真実のリバーシブル
「はろー、元気ぃ?」
何が起きたか分からなかった。
激情のままに飛び出した俺は、空を見上げている。昨日も、こんな感じだったか。
「て、めえ――!」
再び、涙が零れてきた。
何やってんだよ、お前は。融解犯を捕まえるんじゃなかったのかよ。何で……お前が融解犯なんだよ。
「ちくしょう! ちきしょう!!」
震える身体に鞭を打って立ち上がる。
ちくしょう。俺はお前を信じてたのに。お前は最初から、俺を裏切ってたってのかよ……!
「何で……何で俺を殺さなかったんだよ」
「さてね。何でだと思う?」
「いつでも殺せるからか」
「あっは。残念、まだ殺したいと思ってなかったからだぜ」
楽しそうに笑いながら、俗悪を垂れ流す。爪が食い込むほどに握った拳は、痛みを感じなかった。
「殺すのか、俺を」
「勿論。その為に接触したんだからな」
口角を吊り上げて、くつくつ笑う。
俺がどう足掻いたって勝てる相手じゃない。少年漫画の主人公みたいに、こんなピンチで覚醒するはずもない。
けど、だからといって。逃げるのだけは絶対に嫌だった。何が何でも、骨まで溶かされようとも一発殴らないと気が済まなかった。
「融解犯、捕まえるって言ったくせに」
殺すって、あんなに憎しみを込めていったくせに。
「何でだよ……何であんな事言ったんだよ」
「…………」
砥傾は答えない。
「学校、楽しくなかったのかよ」
色んな人と楽しそうに触れ合ってただろ。
なのに、人を殺すのかよ。
「どうなんだよ! 答えろよ砥傾!!」
くそ、みっともないな俺。泣きながら、そんな事叫んで。答えがどうであろうと砥傾は救われない。
ただ俺が救われたいだけだった。救われた気持ちに、一瞬だけでも浸かりたかっただけなのに。
「楽しかったよ」
――砥傾は、言って欲しくなかった言葉を、小さく呟いた。
「きっと、楽しかったんだ」
止めてくれ。
「小さい頃に家族が死んで、それからずっと一人だったんだから。楽しくないはずがない」
「もう、止めてくれ」
「倉六月と一緒に居た時間は、掛け替えの無い宝物なんだよ」
「止めろよ、止めてくれよ」
「――だから、オレはお前を殺すんだ」
その搾り出したような声を……前にどこかで聞いただろうか。何でお前はそんなに悲しそうな顔をしてるんだ? どうしてそこまでして、人を殺そうとするんだ。
お前は――あ?
「違う」
何か不自然だった。何かが違った。それは決定的に異なっていて、だからこそ引っ掛かっている。
「……お前、今」
「オレは、お前を殺すと言った」
オレ……?
違う。砥傾はオレだなんて言わない。単に感情が昂っているから変化しているだけかもしれないけど。藁にもすがる思いの俺は、それにすがらずにいれなかった。
「お前は、誰だ」
確証は無い。無根拠だけど。
「誰って、砥傾夕歌」
「違う。お前は砥傾じゃない」
いくらあいつが性格の悪い奴でも、そんな目はしない。そんな風に人を無価値であるように見たりしない。
その目をするような奴なら、そもそも復讐を考えたりしないから。
「へーえ。出会ってたった一日なのに。分かってるじゃん」
一時的にでも疑った事を謝罪しよう。
断言する。これは砥傾夕歌じゃない。
「妬けるぜ。六月くん」
飄々としながら、馬鹿にしたようにそう言った。
俺は同じ問いを、もう一度投げ掛ける。
「お前は……誰だ」
「だから、オレは砥傾夕歌だぜ。ウラ、のな」
「ウラ?」
「そ。砥傾夕歌には二つの人格が住んでるってわけだ」
二重……人格。解離性同一性障害、だったか。つまり砥傾の中には、融解犯を追う自分と、融解犯としての自分が居るというのか。
だったらそもそも、砥傾が融解犯を捕まえる事は、不可能だったのだ。
「オレの記憶はオレの物。オレの時間はオレの物。でも表人格の全ては、オレにも伝わる」
「随分、不公平じゃねえか」
「楽しいぜえ。融解犯を捕まえようとする自分自身こそが、他ならぬ融解犯だなんてよぉ。滑稽だろ?」
こ、いつ。頭に血が上るのが分かる。
それでも踏みとどまって続きに聞き入る。
「それに、不公平って言ったか?」
「あぁ。言った」
「それには同意。明らかに不公平だ。むかつく程に不公平で、反吐が出るほど不公平。そして、殺したくなるぐらい不公平なんだよ」
心底、憎々しげな目で。俺を睨め付けながら言い放つ。
「どれ程理不尽だろうか。オレはオレの為に生きれない。オレはいつだって夕歌の為に生きてる」
そこで、融解犯である『ウラ』が感情を吐露している事に気付く。
熱を帯びた語調からもありありと感じる。
「なのに夕歌は、自分の為……自分の為だけに生きてる。こいつがどれ程不公平か、お前には分かるだろ」
「……分からねえよ」
「――そうだったな」
言って、ウラは笑う。
「お前は惨たらしく殺してやる。助からない程痛めつけて、死にゆく残された時間で、夕歌に会わせてやるよ」
「……復讐か」
「夕歌に一日時間をやったのもその為だ。より深い思い出を作らせた方が、辛いだろ?」
「く、そ野郎が」
歯が割れる程強く噛み締めて、拳を握る。
ここで俺が飛び出すのは、相手の思惑通りとなってしまう。砥傾を悲しませてしまう。
だけど逃げたって同じ事だ。逃げれはしない。けれど勝てもしない。
だったら俺は、お前の分もこいつを殴る事を選びたい。
「そうやって、砥傾から奪っていくのかよ。今までも、これからも」
「勿論だ。だから死んでくれ」
「お前にとっても、家族じゃなかったのかよ……!」
「……ふん。死ね」
俺が駆け出すのと同時に、ウラも跳び出した。
触った瞬間に俺は溶けて無くなる。それでも一発。ただの一発。
――拳を打ち出す。
やがて、一陣の風が吹いた。