夜明け前の楽園 2
ここは二階、院長の執務室。
ローズウッドのデスクには、アンティークな地球儀と羽根ペン、銅で作られた馬のペーパーウェイト。もちろん、全てインテリアだが。
院長は革張りのひじ掛け椅子に座り、腕組みをしながら考えこんでいた。
「院長、さきほどから何をそんなにお悩みで?」
事務兼院長の秘書を勤める、四十近い痩せぎすでグレーのスーツ姿の男、森田がデスクにコーヒーを置いた。
「……わ」
「は?」
「そうよ、『和』だわ! アタシとしたことが、それに気づかないなんて…!」
デスクにいきなり両手をついて立ち上がった院長に、森田が驚く。
「院長、どうなさったんですか?」
「森田、今年の『乙フェス』は和カフェでいくわよ!」
ほっと胸をなでおろし、森田は机にこぼれたコーヒーをふき取った。
「ああ、『乙フェス』のことですか。和カフェとは斬新ですね」
「ええ。白衣カフェはまあまあ好評だったけど、その次の猫耳執事カフェは賛否両論が大きく分かれたわね。やっぱり、語尾の“にゃ”がマズかったかしら」
公式サイトにも“理央くんに「にゃ」と言わせるのはどうかと…”の意見があった。
非公式の掲示板では“院長、崩壊してんじゃね?”などのキツイ意見もあった。
「去年の軍服を着せた士官学校カフェはかなり好評で、またやってほしいとの要望が公式サイトに多数寄せられました」
「今年は大正時代の『旧制高校カフェ』に決まりよ!」
一度案が出ると院長は、激しい妄想が止まらない。
「学生服と書生服。濃茶に薄茶、和菓子に和パフェ、あんみつ。室内は…そうねえ、蓄音機を置きたいわ」
「レンタルの手配をいたします。それと、制服の準備ですね。後は、お茶と和菓子の発注…、生徒たちに日本茶の淹れ方をマスターさせましょう」
胸ポケットから小さな手帳を取り出した森田は、サラサラと書き連ねていく。
「嗚呼、デカルト、カント、ショーペンハウエル、アールデコ! 蓄音機は唄う『宵待草』。コークスのストーブや、大正時代の活動写真のパネルなんかも借りられるかしら。ねえ森田、知ってる?」
「何でしょう?」
「桜の木の下には、死体が埋まっていると言われるのよ。西洋では薔薇の木、だけどね」
「…何の話ですか…」
インテリアの地球儀をグルグル回しながら、“ああ、全ての国名を削り取って『JAPON』と書き換えたいわぁ~”と何かにとり憑かれたように呟く院長をそのままに、森田は自分のデスクに座り、早速パソコンで制服や和菓子などの発注の手配を始めている。
「それはそうと院長」