噂~アイリーンの場合2
それはディランの話だった。
「いつもいつも、ディラン様がおかわいそう」
アイリーンは聞こえてきたディランの名前に耳をそばだてた。
「振り回されても、従兄弟とはいえ王子様が相手では怒ることもできないものね」
「まだ幼くていらっしゃるのに。ご両親に言われていらっしゃるから仕方がないのでしょうけど、それにしたって、よく我慢なさっているわ」
その言葉は、アイリーンの胸に深く突き刺さった。
兄のように思っていたディランだが、実は自分たちと身分が違うということ。
そのため嫌なことも怒ることができず、我慢をしているということ。
何より、両親に言われて仕方がなく自分たちの遊び相手をしに来ていること。
言われてみれば侍女たちの言葉は頷けることばかりで、アイリーンは今まで気付かなかった自分に愕然とした。
その上自分は長年、ディランが笑っているのは彼にそれだけの余裕があるからだなどと敬服していたのだ。彼は、仕方なく笑っていたのかもしれないのに。そのときも悔しい思いをしていたのかもしれないのに。
それで数日後に、アイリーンは本人に言ったのだ。
両親に言われて、仕方がないから自分たちの相手をしているのでしょうと。
するとディランは彼女を見下ろして笑った。すでにアイリーンとディランは、目線の高さが頭一つ分違っていた。
「仕方がないだなんて、アイリーンにしてはつまらないことをいうね」
つまらないと言われてアイリーンはむっとした。きっとそのころは、その怒りを今よりも分かりやすく表情に出していたことだろう。
そんな彼女を見てディランはこう言った。
「あ、怒ったの?でもさ、アイリーンは仕方ないなんて思いながら王女をやっているのかなと思って」
「違うわ」
幼くとも王女として教育を受け、王族としての自負をもっていた彼女は昂然と顔を上げて言った。
すると彼は面白そうに目を細めた。
「だよね。僕もだよ」
それからディランはアイリーンがなぜそんなことを言い出したのかを聞き出した。初めは口を閉ざそうとしていたアイリーンだったが、彼の軽口に乗せられるうちに、気付けばあらかたのことを話してしまっていた。
話を聞いてもディランの様子は変わらなかった。
「確かに僕がデール侯爵家の子どもであることは仕方がないことだけど、どうせなら楽しい将来が良いと思ってるんだ」
ディランが内緒話をするように小声で言ったので、アイリーンも声をひそめた。
「どういうこと?」
ディランの目が愉快そうに光る。
「侯爵家の人間はどうしたって王族の側で仕事を補佐するだろ。だったら、自分が側にいたい人に王様になってほしいじゃないか」
そう言って片目を瞑ってみせたディランの意図を察し、アイリーンは口をつぐんだ。すでに兄弟の間では、誰が父の後を継ぐべきかという話が幾度か出ている。
「ファレルに困ったところがあるのは確かだけど、僕がファレルの面倒を見るのは、それが楽しい将来のために必要だからだし、僕にできることだからだよ。ファレルが人並みになれば、アイリーンが敵につけ込まれる隙も減るだろ」
なぜか得意そうにディランは言った。
「クインランは剣が得意だし、ファレルも・・・あんな風だけど、特技をもっているだろ。二人とも将来アイリーンを守るんだってよく言っているよ。だから僕もできることをしたいんだ」
子どもの言葉だ、文脈が正しいのかも分からないし、正しいにせよ発言の意図も分からない。
それなのにアイリーンはそのとき頬が熱くなるのを感じ、そして、今もそのことを覚えている。
ディランが言う、楽しい将来をアイリーンも思い描いてみた。そこには兄達がいて、ディランがいて、国中皆豊かで笑っていて。欲を言えば女の子でももう少し自由にいろいろできて。自分がその未来にいたいのならば、どうするべきなのか。その日アイリーンは、始めて眠れぬ夜を過ごした。
かいつまんで伝えたアイリーンとディランのなれそめに、エレノアがほうっとため息をついた。
アイリーンは、エレノアが次に何と言うのか少し身構えた。
彼女があまりこうした話に慣れていないことは知っているが、そういうアイリーンとて人に自分の恋心を話すことなど初めてだ。何故か、本当に何故か、カーラや年上の侍女たちは全て把握しているようだったが。
少々落ち着かない思いのアイリーンに、エレノアはしばしうっとりと余韻に浸るようにした後こう言った。
「それでは、アイリーン様もですね」
なんのことだろうと少し首を傾げれば、彼女は紫の目を細めて言った。
「私たちに、恋をすること、とおっしゃったでしょう?私やカーラだけでなく、アイリーン様も恋に本気になられるのですね」
「私!?」
エレノアの言葉にアイリーンは盛大に取り乱した。
「エレノアの言う通りね。大方さっきのため息は、出先でディランの婚約疑惑を聞いたせいでしょうし」
慌てて取り落とした扇をすかさず拾いながら、カーラもまた言う。
「カーラ!」
友人達の言葉にアイリーンは動揺を隠せなかった。
エレノアの言葉は先日告げた命令をそのまま返された形だし、カーラの言葉は図星だった。
「いい加減、貴方も決着をつける時期ではない?」
追い打ちをかけるように言われ、アイリーンは扇で顔を隠した。
一つ深呼吸をすると、澄ました顔を取り戻す。気持ちを切り替えるには一番と、仕事の話を思いついた。
「そう言えばエレノア、昨日の会議はどうだったの?」
昨日は治癒魔法普及計画の第2回の会議だった。計画の進行状況はもちろん、ファレルが主導のその会議に噂の渦中のエレノアも出席するということで、何か問題が起きるのではないかという点も気になっていたのだ。
「はい。・・・」
唐突に報告を求められ、エレノアははっと背筋を伸ばしたが、すぐにその顔を真っ赤に染めた。
「・・・何があったのか、詳しく聞きたいわ」
「そうですね」
「ええ、是非」
背後からも先輩侍女たちの包囲網が縮められ、エレノアはしどろもどろになりながら昨日の詳細を白状させられた。
「来たわね!カーラ、敵対勢力について調べるのよ」
「承知しました」
「まあ、やっぱりあの魔法使いは日和見する気なのね!」
「エレノア、直接対決を避けたのは良い対応よ」
「・・・」
「・・・」
「ちょっと、動悸が止まらないわ!」
「きゃー!」
「それで?そのあとどうなったの?」
「きゃー!」
「やるわね、あの子!」
「きゃー!」
「ファレル様負けないで!」
途中までは真面目な作戦会議だったはずが、後半は黄色い声が飛び交うことになった。それにさらされ続けたエレノアはかなり疲弊していたものの、おかげでアイリーンは完全に調子を取り戻したのだった。
少し更新に間が開いてしまいましたが、後半で王女と侍女たちが話しているのは、噂~エレノアの場合の出来事です。エレノアは馬鹿正直に全て話します。