第04話「フォクア港(プロポーズ)」
玲は船の甲板に立ち、風に髪をなびかせながら、遠ざかる島影を見つめる。
空と海の境が、淡く溶け合っている。
空は深い藍に染まり、雲はまるで凍った波のように空中に浮かぶ。
船は、セイカ大陸の玄関口――フォクア港へ向かう。
海は静かで、波はまるで眠っているかのように穏やかだった。
その光景は、いつもどこか懐かしく、どこか不安を誘う。
玲の胸元で、鈴がかすかに揺れた。
音はない。けれど、確かに“何か”が揺れていた。
「……また、誰かが泣いてる。」
玲は小さく呟き、視線を前へと向ける。
フォクアの町並みが、霧の向こうにぼんやりと浮かび上がっていく。
港に着くと、玲はすぐに町の空気に違和感を覚えた。
人々の声はある。市場の喧騒も、波止場の掛け声も、確かに響いている。
けれどその奥に、何かが沈んでいる。
音の底に、言葉にならない“濁り”があった。
そんな中、玲はひとりの少年と出会う。
彼は市場の隅で、落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「……君、何か探してるの?」
玲の問いかけに、少年は少し驚いたように顔を上げる。
そして、ためらいがちに語り始めた。
「昨日、見たんだ。あっちの路地で……
男の人が、変なやつらに殴られて、袋を取られて……。」
玲は目を細める。
「どんな袋だった?」
「小さくて、白くて……中に、何か大事なものが入ってるって感じだった。」
少年の声には、まだ震えが残っている。
けれど、その目は真っ直ぐだった。
玲はうなずき、少年の視線の先をたどる。
路地の奥、石畳の隙間に、かすかな音の残響が漂う。
それは、袋が引き裂かれる音。誰かの叫び。
そして、何よりも――声にならなかった“願い”の気配。
玲はその音を喰らわず、ただ静かに受け止めた。
そして、広場の片隅に座り込む青年と女性の姿を見つける。
青年はうなだれ、女性はそっと彼の背をさすっている。
ふたりの間には、言葉がなかった。
けれど、玲には聞こえる。
「ごめん」「大丈夫」「でも……」
そんな声にならない音たちが、ふたりの間に満ちている。
無言の会話の内容から察するに、おそらく女性は青年の恋人。
そして少年が言っていた袋を奪われた人物は、
顔の“青あざ”からみても間違いなく、あそこにいる青年だ。
白い袋の中にあったもの、それは恋人への贈り物。
それに、青年のあの落ち込みようから、思い当たるのは……
…恋人に大事な想いを伝えきれなかった。
…青年の想いがいっぱい詰まっている――プレゼント…。
「……指輪、だったのね。」
玲はつぶやき、再び歩き出す。
音の糸をたぐるように、町の裏手へと向う。
玲は、音のない足音で、静かに、ただ進んでいく。
夕暮れのフォクア港は、焼き魚の香りが潮風に混じる。
そこから少し離れた屋台横丁では、
炭焼きの魚介や香草入りの鶏串が評判で、
旅人や地元の人々が肩を寄せ合い、湯気の立つ皿を囲んでいた。
玲はその横丁の一角で、青年に一通の手紙を手渡した。
封筒の中には、短く、ただ一文だけ。
「明朝の船着き場、あなたの大事なものを取り返すので、
あなたは、自分のなすべきことをしてください。」
青年は、玲の真っすぐな”まなざし”にうなずく。
彼のその目には、もう迷いはなかった。
夜が明ける。
空が群青から薄桃色へと変わるころ、船着き場には朝靄が立ち込める。
玲は静かに立ちあがり、潮の満ち引きを感じながら、風の音に耳を澄ます。
やがて、青年とその恋人が現れる。
彼は深呼吸をひとつして、彼女の前にひざまずいた。
「……こんな形になって、ごめん。でも、これからどんな時でも、
君と共に歩き続けたい。結婚してください。」
彼女は驚き、そして涙を浮かべて深くうなずいた。
玲はそっと目を伏せ、胸元の鈴に触れる。
その時だった。
倉庫の陰から、昨日の男たちが現れる。
玲が袋を取り返しに来たと思ったのか、
それともただの報復で来たと思ったのか。
そんなに都合よく、昨日の男たちが現れるはずもない。
理由は、わからない。どちらにせよ、彼らは、ここにいる。
実は、事前に玲が彼らをここへ誘導した結果、
昨日の男たちが現れたのである。
「……第1層、展開!」
鈴がかすかに震えた。
音が、消える。
男たちは声を上げようとするが、音が出ない。
足音も、怒鳴り声も、波の音さえも――すべてが吸い込まれる。
玲は静かに歩き出す。
青年も、彼女の隣に立った。
彼は拳を握りしめ、かつての自分を取り戻すように、前を見据える。
ふたりは、音のない世界で戦う。
玲の動きは水のように滑らかで、青年の拳はまっすぐだった。
やがて、男たちは地に伏し、音が戻る。
「……やりすぎたかも。」
玲は小さく呟き、鈴にそっと手を添えた。
第1層の沈黙はこの程度の相手には、強すぎた。
けれど、誰も傷つけずに終えられたことに、ほっとしていた。
事件のあと、港町にはざわつきが広がった。
「音を喰らう少女が、悪党を倒した。」
「鈴の音は聞こえなかったけど、確かに何かが鳴った。」
その噂の中心には、あの少年がいた。
「ほんとにすごかったんだ!音が、ふっと消えてさ!
あの人、名前は……えっと、音無玲!そう、音無玲っていうんだ!」
少年は屋台横丁のあちこちで、身振り手振りを交えて語っている。
焼き魚の香りと、串焼きの煙の中で、玲の名は静かに広がっていった。
そのころ、玲は港の縁に立っていた。
朝日が海を照らし、波が金色にきらめく。
胸元の鈴が、かすかに揺れた。
「……また、誰かが泣いてる。」
玲は振り返らず、ただ前を見つめる。
争いの根は、まだ遠くにある。
けれど、今日ひとつの声が守られたことに、彼女は、ひとまず安堵する。
そして、また歩き出す。
音のない足音で、静かに、一歩づつ。
その鈴が本当に“鳴る”その日まで。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。




