守護するモノ
黒い雪が降っている。もう一ヶ月以上も降り続いており、辺り一面は雪の黒で染まっている。降り積もった雪から放たれる放射線の数値は危険域をとうの昔に超えており、アーコロジー外縁の住人には政府からの避難命令が出ていた。
だが、これは何も珍しいことではない。
第三次世界大戦――。今からおよそ百年前、文字通り世界を舞台として戦われた先の大戦は、第二次大戦終結後から危惧されていたように核を主戦力とした核大戦となった。開戦から一ヶ月でオーヴィアス連邦とソヴィエト統一連邦の両大国がその政府機能を消失。終戦までのわずか一年の間に、地球人口は二割にまで激減していた。
生き残った人類は、核大戦によってもたらされた“核の冬”から身を守るため、世界各地に残された完全環境都市での生活を余儀なくされており、宇宙にまで進出していたかつての栄華は影も形も残っていない。
第四惑星への開拓団とも長らく通信は途絶えており、人類は復興もままならぬ地球で細々と暮らしていたのである。
ここ白駒市は、かつて日本と呼ばれていた国に存在するアーコロジーの一つであり、約十万人の人口を抱える大規模な都市だ。
久河市長の下、市政府とそれに属する市警察がこの都市の秩序を維持しており、また暴走した自立駆動兵器や突然変異した生物種から都市を守る役割も果たしていた。
そんな白駒市警察には、都市に接近する敵性勢力を発見し、本体の到着までこれを防ぐ精鋭たちが存在する。
市警察長距離偵察中隊に所属する、遺伝子操作によって誕生した思考する人形――通称“カカシ”だ。
猛吹雪となったこの日、カカシたちの小隊を率いる玖代幸政警部補は、毎日のルーティンワークとなっている黒い雪原への偵察任務に赴いていた。
『ポイントA、異常ありません』
『ポイントB、同じく異常なし』
NBC偵察車の中から指揮を執る幸政のもとに、各所に散らばったカカシから定時報告が上がってくる。戦域情報システムの情報を拡張角膜の仮想ウィンドウ上で確認しつつ、引き続き監視せよ、とお決まりの文句を告げて通信を切った。
幸政は狭い車内でNBC防護仕様の装甲服を着込んでいるという窮屈な状況に不快感を覚えていたが、さすがにこればかりはどうしようもない。
遺伝子操作を受け、短時間であれば生身で外に出ても平気な――ただし、その後の一生を病院で過ごすことにはなる――カカシたちとは違い、普通の人間である幸政は生身で外に出たその瞬間に即死する。
万が一NBC偵察車が破壊されたときに備えて、装甲服を着ないという選択肢はあり得ないのであった。
そんな窮屈な思いをすること三時間。そろそろ交替の時間か、と思っていたその時、緊急通信を告げるアラームが鳴った。拡張角膜上の仮想ウィンドウにはすでに敵勢力の情報が投影されている。
『こちら、デルタ8。見慣れないオートマトンを発見しました』
「見慣れない、だと? まさか新型か……?」
先の核大戦の際、兵力に困窮した各国は、資材の調達から製造までを自動でこなすオートメーション工廠を各地に建造した。戦後もこれが稼働し続け、オートマトンを生み出し、また修理や改修などを行っているのである。
基本的には同じものが製造され、その形を保ちつつ性能が向上していくために基本的な対抗策は変わらないのだが、五十年ほど前に、一度だけ新型が大量に出現したことがある。
惨劇の一年と呼ばれたこの年、確認できているだけで二十四のアーコロジーが壊滅し、大戦以来最大となる犠牲者を出している。
新型が出現すれば、人類は重大な危機に曝されることとなる。幸政は警戒を強め、市警本部からの増援を要請するべく通信回線を開こうとした。
「こちら、デルタ小隊。本部、応答せよ」
『――』
「本部? 通信が繋がってないのか?」
どれだけ本部を呼び出しても、聞こえるのは雑音ばかりだ。はっと気づいた幸政は、各所で偵察任務に就いているカカシたちへの通信を試みた。
「デルタ小隊各員、聞こえたら応答しろ。繰り返す、聞こえたら応答しろ」
『――』
本部に繋いだときと全く同じ雑音だ。念のため、通信機をチェックするが異常はない。
「よりにもよって俺の当直の時に……! おい、前進だ。強行偵察シークエンスを開始しろ」
「了解」
操縦席に座るカカシが機械的に答え、スイッチを入れる。車内が赤いライトで照らされ、NBC偵察車がゆっくりと前進を始めた。
センサー類が全力稼働で周囲を索敵しており、セントリーガンはすでに攻撃準備を整えている。車内には低いエンジン音と叩きつける暴風の音だけが響いていた。
前進を始めて五分ほどしたその時、着信を告げるアラームが鳴った。
『こち――、――タ12。攻撃を――――ます!』
雑音混じりでよく聞こえないが、通信の背後で聞こえた、ドドド、という重低音はカカシが持っている20ミリ機関砲の射撃音だ。間違いなく、戦闘状態に突入している。WAISには、通信を入れたカカシの現在地が表示されていた。すぐそばだ。
幸政は悩むことなく、照明弾の発射を命じた。上空高く打ち上げられる照明弾は、通信が繋がらない状況下で集合を命じるために用いられるが、オートマトンに位置を知られることにもなる。
ただ、すでにすぐそばでカカシが戦闘を行っている状況では大した変わりはない。幸政は一瞬の間にそこまで判断していたのである。
「戦闘用意」
「了解」
NBC偵察車は速度を上げ、カカシが戦闘を行っているであろう地点へと向かう。すぐに暴風の音に混じって独特の重低音が聞こえてきた。
センサーには謎の新型と戦闘を繰り広げる、装甲服をまとったカカシの姿が映っていた。
「何だ、あれは……? まるでアームズじゃないか」
核大戦まで、人類が主力兵器としていた人型の戦車。今では失われたそれが甦ったかのような人型兵器の姿がそこにあった。
オートマトンは簡易な作りを基本としている。無論、長年の進化で極めて巧緻な戦法を駆使するようにはなっていたが、それはどちらかといえばソフトウェアの強化であり、まかり間違っても人型兵器のような複雑な進化はしていなかった。
仮にこれが新型だとすれば、核大戦において核兵器と並んで猛威を振るったアームズを止める術は、今の人類にはない。
一瞬だけ感じた恐怖を振り払い、幸政は戦闘を続けるカカシへの支援砲撃を命じる。
「撃て!」
NBC偵察車の25ミリ機関砲が火を噴く。放たれた弾丸は敵の新型へと吸い込まれていき、爆発を起こした。
あっけない終わりに拍子抜けした幸政だったが、次の瞬間、背筋を凍り付かせるような光景を目の当たりにする。
「馬鹿な、あの攻撃で無傷だと!」
新型は傷一つ負うことなく、堂々と立っていた。衝撃で呆然としている幸政を尻目に、冷静沈着な判断を崩すことのないカカシは退避行動に移っていた。
急速後退した後、左へ方向転換して全速力で離脱する。だが、新型がNBC偵察車の動きを見定め、手に持った機関砲の引き金を引くと、右側の履帯に命中弾を受けてNBC偵察車は横転する。
「ぐっ……!」
幸政はシートに激しく打ち付けられる。一瞬だけ気を失っていたが、すぐに立ち直るとシートベルトを外し、走行不能に陥ったNBC偵察車を飛び出した。ほぼ同タイミングで離脱した操縦席のカカシと共に窪地に潜り込む。
次の瞬間、再び命中弾を受けたNBC偵察車が大爆発を起こした。
「警部補、あなたはここを離脱してアーコロジーへ戻ってください。これはデフコン1に相当する緊急事態です。至急、市政府の判断を仰ぐ必要があると思われます」
このような状況下にあっても冷静なカカシがアーコロジーへの帰還を具申する。その言葉通りだ。戦闘に特化されたカカシとは違い、幸政は普通の人間なのである。いくら装甲服を着ているとはいえ、オートマトンと戦闘することは自殺行為だ。
まして、相手は五十年ぶりの新型だ。必ず――それも速やかに――この新たなる脅威の出現を伝えなければならない。
「……すまん。後は任せた」
「私たちは人類を守るための剣です。謝罪の必要はありません」
人類を守るための剣。カカシは人類のために戦い、死んでいくことを遺伝子によって義務づけられている。人類が生き延びるために生み出された人の形をした兵器。
これこそが彼らバイオロイドが“思考する人形”とも呼ばれる所以である。彼らには戦う義務はあっても、生きる権利がないのだ。
とはいえ、常に冷静沈着でまるで機械のように感じることを除けば、人の形をしているバイオロイドは人間と区別がつかない。それゆえ、彼らに愛着を抱く人間も少なからず存在しており、幸政もそのような人間の一人だった。
人類のため、部下であるカカシを見殺しにしてアーコロジーへと帰還するというのは、古い歴史を持つ武家出身の幸政にとっては屈辱以外の何物でもない。
血が滲むほど唇をかみ、幸政は戦場を後にする。いつの日か雪辱を果たすことを誓いながら。
幸政がアーコロジーにたどり着き、事態を知った市政府が五十年ぶりとなるデフコン1を発令して、市警察が全戦力を投じて新型撃滅に動いたその頃には、すでに幸政の部下である十六人のカカシは全滅していた。
新型は数が少なかったこともあり、市警察の後先考えない猛攻撃によって撃破することができたが、わずか数機で十六人ものカカシ――人間に換算すれば一個連隊級の戦力――を全滅させるという新型の登場は、人類にとって重大な脅威となる。
この後、白駒市を襲った新型は世界各地で目撃され、かつての人型兵器になぞらえてアームズと呼ばれるようになったこの新型は、五十年前の新型をはるかに上回る惨禍を人類にもたらすこととなる。
時に2195年。白駒市郊外における遭遇戦は、後に第四次世界大戦と呼ばれる一世紀におよんだ長く苦しい戦いの始まりであり、その大戦中盤、バイオロイドの軍団を率いて人類総反攻作戦を主導した玖代幸政元帥の、初めての敗北であった。