第08話「オルヤ平原(鬼の住む孤島・前編)」
オルヤ平原の果て、海風が吹き抜ける断崖の向こうに、
晴れた日だけ姿を見せる島がある。
人々はその島を「鬼島」と呼んだ。
海に浮かぶその島影は、静かでどこかさびしそうだった。
玲は断崖に立ち、遠くの島を見つめる。
胸元の鈴が、風に揺れてかすかに震えた。
――泣いているみたい。
玲には、そんな気配が伝わっていた。
鬼島には、古くから鬼が住むと言われている。
だが、鬼と人間の関係は決して良いものではなかった。
言い伝えによれば、かつて鬼たちはオルヤの町に憧れ、
人間と共に暮らすことを望んだ。
しかし、町の人々は鬼を恐れ、ある青年に「鬼退治」を依頼する。
青年は力で鬼たちを島へ追いやり、その功績は英雄譚として語り継がれた。
今も町の中央広場には、その青年の像が立ち、人々は誇らしげに語る。
だが、その裏で何があったのか――誰も語らない。
そして、語ろうともしない。
さらに時が経つと、
外から訪れる旅人たちが「英雄ごっこ」のように鬼島へ渡り、
鬼に攻撃を仕掛けるようになった。
でも、鬼は反撃しない。
なのに、攻撃は止まらない。
鬼が人を襲ったのは、はるか昔の話。
彼らが、人間に危害を加えたという記録は、
数百年の間、一度たりともない。
それでもオルヤの人々は「鬼は恐ろしい」と信じ続けた。
玲は、胸の奥がざわつくのを感じた。
恐怖を理由に誰かを悪と決めつけるのが、人間だ。
その結果、真実がねじ曲がることもある。
玲は小舟を借り、鬼島へ向かう。
波は荒く、風は冷たい。
しかし、玲の足取りは迷いがなかった。
島に近づくと、森の奥から小さな泣き声が聞こえる。
鬼の子ども――幼い声だ。
玲は上陸し、声のする方へ向かった。
木々の間で、ひとりの小さな鬼が泣いている。
角はまだ短く、体も人間の子どもと変わらないほど小さい。
そのそばで、母鬼が心配そうに寄り添う。
鬼の母は、玲に気づくと身構えたが、
玲の気配を感じ取ったのか、すぐに警戒を解いた。
「……ひょっとして、外から来た人間に追われたのですか?」
玲が問うと、母鬼は静かにうなずいた。
「この子は泣き虫で……心配で仕方ないのです。
でも、泣くのは悪いことではありません。
ただ……人間が来るたびに怯えて泣くのです。」
玲は、鬼の子の涙を見つめた。
その涙は、恐怖と悲しみの混じる涙で、あまりにも人間らしい。
――鬼は、本当に“鬼”なのだろうか。
玲の胸に、静かな疑問が芽生えた。
玲が鬼島を歩き始めて間もなく、森の奥から小さな影が飛び出してきた。
鬼の子ども――響だ。
「ねえ、人族のお姉さん。僕のママはね、この里のリーダーなんだ!」
胸を張って言う響に、玲は優しく微笑んだ。
「響くん、それは外で言わない方がいいよ。
君のお母さんを守るためにもね。」
響はきょとんとした顔をしたが、すぐに理解したようにうなずく。
「そっか……ママの弱点になっちゃうんだね。」
玲はその賢さに感心した。
だが、響は続けて言った。
「でもね、ママは今怪我してて……つらそうなんだ。
だから僕が代わりに薬を買いに行ってるの。」
玲はその言葉に胸が痛んだ。
「それも、あまり言わない方がいい。響くんは優しいね。」
「うん。ママのことは誰にも言わないよ。」
響はそう言って笑った。
――その笑顔が、数日後には消えてしまうことを、玲はまだ知らなかった。
鬼島に2度目の襲撃があったのは、玲が調査を続けていた頃だった。
数チームの冒険者パーティーが、鬼の若者たちに近づき、
「人間の町に興味はないか?」
「外の世界を見てみたくないか?」
と甘い言葉で誘い出したのだ。
若い鬼たちは純粋だった。
人間を信じたかった。
だから、ついて行ってしまった。
だが、それは罠。
冒険者たちは鬼たちを背後から襲い、次々と命を奪った。
逃げ惑う鬼たちの悲鳴が、島中に響いた。
響の母――紅葉も捕らえられた。
彼女は最後まで抗ったが、冒険者たちは彼女を「見せしめ」にするため、
数日にわたって意味のない尋問を続け、
最後には、火あぶりで焼き殺そうとしていた。
その瞬間だった。
――チリン。
玲の鈴が音を鳴らす。それは、無音の宣告。
風が逆巻き、炎が一瞬で消えた。
まるで火そのものが、玲の気配に怯えたかのように。
冒険者たちは玲の突然の出現に驚き、後ずさる。
玲は紅葉の前に立ち、静かに言った。
「響くん、約束は果たしたわ。」
紅葉は震える声で尋ねた。
「あなたは……何者なのですか?」
「響くんから連絡を受けたの。
“お母さんが捕まった—―どうしよう。”って。
だから、私が来たの。」
紅葉の目に涙が浮かんだ。
玲は冒険者たちに向き直り、短く言い放った。
「お前たちの方こそ裁かれろ!」
鈴が震える。
「――第4層展開。フォースE!」
空気が歪み、冒険者たちは膝から崩れ落ちた。
音も、光も、感覚も奪われ、ただ自分たちの罪だけが胸に突き刺さる。
玲は紅葉を支え、響のもとへ連れて帰った。
響は母の姿を見るなり、泣きながら抱きついた。
その光景に、玲は静かに微笑んだ。
しかしその頃――。
オルヤ平原に任務で来ていたAランク冒険者のもとに、
玲の行いを「非道な暴挙」と偽って報告する者がいた。
「鬼をかばい、人間を襲った女がいる。」
「討伐すべきだ。」
Aランク冒険者は眉をひそめ、剣を手に取った。
――こうして、玲に新たな危機が迫る。
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