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第一章 少年魔術師の退屈(1)


「それで私の元にやってきた、って言いたいのか。少年魔術師サン?」


 木崎市中心部より少し離れた場所にある今宮病院。

 その五階にある総合診療科に香月は居た。回転いすに腰掛けて、目の前に居る白衣を着た女性と話をしていた。その女性は見た目だけで言えば香月と同じくらいの年齢に見える。


「少年魔術師、では無く本名で言ってくれないかな。ここは普通の病院だぞ? 僕だって柊木香月という立派な名前があるのだよ?」

「ああ、そうだったな」


 しかし、女性はそれに悪びれる様子も無かった。


「それにしても、だ。どうして君は私という存在がありながら女性を連れ込みたいのかな? 嫉妬の炎を私に燃やさせて、三角関係へと発展させるための伏線かな? そうだと言ってくれると逆に安心するのだがね」

「……そういう言動さえ無ければ天才なのだがなあ。人間というのは、どうしてこうして、欠陥が必ず一つはあるのだろうな」


 女性は笑う。


「私は天才だよ。それは誰にだって否定させない。……まあ、冗談はほどほどにしておいて」


 冗談だとは思えなかった。

 女性は横にあるベッドにて眠っている――少女のほうに目をやった。


「彼女はただ気絶していただけだよ。それに疲労が溜まっていたようだ。……魔術師に負われていて、何も怪我が無かったことだけが驚きだよ。まったく、人間というのは面白いものだよ」

「あんただって人間だろう。それに、彼女はただの人間だ。コンパイルキューブも持っていなかったし、基礎コードをいっても理解していないそぶりを見せていた。もちろん、演技の可能性だって考えられるが……。だが、コンパイルキューブを持たずに魔術師と邂逅するのははっきり言って、ただの馬鹿だ。それを考慮すると……やはり彼女はただの一般人としか考えられない」

「それがそう言えないかもしれないよ?」


 そう言って女性は机上に置かれていたカルテを見せた。

 香月は驚いた――だがそれを表に見せることはしなかった。


「カルテは機密情報だろう……。見せていいのか、そんなものを」

「とっくに亡くなっている人間だ。それに……今回のことに無関係だとは言えなくなるよ」


 カルテを手に取り、香月はそれを見る。

 名前は城山義実。年齢は四十二歳。五年前に亡くなっている。

 そしてその名前と顔を見て――彼は思い出し、女性のほうを見た。

 女性は笑みを浮かべつつ、言った。


「なあ? 関係があると言っただろう?」


 城山義実――魔術師が聞けば、武者震いで震え上がると言ってもおかしくない程、『最強』と謳われた魔術師であった。過去形なのは、すでに彼が亡くなっているからである。

 彼の死因は、現在一位となっている『ホワイトエビル』代表増山敬一郎との勝負に負けたからだと言われている。増山は残忍な男だと、その界隈では有名であり、彼は卑劣な方法で殺されたのではないか――などという噂も立っている程。


「……そもそも死因が焼殺だということを知っていたか?」

「それは噂でも流れてきているからな。全身が真っ黒になるくらい焼けていたとも聞いている」

「そうだ。その通りだ。……あの時、私が検死を行った。はっきり言って、ひどいものだったよ。魔術師同士の戦いで敗れた人間は、こうなってしまうのだということを、まざまざと見せつけられた。あれを見て吐き気を催さなかったのが珍しいくらいだ」


 女性は立ち上がり、少女の頭を撫でた。


「……だが、少女と城山義実に関係が……」

「城山春歌」


 唐突に、女性が名前を言った。


「……今ここに眠っている少女の名前だよ。城山春歌、彼女はかつて最強の魔術師として謳われた城山義実の娘だ」





 城山春歌が目を覚ました時、そこにあったのは天井だった。


「ここは……!」


 起き上がると、漸く彼女がどこに居るのかを理解する。

 カーテンと、消毒用アルコールのにおい。

 ここが病院だと判断するまでに、そう時間はかからなかった。


「目を覚ましたかい? ここは今宮病院だ。個人経営、とまではいかないけれど、そこそこ大きい病院に比べれば小さいものだよ」

「どうして、私はここに……?」

「気絶していたからだろうね。彼が連れてきてくれたよ」


 そう言って白衣を着た女性は親指である場所を指した。

 そこに居たのは――黒いパーカーを着た香月だった。


「あなたが……私を?」


 春歌が声をかけたと同時に、彼は春歌を睨み付ける。

 少し怯える彼女に、女性が香月の頭にチョップする。


「何するんだっ」

「何をするんだ、というのはこっちのセリフよ? 彼女は今起きたばかりで精神も安定していない。というのに恐怖を植え付けるとか何を考えているつもり?」

「だって俺の『任務』は終わったからな。あとは組織から金を貰えば、あとはまた別の任務待ちだよ」


 それを聞いて女性は溜息を吐く。


「……なんというか、まあ。いったい誰に似たのだろうね、香月クン」

「あの……あなたたちは知り合いなのですか?」


 かけた眼鏡の位置を直しながら、春歌は言った。


「知り合いというよりは腐れ縁だよ。小さいときから、湯川のことを知っていただけだ」


 溜息を吐いて答えたのは香月。

 湯川と呼ばれた女性は頬を両手で押さえながら照れている素振りを見せる。


「いやだなあ、香月クン。昔みたいに(このみ)お姉さんと呼んでもいいのだぞ?」


 果はそう言って、香月を抱きしめる。屈んでいる彼女の胸付近に、香月の顔が当たる形になる。


「ちょっと待て! そもそもこんなことされる筋合いなんて無いし!」

「いいじゃないか。昔はこうやって遊んだだろう?」



 ――春歌がこのテンションについていけないのと、果と香月のテンションに引いているのを見た果は、香月を解放する。



「済まなかったねえ。これがいつもなのだよ。最近、香月クンは遊びに来ないし。来るとしてもこういう風に怪我をしたか厄介事を背負い込んだ時くらい。まったく、病院を便利屋扱いしないでほしいね」

「毎日のように、怪我もしていないのに病院行くわけがないだろ! それこそ破産する!」

「じゃあ、養ってあげようか?」

「そういう問題じゃない!」

「あ、あの……? もうほんとうに大丈夫ですので……」

「そうかい? だったら僕はもう帰らせてもらうよ。仕事が簡単すぎたというのもあるけれど、明日は明日でやることがあるからね」


 そう言って欠伸を一つし、香月は診療室を後にした。

 春歌と果だけの部屋となったが、別段果はそれを気にする様子も無かった。というのも、時間的にもう夜間診療の時間となるらしく、ナースも先生も患者も少ないらしい。

 となると仮に患者が来た場合、ここに居る春歌も診療出来る先生の対象になるのだろうが――。


「ああ、もし夜間診療を私もやるのではないか……と思っているのならば心配しなくていいよ。私は君の治療につきっきりということになっているから。もし何かあっても、君の治療をやっているという体で頼むよ」

「ほんとうにあの人に言われたように天才なんですよね……?」

「ああ、天才だよ。君の心の奥にある、魔術師に対する負の感情も感じ取れるくらいに、ね」


 それを聞いた彼女は顔を顰める。それを感じ取られるとは思わなかったのだろう。

 それを気にせず、果は話を続ける。


「彼は強い人間だよ。あの年齢であれ程の魔術を使うことが出来るのだからね。過去にいろいろあったのは確かだが……それでも彼は強く生きている。それゆえに、甘えることを知らないのだよ」

「何か……あったのですか……?」


 果が口を噤んだのを見て、春歌はしまったと思った。

 そんなことを言ってしまって、完全に失言だと思った。

 だが、そのようなことを気にすることも無く、果は話を続ける。


「香月クンの両親、彼が小さいころに死んでしまったのよね。二人とも、優秀な魔術師だったらしいけれど……。それゆえに、ライバルが多かったようよ。だから、殺されたのではないかなどと言われているけれど……そもそもあの事故じゃ……魔術師の仕業とは一概に言えないし」

「事故?」

「十年前、木崎湾に落下した飛行機事故……聞いたことは無い?」


 春歌は頷く。この市に住んでいる人間ならばその大半は聞いたことがあるからだ。

 木崎湾飛行機墜落事故。

 木崎湾に墜落した飛行機に居た乗客乗員合計二百二十名のうち、生き残ったのは四名。当時その四名は『奇跡の四人』などと言われメディア・マスコミに取り沙汰されていたものである。


「あれは……ほんとうにひどいものだった。今だって思い出したくないくらいだ。私は、あの事故の検死を担当してね。命が無い人間を何百人も見ていくのは苦痛のほか言いようが無かったよ」


 果の言葉を聞いて、春歌はその言葉に相槌を打つことすらできなかった。しなかったのではない。彼に隠されたその過去を聞いて、何もできなかったのであった。

 だのに春歌は彼に冷たい目線を送った。送ってしまった。


「君に、そのような心を示す必要はないよ。知らなかったことは罪ではない。それに、彼は孤独が好きなだけだよ」



 ――彼女は、ここで思った。



 もしかしたら、彼にならば――彼にならば、私を助けてくれるかもしれない、と。

 唯一の希望。光。それを見つけた気がした。


「お願いします」


 だから、言った。


「――彼の居場所を、教えてください」





 柊木香月は夜の街を歩いていた。

 すでに時刻は深夜零時を回っている。

 木崎市は港湾都市としてその栄華を築いた都市である。木崎市の南部には木崎湾が広がり、世界各地から様々な荷物が輸入及び輸出される。

 そういうわけで。

 木崎市はワールドワイドに対応しており、その明かりが二十四時間尽きることは無い。木崎市が直営する原子力発電所もあり、電力は充分に賄えるのだという。環境団体は原子力発電所以外の発電所を作ることを反対しており、また市にとっても原子力の方が、他に比べてコストパフォーマンスが良いということから、火力発電所よりも原子力発電所が多いという結論に至っている。

 二十四時間営業のコンビニエンスストアに入り、商品棚を物色する。棚には様々な商品が展示されており、最終的に缶コーヒーとおにぎりを手に取る。

 レジを通し、お金を払い、袋に入れてもらい、それを受け取り、外に出る。たったそれだけの行動であり、時間も僅か数分。効率性を求めて、彼は任務の後の食事は必ずコンビニと決めている。コストパフォーマンスを考えて、これがベストであると決めたからだ。

 何だかんだで、食事を作ろうという気はないのであった。

 おにぎりの封を開け、一口頬張る。彼が手に取ったおにぎりのうち一つは、大抵いつも食べているものだ。

 ツナマヨネーズ。

 それを食べないと身体が落ち着かないくらい、彼はツナマヨネーズのおにぎりを食べていて、彼はそれが無くてはならない体になってしまった。

 彼が住んでいる家は木崎市にある小さなマンションである。そのマンションに帰れば、あとは眠るだけ。それで充分だった。

 退屈なんて、思っちゃいなかった。

 むしろ、これだけでいいと思っていた。これで充分だと思っていた。

 だからこそ、彼は――ほんの一瞬だけ油断していた。



 ドゴッ!!!!!! と彼が歩いていた横にあったビルが崩落した。



 突如と無く。かつ予兆も無い。

 ビニール袋は手に持ったまま、しかしそこから逃げることも無く、ビルを見る。



 ――すでに破壊されたビル、その瓦礫の上には、誰かが立っていた。



 迷彩柄のワンピースを着た少女だった。金髪が青白い月光に照らされ、輝いている。風に靡くその光景は、切り出せば一つの絵になるかもしれないと思う程であった。


「……ランキング七位、柊木香月。専門は……おや、未登録ですか。何というか、珍しいですね。『データベース』に登録が無い魔術師が、未だこの世界に住んでいたなんて」


 少女は取り出したスマートフォンの画面を見ながら、ぶつぶつと呟く。しかしその声は様子を窺っている香月にも聞こえるくらい大きなものだった。

 聞いていた香月は鼻で笑い、答える。


「今のこの世界、情報を持つものが制する。それは昔、聞いたことがあったからね。そう簡単に登録するのは避けているというわけだ。そもそも、登録しなくてはならないという理由は無いからね」

「成る程。至極御尤もでありその通りの発言であるね」


 スマートフォンに口を近づけながら、少女は言った。

 香月はそれが何を意味しているのかそれに気付かなかった。もし彼が気付いていたのならば、もう少し戦いは有利に進んでいたかもしれない。


「ej・ei・bb・et・ff・ff・ff!」


 それが詠唱――基礎コードであることは彼も解っていた。

 だが、少女が持っているスマートフォンがコンパイルキューブであることに気付くには、少し時間を要した。

 直後、轟! と炎が彼の周りに渦巻き始める。


「スマートフォンにコンパイルキューブを組み込んだ……か!」


 香月の返答に、高笑いで答える少女。


「そうだ! ランキング七位と言っていたから、強いものかと最初から本気出してみたけれど、これくらいも瞬時に判別できないのか……。ランキングの基準って解らないものだね!」

「……どうかな。実際解らないぞ。案外面白く、単純に決まっているかもしれないな」

「負け犬の遠吠えかい? ……どちらにせよ、そのままじゃ死んじゃうよ?」

「そう思っているならそれでいいさ。……君は殺せるのかい?」


 それを聞いて、少女は首を傾げた。


「何が言いたい?」

「当然のこと。君は人を殺したことがあるのか、そして今も殺そうとしているが、殺せるのかということだよ。ランキング一桁を倒そうとしているのだから、それくらいの覚悟はしているのだろうね……という話だけれど」

「ff・ff・ff!!」


 その言葉によりさらに強くなる。

 香月は炎の中から少女の姿を見つめるだけだった。

 そして、炎の渦が香月の身体を飲み込んだ。



◇◇◇



 少女は消し炭となった、その場所に立つ。コンクリートが熱で少し溶けたこと以外は、何の変哲もない。よもやここで『人を焼いた』など思うはずもないだろう。

 これで彼女のランキングが幾らか繰り上がる。十位以内に入っているランキングホルダーを倒したのだから、当然のことだ。

 それにしても、あの若い少年がほんとうに魔術師で、しかもランキングホルダーだとは思いもしなかった。魔術師のランクは年齢に比例しない。かといって反比例もしない。年齢はただの指標に過ぎないのである。

 少女は腰につけていたカバンから煙草のようなものが入っている箱を取り出す。

 そしてそれを、炎を付けぬまま口づけた。

 それが彼女の日課であった。敵を倒した後の、至福の瞬間。これが彼女の一番好きな時であったし、一番大好きな瞬間であった。

 だからこそ、油断していたのかもしれない。

 瞬間、彼女は――違和感に気付いた。

 それが、彼女の身体を突き刺す、何者かの腕であることは解るのには、少しだけ時間を要した。


「……な、ぜ?」


 背後には、香月が立っていた。

 笑みを浮かべて、彼が立っていた。


「僕が何もしなかったことに疑問を浮かべたのはいいだろう。だけれど、そこから何も考えなかったのは及第点をあげるには無理だったね。そこで、『なぜ僕が何もしなかったのか』ということについて考えて、せめて一つの結論を導いていればよかったというのに」

「……結論?」


 ぐちゅり、という音を立てながら、一気に腕を引き抜く香月。


「がああああああああああ!!??」


 激痛による絶叫。それを聞くことも無く、彼はというと。


「あーあ……お気に入りのパーカーが血で汚れてしまった。どうするか、責任を取ってくれるのだろうね?」


 戦闘よりもパーカーの汚れをきにしていた。 

 血を吐きながら、それでも彼女は未だ香月を見つめていた。睨み付けていた。


「……お? まだ戦える感じ? いいなあ、僕はそういうの好きだよ。及第点を一つ、あげてもいいくらいだ」


 だけれど、と言って踵を返す。

 それをチャンスと思った少女はスマートフォンを取り出し、基礎コードを詠唱しようと考えるが――。


「――だが、もう遅い」


 その直後、彼女の身体が炎に包まれた。


「ああああああああ!!!!」

「ああ、言っておくけれど、それで簡単に殺す程僕も甘くない。何せ僕は殺されかけたのだからね? 一瞬とはいえ、だ。だから、君には情報を言う義務がある。僕に君の知っている情報を伝える義務があるというわけだ」


 炎に燃やされながらも、なお生きている。

 それは地獄というほかならない。

 少女は舌を噛み切ろうかとも思った。


「ああ、舌を噛み切ろうなんてのはやめたほうがいいよ。最悪、舌くらいは復活させられる。どちらにせよ君ははなさなくてはならないということ。解っていただけたかな?」

「……さすがはランキング七位。嘗めていたのは失敗だったか……」

「当然でしょ? ……さてと、こうやっていると身体が燃え尽きてしまうな。質問をしようか、さっさと質問を済ませてしまいたいからね」


 そう言って、香月は再び踵を返す。

 少女の焼けている身体と向き合って、香月は笑みを浮かべた。


「単刀直入に質問しよう。……なぜ僕を狙った? その口ぶりからして、ランキングホルダーだから狙ったわけではないだろう?」

「ああ、そうだ」


 少女は意外にもすぐに返答した。


「ならば、なぜ?」

「――お前は今日、ある魔術師を倒し、少女を救った」

「速いね。いったいそれはどこから回ってきたのか、気になるものだけれど、伝えてくれることは出来ないのだろうね」

「それは伝えることなんて出来ない。私が殺されてしまうからね」


 殺されてしまうという言葉に思わず香月は吹き出しそうになった。なぜなら現在進行形で殺されているというのに。

 少女の話は続く。


「……まあ、それはいい。その少女が私の上……そうだな、雇い主とでも言えばいいか。そちらさんが欲しがっている」

「お前に任務を与えた人間が居る、と?」


 少女は首肯。


「その任務が、少女を手に入れること――だと」


 少女の名前を知っているだろうが、取り敢えずその名前を隠しておく。


「そうだ。その少女がどういう力を持っていて、なぜ欲しがっているのかは解らないが……。まあ、任務を与えられたのだからやるしかない。それが魔術師というものだ」

「少女を手に入れる? 彼女には魔術を使える力があるとは思えないが……。まあ、いい。それさえ聞けば十分だ。……ff」


 最後、コンパイルキューブに囁きかけて、踵を返す。

 直後、少女の包まれている炎が、さらにその勢いを増していく。

 そして彼女の身体は燃え尽きた。






「もしもし。ああ、僕だ」


 香月は夜道を歩きながら電話をしていた。少女を組織が狙っているという話を聞いたからとはいえ、それは香月には関係のないことだった。


「そう。彼女は出ていったか。……なに? 僕の場所を聞いた、だって?」 


 それを聞いて溜息を吐く香月。これで漸く解放されたと思ったから、また忙しくなるのかと思うと溜息しか出ないものだ。

 マンションに着いて、エレベーターに乗り込む。五階のボタンを押して、扉を閉める。



 ――閉めようとしたのだが。



「待ってください!」


 それに割り入るように、誰かがエレベーターの中に入ってきた。

 その姿は彼も見覚えのある少女だった。


「確か、君の名前は……」

「城山春歌、です」


 そう言って春歌は頭を下げる。

 香月は鬱陶しそうな表情を浮かべながら、購入した缶コーヒーを開ける。

 エレベーターの扉は閉まり、ゆっくりと目標の階に向けて動き始める。


「……それで? どうしてこうして、僕を呼び止めたわけ? 君は魔術師から救われた。僕は魔術師を倒したから報酬がもらえる。それでいいじゃないか。ウィンウィンな関係というわけだよ。それの何が不満だというのか。怪我とかは病院で見てもらっただろうし、きっと湯川のことだろうから完璧に治してもらったのだろうけれど」

「いえ、そういうことでは……。あ、あの……」


 苛立ちを隠せない香月は缶コーヒーをもう一口。


「何だね。言ってみればいいんじゃないかな。取り敢えず、考え事をまとめてから」

「ありがとうございます。助けていただいて」


 再び頭を下げる春歌。

 それを見て目を丸くする香月。

 頭を上げてもなお、香月は目を丸くしたままだった。


「あ、あの……。どうしましたか?」

「いや、まさか……。それだけを言うために来たのではないだろうね?」

「はい」


 同時に扉が開く。どうやら目的の階に着いたらしい。

 そしてそれと同時に目に入ったのは、黒いスーツの男だった。背丈は二メートル以上ある。

 男は春歌を見つめながら、言った。


「城山春歌で、相違ないな?」

「……不味い!」


 刹那、香月は春歌の腰を手に取り、彼女を引き寄せた。

 直後、春歌の居た場所に網が張り巡らされた。


「……流石というか、なんというか。やはり、ランキング七位の魔術師だけはある」


 コキコキと首を鳴らし、男は鼻で笑った。その目つきはサングラスをしているためか、薄らとしか見ることが出来ない。


「――だからこそ、殺し甲斐があるというものだ」


 男はポケットからあるものを取り出した。

 それはナイフだった。ナイフを舐めながら、ゆっくりと香月の方に近付いてくる。


快楽殺人鬼(シリアルキラー)って聞いたことがあるか? 殺人を主にして行動する犯罪者、だったか。まあ、ここで定義のことをとやかく言うのはあまりよろしくないが……俺はそういうものに属する存在というわけだ」

「魔術で人を殺す……ということか。そのナイフは魔術伝達の媒体ということだろう?」


 男は頷く。その表情は笑みを含んでいた。


「流石だな。そこまでまるわかりとは。……だからこそ、俺も全力を出せるというもの……!」


 男は手首に口を近づけ、呟く。

 基礎コード――その入力。

 それに気付いたからこそ、彼は背を向ける。

 そこにはエレベーターの壁があるだけだった。


「恐れをなしたか!」


 男の言葉を無視して、彼はコンパイルキューブに基礎コードを入力する。


「ej・bek・afl・zz!」


 基礎コードがコンパイルキューブに通され、『コンパイル』される。

 直後、香月の目の前にあった壁が崩落し、穴が出来た。その大きさはちょうど一メートル六十センチ程。香月も春歌も少しだけ屈めば入ることの出来る大きさだ。その穴からは空が確認できる。


「逃げるつもりか!」

「残念ながら、一般人が居るからね」


 そして、香月は春歌を抱えたまま空へ飛び込んでいった――。

 急いで後を追ったスーツの男だったが――あいにく飛行魔術を使えず――ただ下を眺めるだけだった。

 スーツの男はスマートフォンを取り出し、ある場所に電話をかける。

 電話はすぐに繋がった。


「もしもし、俺だ。ターゲット及び魔術師が逃走した。ああ、申し訳ない。急いで後を追ってくれ。今、座標を転送する――」


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