第6話 呪毒の真実と、薬師の誓い
雨が降っていた。
どこまでも重く、空を覆う鉛色の雲。
辺境の診療所の屋根を叩く雨音が、夜をさらに深く沈めていく。
セレスティアは机に広げた古文書に目を落とした。
指先でなぞった文字は、王国の古い薬典――いや、“禁呪”に関する記録だった。
「……やっぱり。呪毒の原典は、薬師の手で生まれたもの……」
独りごちる声は、静かに震えていた。
古文書の片隅には、ひとつの名が記されていた。
――《アムネリア》。
それは、セレスティアの“前世”の名だった。
「薬草で癒し、同時に呪いをも作る者。王に背き、禁呪を封印した裏切りの薬師……」
彼女は深く息を吸い、雨の匂いを胸に満たす。
心臓が、どくんと重く鳴った。
扉の向こうで足音が近づいた。
ノエルが、いつものように温かいハーブティーを持って入ってくる。
けれどその表情は、どこか曇っていた。
「お嬢様……“禁呪局”の使者が来ています。……あの人たち、また」
「来たのね。今度は逃げない。話を聞く必要があるわ」
ノエルの瞳が揺れる。
セレスティアは微笑んだ。
その微笑みには、決意が宿っていた。
◇ ◇ ◇
禁呪局――それは、王都の裏で“呪毒”と“禁薬”を管理する秘密組織。
名目は「国民の安全のため」。
だが実際は、戦争に使う“呪兵薬”の研究と供給を担っていた。
部屋に現れたのは、漆黒の外套をまとった男だった。
仮面の下から覗く瞳は、冷たくも人の感情を測るように光る。
「久しいな、アムネリア――いや、“セレスティア・ルフラン”と呼ぶべきか」
その声を聞いた瞬間、空気が張り詰めた。
ノエルが反射的に一歩前に出ようとしたが、セレスティアが手で制した。
「……あなたが、“局長”ね」
「その通りだ。君の薬草園――いや、君自身の“知識”がほしい。
あの《呪毒花》を完全に中和できる者は、今も昔も、君しかいない」
呪毒花――戦場で使われた禁忌の植物。
その花粉を吸えば、心と肉体を蝕み、最終的には他者を呪う存在に変わる。
それを止める“解毒薬”の製法は、かつてアムネリア(セレスティアの前世)しか知らなかった。
「まさか、また……あの時と同じことを繰り返すつもり?」
「違う。今回は“王の命令”だ。君が再びその薬を作れば、王国は救われる」
「その“救い”が、また誰かを犠牲にするのなら、私は絶対に従わない!」
セレスティアの声が、雨音の中に響いた。
かすかに、彼女の周囲の空気が変わる。
薬草の瓶から、ほのかな光が漏れ出した。
まるで彼女自身が“薬”と“呪い”の境に立っているように。
「……君は、やはり変わらないな」
局長は低く笑う。「だが、我々はすでに“サンプル”を得ている。
その調合は、君の“弟子”が協力してくれた」
「――弟子?」
その言葉に、セレスティアの血の気が引いた。
脳裏をよぎるのは、あの少女の笑顔。
小さな手で薬草を束ね、彼女の真似をしていた“ミリア”。
「まさか……ミリアが……!」
「彼女は素直な子だ。君を尊敬していた。
“あなたのように誰かを癒したい”と語っていたよ。
我々は、その志を利用しただけだ」
乾いた笑みとともに、局長は去っていく。
残されたのは、怒りと、恐怖と、痛み。
ノエルが震える声で言った。
「お嬢様、追わないと……!」
「いいえ、今はまだ動けない。……でも必ず、彼女を取り戻す。
ミリアも、呪毒花も、この手で終わらせる」
セレスティアは立ち上がる。
机の上の古文書を閉じ、棚から一本の薬瓶を取り出した。
透明な液体の底で、金色の光がゆらめく。
「アムネリアの名にかけて、誓うわ。
癒しの薬師として――“呪毒の連鎖”を、私が断つ」
その瞬間、外の雨が止んだ。
雲の隙間から、一筋の月光が差し込む。
その光が、彼女の白い指先を照らす。
ノエルが小さくつぶやいた。
「お嬢様……まるで、光が応えているみたいです」
「ええ。あの時のように――この世界はまだ、癒せるはずだから」
セレスティアの瞳に宿るのは、絶望ではなく希望。
過去を受け入れ、罪を背負い、それでも人を救うために歩む薬師の誓い。
そして、静かに夜が明けた。
次の戦いの幕開けを告げるように――。