通過したヴィジョン
砥傾夕歌、彼女はそう名乗った。
とかしゆうか、とかしゆうか。繰り返して刻み込む。命の恩人の名前。
「大丈夫? 彼女に襲われて、無傷だったら相当運がいいんだぜ」
感心したような笑みを浮かべて、励ますようにそう言った。
風に乗って香ってくる、砥傾の匂いが身体に悪い。嗅ぐと病みつきになりそうな、中毒性のある香り。凄く女の子してる。
「帰らないの? 流石にこのオンボロベンチじゃお尻が痛む」
「その言い方じゃ、お前まで俺の家に来るみたいだぞ」
「当たり前だろ。私、家が無いもの」
さらりと、大変な事を言う。
月を見上げながら、寂しそうな表情で笑って、
「溶けたんだ、家族も家も全部」
凄絶な過去を打ち明けた。
言葉に詰まる。どうして俺に? 会ったばかりなのに。
思い切って聞いてみようか。
「なあ、どうして俺にそんな事を話すんだ? 何で、笑ってられるんだ」
「さあ。自分でも分からない。私の心も、溶けちゃったかな。辛い過去はいつまでも残ってるってのに」
「……俺達、会った事あるのか?」
何故そんな事を思ったか分からない。
けれど俺は確かに見た。頭を過ぎった紅蓮を想起する赤髪。小さく呟いた「さよなら」。
俺達は、既に邂逅を果たしていたのじゃないかと。
「無いよ。何を思ったか知らないけど、私と君は初対面」
「……だよな」
素っ気無い返答を受け取って、頭に残留するイメージを振り払う。
何を考えてるんだ、俺は。残念、何て思ってるんだろうか。
「君の名前聞いてもいい?」
「俺は、倉六月」
「くら……ろくづき。うん、いい名前だな」
お世辞を言ってる風では無く、心の底から言ってるように見えた。素直に照れておこう。
「さて、それじゃあ行こうか六月。助けてあげた分の恩は返してよな」
「ぐ、それを言われると言い返せない……」
仕方がないので、行く宛も無い砥傾を連れ帰ることにした。
聞きたいことも、色々あるし。