第03話「旅の始まり(市場の影)」
今日も、争いを止めるために……
そう言ってはみたものの、
今のところ、気になる戦場があるわけでもない。
けれど、玲は“気配”を追って、オッキという町に来ていた。
オッキ町は小さな島国の港町。
荷馬車が行き交い、往来する人たちの笑い声。
石畳の広場には色とりどりの屋台が並び、
焼きたてのパンの香り、果物の甘い匂いがする。
まさに“市場”という言葉がぴったりの、にぎやかな場所だった。
玲はその喧騒の中を、静かに歩く。
音に満ちた世界の中で、彼女だけが別の雰囲気を持っている。
ふと、風が止む。
玲の足が止まる。空気の流れが変わる。
音の波に、わずかな乱れ――不穏な気配。
玲は迷わず駆け出した。
音の糸をたぐるように、広場の奥へと向かう。
そこにいたのは、笑顔のやさしい老婆と、その孫娘。
ふたりは果物を選びながら、楽しそうに話していた。
それは、突然だった。孫娘の目に、ある光景が飛び込む。
粗野な男が、買い物袋をひったくるために、
老婆に手を伸ばそうとしている。
それを見て、孫娘の表情が一瞬で変わる。怯え、そして決意。
彼女はとっさに、老婆の前に立ちはだかる。
「やめてください!」
その声が聞こえた瞬間、玲は通りの角を曲がる。
孫娘が老婆をかばい、突き飛ばされる。
しかし、かばいきれずに老婆も倒れてしまう。
買い物袋が宙を舞い、市場で買った果物が、地面に転がる。
玲はすぐに駆け寄る。
老婆と孫娘は、地面に座り込んでいた。
孫娘は唇をかみしめ、涙をこらえる。
玲はしゃがみこみ、短く問いかけた。
「何があったのか教えて。どの方角に逃げた?」
冷静な声。けれど、その目は怒りに燃えていた。
感情を鎮め、言葉を選び、行動で示す。
玲とは、そういう人間だ。
聞き出した情報をもとに、玲は町の裏通りへと向かう。
やがて、道端でふてぶてしく歩く男を見つける。
大柄でいかにもゴロツキといった風貌だ。間違いない。
一瞬、路地に引きずり込む案が頭をよぎる。
だが、そんなことをすれば噂が立ち、今後の活動に支障が出る。
玲は男の前に立ちふさがる。
「次はないから…。」
その言葉と同時に、玲の胸元の鈴がかすかに震えた。
「第1層…展開!」
音は鳴らない。けれど、男の耳から音が消える。
怒号も、足音も、風の音さえも――すべてが消え去った。
男は顔をゆがめ、膝をついた。
玲は静かに背を向ける。
「……第1層は、やりすぎだったかも。」
その後、奪われた荷物をふたりに返すと、老婆は深く頭を下げた。
「お礼がしたいの。何か、させておくれ。」
玲は首を横に振ったが、孫娘のまっすぐな目に押し切られ、
結局、夕食をごちそうになることになった。
出された料理は、どれもあたたかくて、やさしい味がした。
玲は、ふとたずねる。
「セイカ大陸のこと、知ってますか?」
老婆はうなずいた。
「この世界の戦のほとんどは、あの国が関わってるって話だよ。
それに、古の神々の祀らているという天の里も、あの大陸にあるって噂さ。」
玲の目が細められる。
藤巻師範が語っていた“天の里”――
その手がかりが、ようやく見えてきた。
翌朝。
空はどこまでも澄みわたり、潮風がやさしく頬をなでる。
市場の喧騒はまだ遠く、街は静かな目覚めの途中だった。
玲は町の中心を抜け、朝露に濡れた石畳を踏みしめながら歩く。
道の両脇には、ごぼう畑が広がっていた。
土の香りと、ほんのり甘い香りが風に乗って流れてくる。
玲は立ち止まり、ひとつ深呼吸をした。
胸の奥が、少しだけ軽くなっている気がする。
昨夜の食卓のぬくもりが、まだ、玲の心に残っていた。
目指すのは、オッキの町はずれにある船着き場。
セイカ大陸へ渡る唯一の港、フォクア港。
そこから先に、争いの根があるのなら――
玲は、それを断ち切るために進むだけだ。
風が吹く。
胸元の鈴が、かすかに揺れた。
「……また、誰かが泣いてる。」
玲は足を止めず、まっすぐに歩きつづけた。
音のない足音で、静かに、確かに。
その鈴が本当に“鳴る”その時まで。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。




