前に立つ者の名 ――生き残るための最前線
フェレル諸国連合の西端、バルグラッド王国近郊。
そこは本来、肥沃な大地と交易路に恵まれた、争いとは縁遠い地域であるはずだった。
だが今、地平線の向こうには黒煙が立ち上り、風に乗って腐臭が漂っている。
土を踏みしめるだけで、まるで大地そのものが腹を空かせ、何かを喰らおうとしているかのようだった。
「……来たか」
銀色の髪をなびかせ、巨大な体躯の騎士が丘の上に立っていた。
ジキル・オーネスト。
帝国貴族オーネスト家の長男にして、今はその名を捨てた冒険者である。
重厚なプレートアーマーに包まれたその姿は、まるで城壁の一部が動き出したかのようだった。
背中には長剣。腕には武器としても使える手甲を装着している。
盾は持たない。彼の戦い方は、常に最前線に立ち、敵の攻撃を受け止め、叩き伏せるものだった。
ジキルは眼下に広がる陣地を見下ろす。
人族、獣人、魔法師、傭兵。
種族も立場も異なる者たちが、即席の柵と土塁の内側に集められている。
彼らは皆、共通のものを体内に宿していた。
聖核――それが人族と呼ばれる存在の証である。
そして、それに相対するもの。
魔核を持つ者たち――魔族。
魔人族、ダークエルフ、ダークドワーフ、魔獣、モンスター。
その頂点に立つ存在こそが、悪魔だった。
今回、フェレル諸国連合が迎え撃つ敵は――
暴食の悪魔。
七つの原罪、その一角を冠する存在。
世界を「喰らう」ことを是とする、支配者の一柱。
警鐘が鳴り響いたのは、正午を少し過ぎた頃だった。
「来るぞ! 前方、森から反応多数!」
見張りの叫びと同時に、木々がなぎ倒される音が響く。
現れたのは、異形の群れだった。
暴食の悪魔の眷属――モンスターたち。
叫びと同時に、森を突き破って現れたのは魔獣の群れだった。
腹部が異様に肥大した狼型――グラトニー・ハウンド。
飢えを表すように裂けた口から、粘ついた涎を垂らしながら突進してくる。
防衛線に並ぶ兵士たちの足が、わずかに止まった。
恐怖は、連鎖する。
だが――
「……邪魔だ」
低く、抑えた声が戦場に落ちた。
次の瞬間、銀色の影が前に出る。
巨大な体躯。
全身を覆う重厚なプレートアーマー。
振り下ろされた長剣は、まるで重量そのものが違うかのように、魔獣の首を骨ごと断ち切った。
一撃。
続けて踏み込み、横薙ぎ。
二体、三体と、魔獣が灰になっていく。
「……は?」
後方で呆然とする傭兵が、思わず声を漏らした。
「……誰、あれ」
後方で詠唱を準備していた魔法師の女――ダレハが、思わず手を止めた。
「人族の重装騎士……? でも、動きが違う」
彼女の隣で、同じく魔法師のマーレイが舌打ちする。
「目立ちすぎよ。あんな前に出たら、真っ先に――」
言葉は、続かなかった。
地面が裂け、スロート・ワームが飛び出す。
巨大な口が、銀髪の騎士を飲み込もうとする。
騎士は飛び上がり、地面ごと叩いた。
爆ぜるようにワームが崩壊する。
「危険すぎる」
マーレイが、半ば呆然と呟いた。
「でも……強い」
ダレハは、はっきりとそう言った。
一度、前線を離れ、騎士は後方、
魔法師団の場所まで後退する。
騎士が水分を補給していると、彼の活躍を見ていたものが集まる。
「なあ、アンタ」
軽い口調で声をかけたのは、剣を持った若い男だった。
傭兵風の装備、どこか飄々とした雰囲気。
「悪いが、名前を聞いても?」
騎士は、一瞬だけ視線を向ける。
「……ジキルだ」
「姓は?」
「捨てた」
短い答え。
だが、その場にいた者たちは理解した。
これは、ただの兵士ではない。
「俺はラッド。Cランク冒険者だ」
男は笑い、肩をすくめる。
「アンタみたいなのが前にいるなら、少しは生き残れそうだ」
「――ねえ」
ジキルは振り返る。
「私はダレハ。ルディア王国・魔法師団所属です」
「本来は後方支援専門なんですが……今回は人手不足で、ね」
ジキルは短く答える。
「ジキルだ」
少し遅れて、もう一人の魔法師が前に出る。
鋭い目つき、わずかに顎を上げた態度。
「……マーレイよ」
ぶっきらぼうな声。
「同じくルディア魔法師団。攻撃魔法担当よ」
彼女はジキルを値踏みするように見た。
重装、前衛、しかも魔獣の群れを単独で押し返す力。
(……化け物じみてる)
そう思いながらも、口には出さない。
「さっきの動き、かなり前に出てたわね」
半ば牽制、半ば確認。
「後ろが崩れたら、意味がない」
ジキルは淡々と返す。
「前が耐えれば、後ろは生きる」
マーレイは一瞬、言葉に詰まった。
理屈としては正しい。
だが、それを実行できる者は、ほとんどいない。
「……ふん」
彼女は視線を逸らす。
「無茶する人、嫌いじゃないけどね」
ダレハが小さく苦笑した。
「マーレイ、前線の人にそういう言い方は――」
「いいのよ」
マーレイは遮る。
「どうせ、この戦い……生き残れるかどうかだもの」
そう言って、再びジキルを見る。
「せいぜい、前で死なないで」
それは皮肉でもあり、
同時に――期待だった。
ジキルは答えなかった。
ただ、再び前を向く。
最初に異変が起きたのは、前線のさらに奥だった。
――ざわり。
音ではない。
空気そのものが、ざわついた。
「……?」
ジキルが顔を上げたのと、ほぼ同時だった。
「おい、前が……騒がしいぞ」
防衛線の兵士たちが、次々に視線を前へ向ける。
魔獣の群れとは違う。
いつもの混戦とは、明らかに質が違った。
叫び声。
だが、戦闘の雄叫びではない。
「下がれ! 前衛、後退――っ!」
「何だ、何が出た!?」
怒鳴り合う声に混じって、
ひどく乾いた悲鳴が聞こえた。
次の瞬間、
前線の一部が――押し潰されるように崩れた。
「……嘘だろ」
ラッドが、無意識に呟いた。
数ではない。
力でもない。
「何かが……歩いてきてる」
誰かの声が震える。
その時だった。
前線から、血にまみれた兵士が転がり込むように戻ってきた。
盾は砕け、鎧は歪み、視線は定まっていない。
「――ネームドだ……!」
その一言で、空気が凍りついた。
「ネームド……」
ダレハが息を飲む。
兵士は、喉を鳴らしながら叫ぶ。
「ただのモンスターじゃない……将だ……!」
「喰われる……あれに近づいた奴から、喰われる……!」
次の瞬間、兵士は崩れ落ちた。
生きてはいる。
だが、もう戦える状態ではない。
「……ネームド、か」
ラッドが、乾いた笑みを浮かべる。
「……実物は初めてだ」
だが、その声には冗談はなかった。
そして、ジキルは、すでに歩き出していた。
「――待って」
ダレハが声をかける。
「一人で行くつもり?」
「前が崩れれば、全部終わる」
それだけ言って、彼は進む。
重装の足音が、土を踏みしめる。
迷いはない。
「……ちょっと!」
マーレイが歯噛みする。
「何よ、あの人……!」
だが、彼女の足は止まらなかった。
「ダレハ、行くわよ」
「……ええ」
二人は顔を見合わせ、杖を握り直す。
「俺も行く」
ラッドが肩を回し、剣を抜く。
「ネームド相手だ。危なくなったら逃げるがな」
ジキルの背中は、すでに人混みの向こうだ。
前線に近づくにつれ、
音が減っていく。
剣戟の音が消え、
叫び声が減り、
代わりに――
何かが、咀嚼するような音が、低く響いていた。
「……何、これ」
マーレイの声が、わずかに掠れる。
視界の先。
人垣の向こうに、巨大な影が見えた。
ゆっくりと。
だが、確実に。
何かが、こちらに向かって歩いてくる。
「……来る」
ダレハが呟き、
ジキルは、剣を構えた。
空気が、腐った。
それは比喩ではない。
実際に、鼻腔を焼くような悪臭が戦場を満たした。
森の奥。
モンスターたちが、一斉に道を空けた。
「……来るわ」
ダレハの喉が、無意識に鳴る。
ゆっくりと現れたのは、人型に近い影だった。
だが、決定的に違う。
腹部が異常に膨れ、皮膚の下で何かが蠢いている。
裂けた口は胸元まで達し、歯列は何重にも重なっていた。
そして、その腹は――常に、何かを咀嚼しているように動いている
《掃除屋バル=グラトゥス》
暴食の悪魔が“戦場の片づけ役”として遣わす存在。
特別な個体を識別するために名付けられる“ネームド”という存在。
「……ッ」
ジキルが一歩踏み出そうとした、その瞬間――
前線のさらに奥で、異変が起きた。
掃除屋は、逃げ惑う兵士を追っていた。
ゆっくりと、確実に。
腹部が、わずかに開く。
中から、“何か”が伸びた。
それが兵士に触れた瞬間、
音もなく。
叫びもなく。
――存在が、消えた。
「……嘘でしょ……」
マーレイの喉から、掠れた声が漏れた。
(なに、今の……?)
(食べ……られた?)
理解が追いつかない。
ただ、背筋を冷たいものがなぞった。
ジキルは強い。
それは、戦いを見れば分かる。
だが――
(あれは……近接じゃ、無理)
気づいた時には、足が前に出ていた。
「……ジキル」
声が、自分でも驚くほど震えている。
「近接は……危険すぎる!」
一瞬、息を吸う。
胸が苦しい。
(でも――)
(止めないと……)
「……遠距離で!」
「私が、削る!」
ジキルが、こちらを見る。
眉がわずかに寄る。
「できるのか?」
短い問い。
だが、疑いではない。
「魔法師団を舐めないで」
そう言っていた。
声に、力を込めた。
(止める……)
(私が……)
詠唱を始める。
指先が、震えた。
雷撃スキル【天裂】。
高位攻撃。
魔核破壊用の、切り札。
光が集束し、解き放たれる。
雷光が、バル=グラトゥスの胸を貫いた。
轟音。
閃光。
確かに、命中した。
表皮が焼け、肉が弾ける。
腹部の蠢きが、一瞬――止まった。
(……効いた?)
希望が、胸をよぎる。
だが。
掃除屋は、反撃しなかった。
――振り向いた。
それだけだった。
(……え?)
首でも、腕でもない。
腹そのものが、こちらを向いた。
(なに……?)
違和感に気づいた時には、遅かった。
攻撃動作がない。
詠唱も、溜めも、殺気もない。
ただ――
“見られている”。
「――下がれッ!!」
ジキルの叫びが、遠くで聞こえた。
(……え?)
次の瞬間。
足元の感覚が、消えた。
「――っ!?」
逃げようとした。
確かに、そうしようとした。
だが、身体が言うことを聞かない。
地面が、沈んだのではない。
“掴まれた”。
影もなく、音もなく、
腹部から伸びた何かが、マーレイの足首を包み込んでいた。
「な……っ」
視線を落とした、その刹那。
――そこには、口があった。
小さな口。
歯だけで構成された、意思のない捕食器官。
「……嘘」
マーレイは、必死に杖を突き立てる。
反射的に、浮遊魔法を起動しようとする。
だが――
魔力が、立ち上がらない。
いや、違う。
流れた瞬間に、消えている。
「待って……」
理解した瞬間、
二つ目の口が、太腿に噛みついた。
そして、
腹が、開いた。
裂けた肉の内側から、無数の“口”が伸びる。
歯、歯、歯。
咀嚼するためだけに進化した、異様な構造。
「――※※※」
掃除屋の声とも音ともつかぬ音が聞こえた。
「え――?」
「な……に、これ……」
叫びが、歪む。
視界の端で、銀色の鎧が動く。
(ジキル……)
手を伸ばそうとした。
だが、腕はもう――自分のものではなかった。
「くそッ!!」
ジキルは、剣を構え、踏み込み、本体を斬り込む。
だが――
刃が触れた瞬間、
バル=グラトゥスの腹が、粘つくように歪んだ。
剣は、入らない。
いや、喰われている。
「……武器まで、か」
彼は即座に剣を引いた。
一瞬でも遅れれば、腕ごと持っていかれる。
その瞬間、衝撃。
ジキルにも別の口が襲い掛かる。
たまらず距離を取った。
ラッドが投げたナイフが刺さる。
ただ、それもゆっくりと、掃除屋の体内に取り込まれていった。
マーレイの叫びは音にならなかった。
ジキルは、手を伸ばす。
あと一歩。
あと一瞬。
だが、その間に――
腹の内壁が蠢き、
彼女の脚を、腰を、胴を――ゆっくりと溶かしながら喰らっていく。
骨が砕ける音。
肉が裂ける音。
助けを求める視線が、ジキルを捉えた。
彼は、手を伸ばす。
(――届かない)
(この距離で、間に合わない……!)
最後に残った頭部が、ぐにゃりと傾く。
「……ダ、レ……」
「……ッ!」
次の瞬間。
腹が閉じる。
何事もなかったかのように。
戦場が、沈黙した。
ダレハは、動けなかった。
(……死んだ)
一瞬ではない。
逃げ場のない、見せつけるような死。
ジキルは、剣を強く握りしめる。
助けられたはずだった。
あと一瞬、判断が早ければ。
だが――
悪魔は、その“一瞬”を許さない。
バル=グラトゥスの視線が、ゆっくりとジキルに向いた。
そしてジキルは、前に出る。
ジキルは、ゆっくりと息を吐いた。
肺の奥に溜まった怒りと後悔を、強引に押し殺すように。
「……俺が行く」
《掃除屋バル=グラトゥス》が、一歩、前に出る。
そのたびに地面が沈み、腹が脈打つ。
内部で何かが動くたび、ごり、と鈍い音がした。
――まだ、消化が終わっていない。
「……許さない」
ダレハの声は震えていた。
だが、その手は震えていない。
彼女は杖を構え、短く詠唱する。
「スキル――《魔力循環》」
淡い光が、ジキルの足元に絡みついた。
重装鎧の内側で、魔力の流れが滑らかになる。
ジキルは、視線だけで理解した。
「くそっ」
「サポートする」
ラッドは剣を逆手に持ち替える。
「ラッド、隙を見て、削ってくれ」
「前には出るなよ」
「言われなくても、だ」
刃に、薄く魔力が走った。
――投擲。
剣が回転しながら飛び、
喰将の膨れた腹の側面に突き刺さる。
「――ッ」
完全なダメージではない。
だが、動きが一瞬、止まった。
「いい腕だ」
ジキルが、低く言った。
「ありがとよ」
自嘲気味に笑いながら、彼は次の刃を構える。
バル=グラトゥスが、怒りに任せて腕を振るう。
いや、腕ではない。
腹の裂け目から伸びた肉の触手が、鞭のようにしなる。
「――前衛強化、重ねます!」
ダレハの声。
「《耐衝撃》《魔力装甲》――!」
光の膜が、ジキルの全身を包んだ。
直後、衝撃。
重装の体躯が、真正面から叩きつけられる。
だが、吹き飛ばされない。
「……効いてるな」
ジキルは、踏みとどまり、前に出た。
その瞬間。
バル=グラトゥスの腹が、不自然なほどに膨張した。
「……来るぞ」
経験が、警鐘を鳴らす。
腹部の裂け目が、さらに広がる。
内側から現れたのは、口だけではなかった。
歯の生えた肉塊が、腕のように変形し、地面を掴む。
「――走るぞ」
次の瞬間、
掃除屋は“突進”した。
巨体に似合わぬ速度。
地面がえぐれ、土塊が跳ね上がる。
「チッ!」
ジキルは正面から受けない。
半身で受け流し、肩をぶつけるように踏み込む。
衝撃。
鎧が軋み、内臓が揺さぶられる。
だが、止まらない
「重ねます」
「――耐衝撃」
ダレハの声。
光の膜が、再びジキルを包む。
掃除屋の腹が、横に裂ける。
中から伸びた無数の口が、
地面を這い、背後を狙う。
「……面倒な構造だ」
ジキルは歯を食いしばり、強引に前に出る。
距離を取れば、囲まれる。
「ラッド頼む!」
分かってる!」
投刃が、連続して飛ぶ。
一撃一撃は浅い。
だが――確実に、口の動きを止めている。
「さすがだ」
ジキルが低く言う。
掃除屋は、怒りに任せて咆哮する。
いや、音ではない。
空気が、胃袋の中で鳴るような、不快な振動。
「※※※……」
腹が、再び開く。
今度は、吸い込む。
空気ごと、魔力ごと、引き寄せられる。
「……吸引のスキルか!?」
足が、前に引かれる。
「ジキル!」
ダレハが、即座に詠唱を切り替える。
「《地の鎖》!」
足元の地面が硬化し、
魔力の鎖が、ジキルの身体を地面に縫い止める。
「助かった……!」
だが、耐え続けるだけでは意味がない。
ジキルは、拳を強く握った。
その瞬間。
バル=グラトゥスの腹が、閉じた。
何事もなかったかのように。
戦場に、音が戻るまで、数拍の間があった。
ジキルは、その場から動けなかった。
――いや。
動かなかった。
(今のは……)
目を、逸らさない。
バル=グラトゥスの腹部。
わずかに、鼓動のように脈打っている。
(マーレイの……!)
その理解が、背骨を冷やした。
次の瞬間。
腹が、再び――
ジキルの方を“向いた”。
……来る」
誰に言うでもなく、呟く。
その瞬間、
足元の感覚が――薄れていた。
地面そのものが、敵の一部になっている。
咄嗟にジキルは横に飛ぶ。
次の瞬間。
彼が立っていた場所の地面が、
静かに、消えた。
音はない。
爆発も、破砕もない。
ただ、そこにあった土と空間が、
掃除屋の“口“にすり替わっていた。
(初見なら……)
(やられていた)
ただ――
ジキルのいた場所に、遅れて無数の口が現れる。
何もいないその場所を、口が必死に噛みついていた。
「隙ができたな」
「出し惜しみはなしだ」
「最初から全力で行く」
「――アーツ」
拳が、黒く染まる。
皮膚が、鋼鉄へと変質していく。
黒光りする腕に、紫の雷が帯電する。
「《ブラックフィスト》」
踏み込み。
鎖が自然に解ける。
真正面から、腹部へ。
拳が、沈んだ。
「――――!!」
掃除屋の腹が、悲鳴のように歪む。
無数の口が一斉に開き、喰らおうとする。
「下がらない!」
ジキルは拳を引き抜かない。
むしろ、押し込む。
だが――
「――※※※」
背後。
完全な死角。
別の口が、ジキルを狙う。
「ジキル!」
ダレハが叫ぶ。
その瞬間。
――ヒュン。
ラッドの投刃が、
背後の口を正確に貫いた。
一瞬、動きが止まる。
「完璧だ」
「いけるぞ」
ジキルは、後退――しない。
「――次だ」
彼は、地を蹴った。
飛び上がる。
高くはない。
だが、十分。
空中で、雷が集束する。
「《トールハンマー》」
落雷のような一撃。
拳が、振り下ろされた。
――轟雷。
拳が、掃除屋の腹を上から叩き割る。
裂けた肉の内側。
そこに――
魔核。
ひび割れ、今にも砕けそうな、核。
「……終わりだ」
ジキルは、着地と同時に、最後の踏み込み。
一斉に襲い掛かる、複数の口。
ラッドの刃が、再び飛ぶ。
ダレハの支援が、重なる。
「魔力供給、最大――!」
拳が、再び、振り抜かれる。
「メテオインパクト」
黒い稲光と共に、魔核が、砕けた。
爆ぜるような衝撃。
バル=グラトゥスの巨体が、崩れ落ちる。
腹が、閉じない。
喰らいきれなかったものが、溢れ落ちる。
沈黙。
ジキルは、拳を下ろした。
「……終わった」
ダレハは、その場にへたり込む。
ラッドは、深く息を吐いた。
「こんなの命がいくつあっても足りねえよ」
ジキルは、一瞬だけ振り返る。
「……おまえたちのおかげで倒せた」
「……ありがとう」
そう言って前を向いた。
マーレイが消えた場所を、
彼は、静かに見つめていた。
拳が、わずかに震えた。
名前を呼びかけそうになり――
だが、喉が動く前に、口を閉じる。
代わりに、剣を握り直した。
「……行くぞ」
それだけ言って、前を向く。
戦争は、まだ終わらない。




