい。
「・・・誤解が解けたようなら、幸いですわ」
他に何と言っていいのか分からず、エレノアはこう言って曖昧に微笑んだ。
ハーディは彼女の複雑な心境などは気にも留めず、朗らかに言った。
「うん。君がなかなかの使い手なのは僕が保証するよ。でも、そうなるともう一つ疑問なんだ」
「なんでしょうか」
ずいっとハーディが身を乗り出したので、エレノアはやや身を引いた。
「君、エレノア・ガーラントでしょう?亀のエレノアって、君のことだよね」
「はい、その通りです」
これにエレノアはしっかりと頷いた。『亀のエレノア』とは、彼女のもつ防御魔法『亀』からきた通り名である。これはただただ自分と対象者をドーム状の壁で守るという守備専心の技だが、頑丈さには定評がある。この技でエレノアは王女や自分の命を何度も守ってきたし、王女の盾として侍女になれたのも『亀』のおかげである。『亀』はエレノアの誇りなのだ。
ハーディはしかし、不思議そうに首を傾げた。
「亀って、たしか瞬発的に大きな魔力を出さないといけない技でしょう?そういう術者の傾向って、大抵小技が苦手なんだよね。治癒魔法みたいに魔力を細々流し込むような技がどうして使えるのかなって」
ねえ、なんでと子どものように尋ねられても、エレノアは眉をさげることしか出来なかった。
30すぎの年上の男性にそんなふうにせがまれても対応に困る。
「ハーディ様、その辺にしておかないと、エレノアさんがもう来てくれなくなってしまいますよ」
せっかく貴重な人材だと分かったわけですから、と止めに入ってくれたのは先程案内してくれた若者だった。
「なんだよ、ジリアン。あ、エレノア嬢、これはジリアンね。水の魔法使い。あっちが火のゼーンで・・・」
ハーディはそれから自分の部下の名前を次々にエレノアに教えた。ここに来てエレノアは、彼らと自己紹介を交わす場さえ与えられていなかったことに気付き、そしてその彼が敢えて今部下の名前を伝えてくる意味に思い至った。
どうやらハーディは、エレノアを一時的なお客様ではなくて継続的な協力者として認定したらしい。分かりやすくも現金なほどの変化に、エレノアは苦笑してしまった。
「ハーディ様は子どものようなところがあるけど、悪い人じゃないんですよ」
そっと教えてくるジリアンという若者の口ぶりからも、ハーディの人となりが分かる。
「ええ。本当に熱心に治癒魔法に向き合っていらっしゃるのだと、分かりましたわ」
そんな人ならば、エレノアが真摯に取り組みさえすれば彼女の参加を否定したりはしないだろう。エレノアは、確かな手応えを感じていた。
「エレノア嬢が治癒魔法の使い手だと分かれば、実験したいことはもっと出てくるなあ。まずは治癒魔法の訓練方法だろ、それから、効果の男女差だろ」
わくわくした様子で話し続けるハーディにエレノアも力を込めて言った。
「私に出来ることでしたら、ぜひお役に立ちたいと思います」
そして必ずハーディに認めてもらって中立派の支持を得るのだ。
エレノアは心の中で呟いた。待っていてくださいね、アイリーン様、と。




