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Cherry Blossomシリーズ

each and every graduation

作者: 山仲 奏
掲載日:2026/10/17

ほんの少し前まで雪が降る日があったなどとは信じられないくらい、月が替わった途端に春めいて、暖かい日が増えてきた。

そんな3月初旬のある日。星風(せいふう)学園高等部の卒業式が、厳かに開催された。

「城ヶ崎(じょうがさき)先輩」

校門へと続く広いレンガ道、その手前の中庭。級友や演劇部の後輩たちと、別れを惜しみつつ思い出話に花を咲かせていた城ヶ崎英梨奈(えりな)は、背後からの控えめな、だが、明確な意志を持った呼び声に、はっとして振り向く。そこには、英梨奈を囲む人の輪から少し離れるようにして、別所(べっしょ)奈矢(だいや)が立っていた。

「あぁ、別所くん!来てくれたんだ」

人垣から歩み出た英梨奈が近づくと、奈矢は、

「ご卒業おめでとうございます、先輩」

と、爽やかに微笑んだ。ありがとう、と、同じように笑顔を返す英梨奈の背後では、「あれって、1年生の別所くんだろ」「どうしてここに?」と、小さなざわめきが起きている。

女子の中では決して背は低くない英梨奈がはっきりと見上げるほどの高身長、綺麗な逆三角形に引き締まった体躯に、長い手足。抜けるように色が白く、少し目じりが持ち上がった切れ長の目の中には、暗灰色の瞳が輝いている。不意の春風に明るい栗色の髪がなびき、長めの前髪を手で払いながらちょっと目を細める仕草が、何とも艶っぽい。奈矢のその中性的な美貌は、中等部に入学してすぐに学園中を席巻したが、高校生となった今では、“少年と少女の境界”という危うさを完全に脱し、凛々しい青年へと確実に変化している。

「別所くん、水泳部の先輩たちとは、もう話してきたの?」

自分の問いかけに、「あぁ、はい」と曖昧な返事をしたきり黙ってしまった奈矢を、少し覗き込むようにして英梨奈が小首を傾げると、背中の半ほどでまっすぐに切りそろえられている黒髪が、さらさらと揺れた。形の良いはっきりした眉が、同じくまっすぐに整えられた前髪の下から少しだけ覗き、濃いまつ毛に縁どられた大きな黒い瞳や、桜色の小さな唇も、まるで名工が丹精込めた人形のよう。その浮世離れした美しさで、入学以来、不動の「星風のマドンナ」であった英梨奈と、「学園の王子」の名をほしいままにしている奈矢が向かい合っている空間は、そこだけ、世界線が違っているかのようだ。

「……あの」

いつも歯切れのいい奈矢が、珍しく少し逡巡しながら、やっと言葉を継ぐ。

「今日、先輩に、どうしても伝えたいことがあって……少しだけ、時間をもらえませんか」

意外な申し出に英梨奈は思わず目を見張ったが、それよりも、周囲の反応がとてつもなく大きかった。

「え、なに、どういうこと?」「もしかして、告白?」と、口々に色めき立つ級友や後輩たちの声に、英梨奈の焦りは、一気に頂点に向かった。理由は、もし、そうだったらどうしよう?ではない。奈矢と自分の間で、それは絶対にあり得ないとわかっていたからだ。

「ちょっと待って、違うの。そんなんじゃあないんだって」

慌てて周囲を抑えにかかったが、傍から見れば、その言動はただの照れ隠し。まったくの逆効果だった。

「氷の女王・英梨奈さまも、ついに年貢の納め時ってわけか」

「恋人は演劇っていう青春にも、今日で別れを告げるのね」

告白なんかでは絶対にない、だが、その理由は、決して、誰にも、話すことはできない。それはわかっているのだが、いや、わかっているからこそ、面白がって囃し立ててくる同級生の言葉に、英梨奈はますます動揺する。

「やめて、だから、違うんだってば!だって、別所くんは、」

思わず口をついて出かけたが、ぐっと言葉を飲み込んでこらえる。

わたしは、今日で卒業するから逃げられる。でも、別所くんは在校生だ。このまま勘違いされてしまったら、万が一、「告白してフラれたらしい」「実は付き合ってるらしい」なんて変な噂が広がったりしたら……別所くんに好きな人がいた場合なんかに、きっとすごく迷惑がかかってしまう。だからといって、本当のことは、絶対に、口が裂けても言えない。どうしよう……どうしたらいいの。

「だから、わたしじゃあないのよ、別所くんの一番は……そう、淳(じゅん)!淳なの!」

追い詰められた結果、とっさに、奈矢と自分の関係を深く理解している従弟、そして奈矢の親友でもある城ヶ崎淳一郎(じゅんいちろう)の名前を口走った英梨奈は、言った直後に、しまった、と、両手で口を押さえる。

「あ……の、えっと、一番っていうのは、つまり、親友としてっていうか……ね?だから、別に、そういうんじゃあ、ないのよ、わかるでしょ」

慌てて弁解モードに切り替えたが、それがかえって、一瞬呆気に取られて黙っていた級友たちを、先ほど以上に煽ることになった。入学以来、その仲の良さに加えて見た目や性格が好対照なことから、一部の界隈で「星風のオスカルとアンドレ」と呼ばれ続けていた奈矢と淳一郎であったから、英梨奈の発言は消火剤になるどころか、特大の燃料投下にしかなっていなかった。

ああもう、どうしてこんなことに……

どれだけ難しい演技を要求されても、舞台の上ならこなす自信はある。しかし、現実世界のこういう場面のうまい立ち回りについては、自分でも驚くほどに、まったく見当がつかなかった。現状を打開しようと口を開けば開くほど沼に嵌り、それでさらに焦って墓穴を掘ってしまうという、完全なる悪循環。

盛大にパニックに陥っている英梨奈が、また墓穴を深くするための何かを口にしようとしたその時、奈矢がすっと前に一歩踏み出し、背中に花を背負っているかのような、完璧な微笑みを浮かべた。

「では、そういうことですので。少しの間、先輩をお借りします」

いったい何が「そういうこと」なのかはまったくわからなかったが、そんな疑問を挟む余地がないほど爽やかに言い放ち、英梨奈の手を取ると、そのまま優雅にエスコートするかのように、校舎の向こうへ消えていく奈矢。その場に残された人々は、思わずぽかんと口を開けて、二人の背中を見送った。


校舎をぐるっと回った裏庭は、式が終わって時間が経っていることもあってか、人気がなく静まり返っていた。まだ彩りのないつつじの植え込みの間に一本だけ大きな桜の木が立っていたが、その蕾は咲くべき時を待ちながら、固く閉じている。その桜の木の下で手を離すと、奈矢は踵を返して、英梨奈と向かい合った。

「すみません、ずっと待っていたんですけど、先輩は人気者だから全然一人になってくれなくて……無茶をしました」

苦笑交じりにそう言う奈矢に、英梨奈は慌てて謝罪した。

「わたしの方こそ、ほんとにごめんなさい。そうよね、別所くんと一緒に、さっさとあの場を離れてしまえばよかったのに……混乱して、とんでもないこと言っちゃったわ。どうしよう……」

「気にしないでください。淳一郎がおれにとって大事な存在だってことは、事実ですから」

両手で頬を包んで視線を彷徨わせ、動揺が続いている様子の英梨奈を安心させるように、奈矢が明るく言う。

「……それで、」

次いで奈矢は、少し声のトーンを落とし、続けた。

「さっきも言ったとおり、今日、先輩に……どうしても、直接伝えておきたいことがあるんです」

奈矢の話が、級友たちが騒ぐような愛の告白でないことは、重々わかっている。しかし、敢えて今日という日を選び、直接伝えたいというのは、いったいどんな話なのだろうか。

英梨奈もまた少し緊張しながら、奈矢の次の言葉を待った。

「先輩は、今日で高校を卒業して、4月からは大学生で……留学の予定もあるんだって、聞きました。つまり、おれの学校の先輩では、なくなるってことですよね。だから……その」

誰に対しても臆さず意見を主張できる、それが、英梨奈の知っている別所奈矢だ。そんな奈矢が今、自分のすぐ向かいに立っていながら視線を斜め下の方向に外し、懸命に言葉を選びつつ、訥々と話している。その様子だけでも、何か、とても大事な想いを伝えようとしているのだということが、ひしひしと伝わった。

「……おれ、あの日から、ずっと考えてたんです」

やがて奈矢は、深く、大きな息を吐くと、思い切ったように顔を上げ、言う。

「先輩とのことを、どうしていったらいいんだろう、どう思ったらいいんだろうって、それを、ずっと、考えてました。それで、先輩との関係を否定したままでいたくない、そんなことする必要はないって、思ったんです。だけど、どうしたらいいのかは、わからなくて……いや、たぶん、思ったことを伝える勇気が、出せなかった。でも、先輩が留学するって聞いて、もしかしたら、先輩が将来は外国で暮らすってことだって、あるかもしれないって考えたら、なんか、すごく焦ったというか……後悔しないように、伝えるなら、今しかないって思いました。だから、父さんや母さんとも話して、先輩のご両親にも、話をしてもらったんです。みんな、おれの好きにしたらいいって、そう、言ってくれました」

奈矢はここで、息継ぎをするように言葉を切って、まっすぐに、英梨奈の目を見た。

「だから、あなたを先輩と呼ぶこととか、無関係の赤の他人のふりをすることとか、おれ、今日で、やめます。もっと近くで、いろんな話がしたいし、同じものを見たり、食べたり、楽しんだりしたい。そして、もし困ったことがあったら、そのときには、力になりたい。だって、あなたはおれの……たった一人の、姉さんだから」

ひとことも取りこぼさぬようにと、真摯に、丁寧に、奈矢の言葉を受け取っていく。それがまったく予想外の方向に着地した瞬間、英梨奈はただ小さく息を呑み、絶句した。その脳裏に、奈矢と出会ってから今日までのことが、次々に浮かんでは消え、巡っていく。

奈矢の亡くなった実母と英梨奈の実父が関係していたこと、そして奈矢が生まれたのだということを知ったのは、今から約2年半前のことだ。奈矢の実母は誰にも何も告げずに出産し、その実母が亡くなったあと、奈矢は養父母に育てられた。だから、もし奈矢が星風学園に入学してこなければ、そして英梨奈に出会わなければ、この事実は、おそらく誰も知り得ない秘密として、終わっていただろう。それを偶然にも暴いてしまったのは、城ヶ崎家の別荘で奈矢の実母の写真を見つけてしまった、英梨奈と淳一郎だった。

既に養父母の別所夫妻との特別養子縁組が成立していたことや、何より、奈矢が「今の両親との生活を失いたくない」と強く願ったということもあって、城ヶ崎家と別所家は、今までどおり、縁故のない間柄として暮らしていくことになった。そのことは、大人同士の話し合いではすぐに合意されたようだったが、英梨奈の心中は、それほど簡単には収まらなかった。

奈矢が我が子であることはおろか、そもそも生まれたことすらも知らなかった父と、知った上ですべてを受け入れ、のみ込んでいた母。それはあまりにも重い、家族の秘密だった。衝撃、驚愕、怒り、落胆、やるせなさ……様々な想いを父母それぞれにぶつけて受け止められたこと、また、心からの謝罪と偽りない事実の開示を受けたことで、英梨奈は、いろいろなことを少しずつ消化し、気持ちの整理をつけていった。そうやって徐々に気持ちが凪いでいくと、同時に、奈矢に対しての気持ちも、大きく変化した。恵まれた容姿であるばかりでなく、文武両道で自分の意志を持ち、リーダーとしての資質も申し分ない。そんな奈矢を見て、身内として誇らしい気持ちになることは、何度もあった。「すごいじゃない!さすが、わたしの弟だわ」と、奈矢の肩を叩きたいが、しかし、それは、許されない。自分にできることは、ただ、遠くからそっと見守り、その洋々たる前途と幸せを、人知れず願うことだけ。これまでも、そしてこれからも、「別所奈矢」として生きていくことを選んだ弟のために、自分に許されているのはそこまでなのだと、自身に言い聞かせてきた。

しかし、今。

姉さん。

奈矢の口から、その言葉が、自分に向けて、発せられたのだ。

ただただ固まって、自分を見つめている英梨奈……その姿をしばしとらえていた奈矢の視線がおどおどと揺れたかと思うと、

「あの……でも、」

と、焦ったように付け加え始める。

「これは、あくまでもおれの気持ちなんで、無理に合わせてもらう必要は、ないんです。その……姉さん、が、今までどおりの方がいいってことなら、おれは、全然、それで構わないっていうか」

自分で宣言をしたものの、英梨奈の呼び方を変えることに対してまだ毎回勇気を必要とするらしい奈矢は、その息苦しさを逃がすように、ネクタイとシャツの襟もとを一緒に掴んで、ぐいと引っ張った。

自分の気持ちばかりを押し付けない気遣いや優しさは、奈矢の実母、そして養父母が奈矢にかけてきた愛情の証。だが、緊張した時のその仕草、その癖は、間違いなく、父のものと同じだ。離れて暮らしていても、事実を知らされていなくても、理屈ではない何かによって、絶対的に繋がっている。そしてこれからは、誰にはばかることなく、一緒に、その絆の糸を紡いでいける……そうしたいと、奈矢の方から、言ってくれた。

別所奈矢は、紛れもなく、わたしの「家族」。

そう確信した瞬間、英梨奈の足はひとりでに走り出し、弟の胸の中に飛び込んでいた。

「嬉しい……ありがとう、奈矢……」

英梨奈の両の瞳から、とめどなく涙がこぼれ落ちる。

奈矢。

そう呼ばれてちょっと驚いた後、この上なく優しい表情で英梨奈を見下ろす奈矢の瞳にも、小さな雫が光った。自分の胸に顔を埋めて涙を流す英梨奈の背に、奈矢は、おずおずと片腕を回して、もう片方の掌で、そっと、その艶やかな黒髪を撫でる。

ふいに渡る春の強風が、二人の髪と、桜の蕾を揺らしながら過ぎ去ってゆく。奈矢には、そして英梨奈にも、微かに、春の匂いが届いたような気がした。


――そして。

この、誰もいない裏庭での姉弟の新たな始まりのシーンは、実は校舎の上から、数人の在校生に目撃されていた。その結果として、この後しばらくの間、「城ヶ崎英梨奈と城ヶ崎淳一郎が、別所奈矢を巡って骨肉の争いを繰り広げている」という、とんでもない噂が駆け巡ることになる。

英梨奈と奈矢、そして、夕方から開催されるテニス部の送別会に向けて、寄せ書きを準備しつつのんびりと自宅で過ごしていた淳一郎。当事者の三人がこのことを知るのは、まだもう少し、先の話なのだった。



(了)


【あとがき】


番外編にお付き合いいただき、ありがとうございました。

本編『Cherry Blossom』のエピローグ部分で三児の母になっていた英梨奈が、ロンドン留学で運命的な出会いをする直前のお話、ということになります。

今回は、異母姉弟である英梨奈と奈矢が、その事実を知った後に様々な葛藤を乗り越えて、姉弟の絆を繋いでいくお話でしたが、このあと、次世代に向けても、この姉弟は深い関わりを持ち続けます。彼らがどんな親になり、その子どもたちが、どんな青春を送るのか。

末永く、見守っていただけると幸いです。

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