毎日の挨拶
なんだか、ある種のはじめの一歩(?)を踏み出した感じです。
「おはよう!」
階段から跳び跳ねるように降りてきた男は、私にそう声をかけてきた。
上着のポケットに両手を入れながら、満面の笑みを浮かべている。
歩みをとめるのはいつだってこの男、千架だ。
ため息をつき、男に冷ややかな視線を送りつつ、目的の職員室への廊下を急ぐ。
「ちょっとー、シカトしないでよ―――」
階段を数段とばして降りてくる音が聞こえた。
「ねぇってば」
私の肩に手を置く。無許可で。
「触らないで」
放課後の静かな廊下に、私の声がスッと切り込む。
「ゴメンナサイ」
両手を肩より上に上げて、ヒラヒラとさせてから、頭を下げた。
「でも――、かすみちゃんがオレのこと無視するから……」
うなだれながらも、所々で私と目線を合わせてくる。次第に元気を取り戻し、口をとじたまま口角を上げている。何が嬉しいのか。
そうやってにやつく千架を捨て、先を急ぐ。 煙たくついてくるのは目に見えていた。
「ドコ行くの――?」
「職員室」
語尾をのばす独特の口調が、私の耳に跡を引く。廊下がいやに長い。
「でさ――、なんで無視したのー? キゲンが悪いワケじゃないみたいだし――」
一定の速さで足を踏みだす私の隣にしゃしゃりでた。
二階、三階、四階。吹き抜けになった校舎は、新設されて間もない。風はどこから吹いているのか。頬をかすめて、髪を揺らす。
「あんたが、午後五時半にもなって、おはようとか言う馬鹿だったから」
あ――それー? と能天気に口にする千架。
「寝坊しちゃってさ――。かすみちゃんに会いたくて、急いでガッコウ来たんだよ――。エライでしょー?」
白い歯を前面に笑う千架。横目でそれを見た。本当に同じ年齢なのかを疑いたくなる。今時、中学生でも精神年齢は、もう少し上ではないのか。
「あー、急いで来たから……」
横にいた千架の声が後方から聞こえた。振り向くと、学生服の中に着ている、パーカーのフードを外に出そうと躍起になっている。
「アレー? 届かない――」
一向に成果のでない、その小さな世界に終わりがこない。
自分の尻尾を捕まえようと、ぐるぐる回る犬みたいだ。
屋上から光が差す。天窓からの全ての輝きが千架だけに降り注ぐ。
立ち止まる千架に、数歩で歩み寄る。
「じっとして」
首の後ろでモゾモゾしている手際の悪い両腕に、私の掌を添えて下ろさせる。
「えっ……」
千架の口から、小声が洩れた。
千架の首に両手を回し、右手で髪の生え際辺りに触れる。手に後頭部の髪が被さる。肩。学生服の首元近く、左手を触れるように置く。
髪がのびた。もともと長い方だけど。そういえば、前髪も長い。光に透けている。綺麗。
そんなことを考えている間も、千架は私の顔を見ている。千架の目を見なくても分かる、至極簡単なこと。
私は、あえて千架の喉元に顔を近づけている。喉仏が一回、大きく上下した。
遠くで、野球部の掛け声らしきものが耳に伝わる。廊下には、千架の呼吸が備わる。流れる時間は、緊張と緩和で出来あがる。
「できた」
そこで初めて千架の目を見る。
「あ、うん。ありがと……」
千架は、頬を染めた顔を私から逸らす。語尾をのばさない。
それからを見届けるまでもなく、私は踵を返して歩きだす。
廊下には、かすかな私の足音だけが響いていて、千架も、声も存在していない。
「失礼します」
新しい引き戸は、スムーズに横へと滑る。
「おお! 伊原、悪かったな」
「いえ、着倉先生。それで、お話しというのは一体何ですか?」
自分の机に座っていた着倉は、職員室の出入り口まで小走りに向かってきた。
「あぁ……実はなぁ、伊原に頼みがあってね」
体育の教師である着倉は、紺色のジャージを着ている。何か臭い。
「頼みとは、何ですか?」
突然私の前に千架の手が出されて、着倉との間に線が引かれる。
「聞かないで――! ヤダよ。着倉にかすみちゃんのキチョウな時間を割くなんて。あっちゃいけないコト――」
作動するコピー機よりも大きく、千架のワガママが職員室を圧迫した。
一瞬の沈黙のあと、着倉が問う。
「渡、お前今日、学校休んだだろ。何してんだ」
「えへへー。かすみちゃんに会いに来たの――」
と、千架は答える。
板挟みになる私のことも忘れないでもらいたい。
着倉なんて、言葉を失っている。意外に打たれ弱いのか。
「ば、ばかやろー。お前は何のために学校来てるんだ!」
着倉、憤慨。
「かすみちゃんに会いにー」
にんまりと笑顔の千架は、それでも立ち位置を私の斜め後ろに戻した。
普段の着倉は、千架の言動を悪い夢でも見ているかのように。別世界として見ている傾向がある。それでも、今回こうも反応したのは、何かあったのだろうか、と頭の隅を横切る。
「なあ、伊原。なんでお前ほどの人間がこんなヤツと一緒にいるのか分からないよ。
先生には理解できません……」
しみじみとそう言う着倉の口調の変化は、見ていて無情になるほどだ。
「なんだと――!」
怒る千架を左手で制す。
「別に私は、一緒に居る感覚ではないです。勝手にまとわりついてきているだけです」
「そうかぁ? ならいいが。渡、伊原の勉強に支障をきたさんでくれよ。テストも近いんだ」
むぅー、と膨れる千架の顔が目に浮かぶ。
「それでお話しというのは?」
「かすみちゃん」
制服を引っ張られているようだ。
「帰ろ? 着倉なんて無視してー。一緒に帰りたいな――。うわっ……わわわ」
胸の辺りを突き飛ばし、私に職員室の外へと追い出された千架は、よろけながら叫ぶ。
「なんでなんで――? ヒドイよー」
一息置かずに、私は引き戸を閉めようとする。戸の取っ手が嫌に冷たい。でも、気にはしない。
「まって、まって」
引き戸の隙間に、千架の細い腕が割り込み、すっと顔が飛び出した。
私は、安定したたたずまいを崩さない。
「あなたに割く時間もないこと。忘れないで?」
私の睫毛がゆっくりと上下する。
「あと、調子にのらないで」
真顔で千架に告げる。
引き戸の端で閉めきられないように、抵抗を訴える千架の白い手。細い指先。あっけにとられているその顔は、別段悪くはない。
「戸を閉めるから、指挟まるわよ」
「えっ、でもかすみちゃん……」
うろたえている。
きっと着倉が私と千架とのやりとりを、私の背中越しに聴いているのだろう。長くは時間をとれない。
「いいから、目につく所にでも立っていて」
そう告げると、千架の目が大きく開かれた。私が見逃すはずがない。
「それじゃ…」
私は、再度引き戸の取っ手に手をかける。表情に、微笑みの欠片も含まない。
「さようなら」
顔の口元以外を動かすことなく、静かにそう言い放つ。
引き戸は柔らかく動き、音もなく終わりを告げる。
ゆっくり漂う埃と、横たわる光。向かいの窓から、背景の色使いに。
水色のフードが妙に映える。ただ、顔を引き立たせるには――顔と比較するには――取るに足らない程度でしかない。
遮断されていく二つの空間の境目で、唯一見えた千架の顔は、あからさまににっこりと微笑んでいた。
それは瞬間の出来事。
「まったく。意味が分からないな、アイツは。冷たくあしらわれているというのに、ニヤニヤして」
突然の不快感が、世界を壊す。
それ以前に、自分で世界の扉を閉めたのだ。世界が続いているように思えていたのは、私から離れてくれないものがあっただけのこと。
扉を閉めれば、世界が途切れる。それを覚えてはいても、実行してしまう私がいけない。
そして、意味の分からない着倉という存在を忘れていた私がいけなかったのだ。
ささやかな幸せは、簡単に壊れてしまう。
後ろで私を待ち望む、着倉の顔を瞳に映さなくてはいけない。嫌気がする。
どんな頼みか知らないけれど、適当に相槌を打って、早く終わらせてしまいたい。
ゆっくりと振り返り、着倉の顔を目に入れる。
「それで頼みとはなんですか?」
口が腐りそうだ。
頭に、目に、千架が残っている。それ以外への想い。声が心なしか低く思えた。
愛想はよくても、本当ではない。私にしかなつかない、どうしようもない千架だから。
気持ちを出すことが出来ないのは、お互い様だ。
当初の目的を見失いつつあった、だめな私です。
原稿用紙五枚ぶんの二千文字で短編を数書く、『レッツ 短編を書きまくろう!』という謎な企画の、第一作品ですね(o^冖^o)
自分でもかなり謎なイベント(?)なので、まぁ気にしないでください。
しかも、一作目文字数オーバーしてますしね。難しいです。
文章的に「ここはありえない」みたいな批判や、アドバイスなど教えてくださると嬉しいです。その辺りがこの企画提案の発端なので……。
もちろん、普通に感想なども待っています。
この作品の登場人物でで続編みたいに書いていこうかなーと思っているので、気に入った、気に入らない、みたいなのでも聞かせてもらえるとありがたいです。
では、読んでいただきありがとうございました。