第1話「プロローグ」
むかしむかし、まだ言葉が今よりも重く、
ひとつの声が戦を止め、ひとつの叫びが国を滅ぼした時代。
その時代、ある山間の村に、「音の巫女」と呼ばれる少女がいた。
彼女の声は、聞いた者の怒りや悲しみを鎮める、不思議な力を持つ。
戦に向かう兵士たちも、彼女の声を聞けば剣を置き、涙を流したという。
それはまるで、魂の奥底に触れるような、静かであたたかな響き。
だがある日、巫女の声を恐れた者たちが現れる。
「その声は、戦の邪魔だ」「力を奪う呪いだ」と。
彼らは、巫女の力が争いを止めることを恐れた。
それは、力によって支配しようとする者たちにとって、
最も都合の悪い“音”。
巫女は捕らえられ、声を封じられ、深い山の祠に閉じ込められてしまう。
誰にも届かぬ場所で、誰にも知られぬまま、彼女は静かに祈る。
そして、最後の祈りをこめて――
自らの声と想いを、一つの鈴に封じた。
その鈴は、決して鳴らない。
けれど、音を発さぬ代わりに、周囲の音をすべて喰らう。
怒号も、剣戟も、叫びも、祈りさえも――すべてを静寂に変える。
それは、音を封じるのではなく、音の意味を問い直す鈴だった。
人々はその鈴を「音喰いの鈴」と呼び、
「この鈴が鳴るとき、世界は沈黙に包まれる」と恐れる。
やがて巫女の存在も、鈴の真実も、歴史の彼方に埋もれていった。
けれど、本当は――
その鈴が“鳴る”のは、誰かの心が救われたときだけ。
誰にも聞こえない、けれど確かに響く“懐かしい音”が、
静かに、静かに、胸の奥で鳴るのだという。
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今、その鈴を手にする者がいる。
風が止み、空が沈黙し、森が息をひそめる。
その中心に、ひとりの少女が立つ。
名を――音無 玲。
音を喰らう鈴を携えし、最後の伝承者。
玲はまだ若く、あどけなさの残る顔立ち。
けれど、その瞳には、幾千の声を聴いてきた者だけが持つ、
深い静けさが宿っている。
胸元に下げられた小さな鈴。
それが、かつて世界を沈黙に包んだ“音喰いの鈴”。
決して鳴らぬはずのその鈴が、今、玲の胸元でかすかに震えている。
音はない。けれど、確かに“何か”が揺れる。
それは、遠くで誰かが流す涙の気配。
あるいは、届かぬ叫びの残響。
「……また、誰かが泣いてる。」
玲は顔を上げた。
遥か彼方、黒煙の上がる空。
焼け落ちた村々。崩れた塔。
争いは、まだ終わっていない。
言葉は剣となり、叫びは炎となり、
祈りは届かず、命は踏みにじられる。
世界は再び、音に呑まれようとしている。
それでも玲は、音を奪う力を持ちながら――
ただ、誰かの声を守るために戦っている。
「この鈴が鳴るとき、世界は静寂に還る。」
それが、巫女の残した最後の言葉だった。
玲は知っている。
この鈴は、ただ音を奪うだけの道具じゃない。
“誰かの声を守るために、音を喰らう”――
それが、本当の力。
音を奪うということは、
ただ静けさをもたらすことではない。
怒りを止め、恐怖を断ち、
絶望の叫びを、祈りの余白へと変えること。
それは、声なき者たちのための祈り。
そして、争いの中で失われた“言葉の重み”を取り戻すための旅。
だから彼女は歩き出す。
音のない足音で、戦乱の大地を越えて。
争いの根を断ち切るために。
そして、いつか本当にこの鈴が“鳴る”その時まで。
こうして、静寂の伝承者の旅が始まった。
その名も知られぬ異世界で、
誰にも聞こえぬ鈴の音が、
やがて世界を変えることになるとは――
まだ、誰も知らなかった。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。




