3.45
携帯電話の振動が、足の付け根に伝わる。
βはポケットの中を探ると、慣れた手付きでそれを開き、通話ボタンを押した。
「β-12です。お名前とご用件をどうぞ?」
「はい。μ-22です。現状報告をお願いします」
「指示通りに動いてますよ。対象の記憶には残ったんじゃないですかね。そちらは?」
「ちゃんとした接触はまだです。ですが、悪い印象は持たれていないかと」
「あれ、そうなんですか?でも、接触は急いだ方がいいと思いますよ。90日なんてすぐですし。それに、あなたが今回の統率者ですからね」
「そうですね。それと、Й-645の動向ですが」
βは視線を上に向けると、Йの姿を思い浮かべる。ふむぅ、と息を付くと、目玉をきょろりと左右に動かした。
「まぁ、あれはあれでいいんじゃないですか。ある程度の距離は保てるでしょうし」
βがそう返すと、少し間が空いた。回線の向こうのμは、何かを思案しているようである。
「監査要員ではないのに、不思議ですね」
「そういう役回りなのかもしれませんね、今回は。好きにやらせてみましょう」
「了解です。最後にもう一点」
液晶画面を耳から離しかけたβは、μの言葉に手を止めた。
「Ф-645の行方について、マキナから」
「行方?帰ってないって事ですか?」
「『因子』の中で最後に接触したのがあなたという記録が残っています。16時間と28分44秒前の事ですが」
「位置情報は、マキナが把握してるはずじゃ?」
「Фが、何らかの方法で遮断したと」
βは顔をわずかに歪めると、溜め息を零した。
「面倒だなぁ、全く。捜索はしておきますって、マキナに伝えておいてください」
「了解です。ご健闘を」
プツ、と短く音を立てて、電話から聞こえる雑音は静まった。
ボタンの上で怠そうに指を滑らせるβは、淡白な表情で並んだ番号を見つめていた。
再び液晶画面を耳に当てると、しばらくしてから舌打ちをする。
「やっぱ出ねぇか、畜生」