脱出へ
走って、走って。
イヨの体力が限界に達した頃、ようやくセリカは走るのをやめた。速度をだんだんと遅くしていき、建物の影へ隠れるようにして入りそこで歩みを止める。それと同時にイヨはへなへなと座りこんだ。もう一歩も進めない。呼吸をするたびに喉が痛み、息をするのもつらかった。なんとか顔をあげると、セリカが不思議そうにこちらを見つめていた。全く息は乱れていない。
「……大丈夫、イヨ」
「……ちょっと、……少し、まって」
まともに返答できず、セリカはわかってくれたのかイヨが落ち着くまで待っていてくれた。いきなりの展開で、頭もまったく働いていなかったがとにかくルフレ達が追ってこないのはたしかのようだった。落ち着くにつれて先ほどの出来事が頭の中によみがえってくる。それと同時に、何故こうなってしまったのかという疑問も浮かんできてしまったが。
あの狭い空間で銃弾がかすりもしなかったのは、きっとスイ先生のおかげだろう。それだけの実力を持っているはずだから。まずは学院へ戻らなければ──と思ったが、きっと軍人たちがいるに違いない。今回の事でセリカの仲間だと思われてもおかしくないはずだ、何事もなく生徒として戻れる気がしなかった。
だからといって家にも戻れるかどうか──
「迷惑、かけた?」
暫く黙っていたセリカがしゃがみこんでイヨの顔を覗き込む。
「……。セリカの忘れ物って、何なの?」
その質問には返答せず、イヨはそう聞き返した。
セリカはぱちくりと瞬きしながらイヨを見つめていたが、やがてポケットから先ほどの透明の容器と──赤いエクラを取り出した。
何をするのかと思えば、赤いエクラをその容器の入り口へと押し付ける。
キン、と高い音が頭に響いて、ちくりと痛み思わず目を瞑る。何かが、頭の奥で囁いてくる。
その声が何を言っているのか判る前に、
「できた」
と言うセリカの声で目を開けた。痛みはもうなかった。
セリカの手には、ルフレが持っていたような炎が入った容器だった。しかし、ルフレのよりも数段明るく強く燃えているようにみえる。
『全く、どうなる事かと思ったぜ』
そして聞こえてくる男の声。イヨは吃驚して、辺りを見回した。
しかし誰の姿も見えない。男の声は続いて
『……まぁ、そりゃ驚くわな』
「……言ってなかった」
そこでようやく、イヨは容器の中の"炎"がはなしているということに気づいた。
「え、なんで!? どうしてエクラが喋ってるの!?」
「……コレは特別。喋れる」
『コレとかいうな』
「……本当に天の贈り物なの?」
だからこそ、不思議な力が宿っていて──?
鉱石の一種類か何かだろう、と見当していたイヨは思わずそう呟いた。だからこそ、不思議な力を持ち、あの場所に保管されていたのだろうか。
『ハッ、贈り物ねぇ。……まぁなんでもいい、俺は他のエクラとは違うってのを覚えといてくれればな。……で、どうすんだよセリカ。こんなガキ連れてったって足手まといだろ。晶術だってまだ使えないみたいじゃねえか』
ズケズケとものを言う性格らしい"炎"は、ひそひそするわけでもなく普通の声でそう言い放つ。たしかにまだ実践もした事はないイヨだが目の前でそんな風に言われると少しへこんでしまう。セリカは、そんなイヨを見て「そのままじゃ何もできないのはそっちの方が酷い」と"炎"に意見した。
「……戻したい。でも、今は迷惑かかる。できない。……ごめん」
今度はセリカがへこむ番だった。無表情ではあるが、うつむいてその声のトーンも低い。たしかにスイの結界があれば銃弾に巻き込まれる事はなかったから、無理して一緒に逃がす必要もなかったわけだが、セリカは銃弾に当たらないようにと考えて行動してくれたのだ。どっちにしろ、逃げないままでもあのルフレに捕まっていた可能性もないとは言えない。だからイヨは責める事はできなかった。
『他の国で逃がすか? 晶術を学べる学校なんていくらでもあるぜ』
「そ、それはダメ!」
イヨが、すぐに反論した。
『なんだよ、わがままな女だな』
「……どうしても学びたいの。そうしたら、私の違和感が判るかもしれないの」
『違和感?』
「……うん。なんでかわからないけど、晶術やエクラを使用している場所や物が近くにあると、何か違和感を感じるの。それがどういうものかっていうのは……説明できないんだけど。なんだか胸がざわついて、こう、なんていうのかなぁ」
ソレをうまく説明できなくて、イヨはうなる。
イヨは小さい頃から日常的に"違和感"を感じる事があった。それが大きくなって、痛みを感じる事もあれば、小さく頭の奥でざわつくだけの時もあった。その違和感自体をどう説明するかなんて幼い自分にはできず、だからこそ親や周りの人に言うこともできなかった。そしてその違和感がエクラに対するものだと気づいたのは、10歳の誕生日を迎えたあたりからだった。
可視できない晶術から、日常で使われるエクラを使用した物。それらが使用されている場所や部分に限ってイヨは違和感を感じていた。
だから、その違和感の正体を確かめるためにイヨはベラエレツ王立晶術学院を選んだのだ。晶術やエクラに関してもっとも勉強できる場所だと感じたから。
『……成る程、エクラや晶術が判るのか。お前、図書館の地下にも気づいてたんじゃないのか?』
「判る、っていっても……ちょっと胸がざわつくとかそういう感じ。それにたくさん晶術が使われてるところじゃ何がなんだか。学院だって、あんなにすごいとは思わなくて、最初は具合が悪くなったりして、でも辞めるわけにもいかないからどうにか慣れちゃったんだけど。あんな地下にあって、エクラばっかりだと逆にわからないよ」
『まぁ、あんだけエクラが使われてたらな……』
「……この後はどうしよう。学院に戻るわけにもいかないし」
暫くの沈黙。
やがて"炎"が再び喋りだす。
『わかった。俺はお前に興味がわいた。その力、何か役に立つかもしれねえ。ついてこいよ』
「え、えぇ!?」
『お前の身はセリカが守る。どうせ戻れないんだからよ、課外活動だと思ってお勉強すりゃいいじゃねえか』
「か、課外活動って……」
"炎"の発言に戸惑うも──断ろうとは思わなかった。思わずセリカのほうを見るが、勝手にイヨの護衛を命令されたにも関わらず、否定する素振りを見せなかった。きっと、自分のせいで元の生活に戻るのが難しくなってしまった事に責任を感じているのかもしれない。
街の中だけで生活してきたイヨにとって、外の世界に興味がないわけではなかった。
でも、自分にとっては学院に通うのが精一杯で、そんな機会なんてなくて。
旅にでれば、色々な事を知れたら、もしかしたらこの違和感について何か知る事ができるかもしれない。
このチャンスを、手放すなんて。
「……イヨ、私の責任。私が守る」
力強くうなずくセリカ。
『一生戻れないわけじゃねえ。俺たちの目的が終われば戻してやる。その頃にはあのヒステリー女共も落ち着いてんだろ』
「……行きます。私、一緒に行かせてください」
『決まりだな。……んじゃ、このまま外に出るぞ。準備なんかしてる暇なんてないからな』
「うん、」
「……挨拶、する?」
イヨの返事に何かを察したのか、セリカがそう問いかける。
家族の事が、イヨにとっては心残りだった。
このまま黙って出て行けば、きっと心配するだろうから。
『おいおい、家に戻ったところで捕まるのなんか目に見えてんだろ。逃げ切ったとしても、家族思いとかそんなモンを利用されて家族を人質にされるに決まってんだよ』
「うるさい、余計な事言いすぎ」
「……ううん、いいの。……行こう」
"炎"を咎めるセリカに、イヨは首を左右に振る。間違いの言葉でも、なんでもない。戻ったほうが危険かもしれない。
イヨにはもう、迷う心はなかった。家族には悪いが、このまま行方不明になったほうが行動もしやすいはずだ。戻って良い方向に傾く事はないだろう。セリカたちも危険な目にあってしまう。
『それでいいんだよ。さっさと行こうぜ』
「わかった。……それと。イヨ、私の事は呼び捨てで良い」
「え、あ……うん、わかった。よろしくね、セリカ。……あ、そういえば……、なんて呼べば……」
そこでイヨが"炎"の方を見る。
話ができる以上、何か名前が必要だろう。が、"炎"のほうは既に名前があるようだった。
「すっかり、忘れてた。コレの名前」
『コレじゃねえ! 教えただろうが!』
「あ、あるんだ……」
『ホムラだ。俺の名前は。わかったらさっさと行くぞ、ほら!』
不思議な喋る炎、もとい"ホムラ"に急かされる様にして──
二人は、再び歩き出したのだった。