不正解のナポレーニュ
「という事で、砥傾夕歌さんだ」
朝のホームルームで、砥傾は鮮烈なデビューを果たした。転校生、とは違うけれど、教室に新たな仲間が加わるというのは嬉しいものなのだ。
制服も借りて、本格的に学生として、ただいま質問攻め真っ最中なのだった。
「ま、楽しめるといいな」
時折助けを求めるような視線を送ってくる砥傾を無視して、外を眺めながら呟いた。
……後で殺されなきゃいいけど。
※
既に時刻は十二時前。
現在は四時限目の授業を受けている。
「それじゃこの問題は……砥傾さん、やってみて」
「は、はい!?」
本日何度目だろうか、この砥傾らしからぬ返事を聞くのは。教師にとっても当然の如く好奇の対象である砥傾は、授業毎に数度指名されていた。
「あ、えっと」
チラリと俺を見る。こうやって助けを求められるのも何度目だろう。俺は決して助け舟を出さないわけだが。
なので休み時間の度に罵詈雑言を浴びせられてるのは言うまでもない。
「も、問題をもう一回」
「ナポレオンの全名を答えなさい」
「全名……何でしょうかねえ」
当惑した表情で俺と先生に視線を行ったり来たりさせる姿が滑稽で、俺はいつ吹き出してもおかしくなかった。
やばい、涙出てきた。
「ナポレオン・ナポレーニュ?」
「えっ」
「えっ」
「…………」
「…………」
不味い不味い不味い不味い。こいつ馬鹿だろ。語感が良いからってそれは無い。ウケ狙いにも微妙すぎる。
そんな姿に愛らしさを感じるクラスメイト。
俺だけが笑いを堪えている。
「仕方ないな……それじゃあ、倉」
「あ、はい」
耐え切れず、先生は対象を俺に移行。突然指名されたからといって笑いをおさめる技術は俺には無い。よって弛緩しきった顔のまま立ち上がる事になる。
ああ、砥傾の鋭利な視線が痛い。
「ナポレオン・ボナパルト」
「正解だ」
「ナポレオン・ナポレーニュ」
「ちょ!」
「あはははははははははははは!!」
駄目だった。言ってみたら耐えれなかった。砥傾が恥ずかしそうに声をあげたのがとどめ。しかも俺が大笑いしたのを皮切りに、教室は笑い声に包まれた。
砥傾の死ぬ程恥ずかしそうな顔をしっかり網膜に焼き付けておこう。
多分、俺は死ぬ。
※
「言い残すことはある? あったら胸にしまっておきな」
「そんな殺生な、ナポレーニュ様」
「まじで殺す」
おどけてみたら、死刑宣告いただいた。思い切り伸ばされた砥傾の腕を、必死に避ける。掴まれたら殺しはしないにしろ、大怪我は免れなそうだから。
「どうして避けるの? 私ナポレーニュ様だよ」
「ぷっ、おま、開き直るなよ、くく」
怒ってるくせにそんなサービス効かせるなよ。
いかん、口元が。
「だから――!?」
瞬間、なにやら動物の鳴き声のような音が俺に届いた。きゅーという小さな鳴き声。に聞こえる……腹の音。砥傾は恥ずかしそうにプルプルと震えている。
「……お前ってさ、意外に締まらないやつだよな」
「うるさいわね!」
学校に来た事で、俺の砥傾に対する印象はどんどん柔らかくなっている。結構親しみやすい奴なんだな。馬鹿だし。
「ま、腹減ったろ? 食堂でも行こうぜ」
「奢りなさいよ」
「言うと思ってたから大丈夫」
ご機嫌取りも兼ねて。
昼休みのごった返す食堂へ向かった。