第4話 元婚約者、涙の再会!? ざまぁ宣言は薬草の香りとともに
昼下がりの陽光が差し込む薬草園。
風に乗って、セレーネが干していたハーブの香りがふわりと流れる。
彼女は袖をまくり、手慣れた動作で摘み取った薬草を木籠に入れた。
リュサンカ、ペルティナ、そして少量のセリア草。
どれも傷の治癒や呪力の安定に効果がある――この辺境での暮らしに欠かせない品だ。
「ふふっ、今日の乾燥具合も完璧ね。ルカが戻ったら褒めてもらえるかしら」
そう呟きながら、セレーネは額の汗をぬぐう。
柔らかな風が頬を撫で、心がほどけていくようだった。
――そんな穏やかな時間を、音が破った。
蹄の音。
数頭分の馬が近づく。
しかも、この辺境ではほとんど聞かない――王都の軍馬のものだ。
セレーネは顔を上げた。
薬草籠をそっと地面に置き、手元の短刀に触れる。
木々の間から現れたのは、光沢のある鎧に身を包んだ騎士たち。
そして、その先頭に――見覚えのある金髪の青年。
「……まさか」
セレーネの声が、風に消えた。
彼女の心臓が、ひときわ強く脈打つ。
馬を止めた青年は、眩しいほど整った笑みを浮かべていた。
その笑みは、かつて“婚約者”として見せていたものと同じだった。
「久しいね、セレーネ。……いや、“元”王女殿下、かな」
彼――アレン・ヴェルスト。
王都の第二王子であり、かつてセレーネの婚約者だった男。
ルカを裏切り、彼女を“呪われた存在”として断罪する先頭に立っていた、あの人物だ。
セレーネは無言のまま、指先を握りしめた。
あの夜、彼の目に映っていたのは“人間”ではなく、“化け物”としての自分だった。
「……何の用?」
冷えた声に、アレンが小さく息を呑む。
それでも彼は、わざとらしく穏やかに笑って見せた。
「誤解を解きたくて来たんだ。あのときは……王の命令だった。俺には、どうにもできなかった」
「命令、ね」
セレーネの口元が歪む。
風が吹き、干しかけの薬草がさらさらと鳴った。
「私を“呪いの化身”と呼び、処刑しようとしたのも命令?
ルカを追放して、“汚れた魔導士”と笑ったのも?」
「……違う。俺は、君を守るために――」
「その言葉、もう聞き飽きたわ」
セレーネの声は静かだった。
だが、その眼差しは氷のように鋭い。
「あなたたちが“守った”のは、自分たちの地位と名誉。
そして“私を捨てた”ことで得た平穏よ」
アレンの笑みが消える。
唇がかすかに震えた。
「……すまなかった。本当に、すまなかった。だが、俺はずっと後悔していた。
君を助けられなかったことを。だから今度こそ、やり直したい。戻ってきてくれ、セレーネ」
その言葉を、セレーネはゆっくりと見つめ返した。
そして――ほんの少しだけ、微笑んだ。
「そう。後悔してくれていたのね。……よかった」
「セレーネ!」
「でも――それを聞いて、私が“救われる”と思ったのなら、あなたの後悔は安すぎるわ」
アレンの瞳が揺れる。
セレーネは一歩、彼に近づいた。
足元に転がる乾燥したラベンダーを拾い上げ、そのまま彼の胸元へ押し付ける。
ハーブの香りが、風に溶けた。
「私はもう、“呪い”なんて呼ばれたくない。
そして“あなたに選ばれる”女でもない。
私は――この手で、自分の生を選ぶの」
その背後で、静かに扉が開く音。
ルカが現れた。
彼の右腕は包帯で巻かれているが、眼差しは強い。
「……帰れ。アレン王子。ここは、もうあなたの支配する場所じゃない」
アレンは顔をしかめた。
かつて自分の足元に跪いていた“呪術師”が、今は堂々と彼に言葉を向けている。
「……君まで、俺を拒むのか」
「拒む? 違う。あんたが勝手に手を離したんだろ。
俺たちはもう、お前たちの“物語”の登場人物じゃない」
静寂。
鳥の鳴き声だけが森の奥から響いた。
やがてアレンは息を吐き、苦しげに笑った。
それは、かつての傲慢な笑みではない――ただの“敗北者”の顔だった。
「……そうか。君たちはもう、“こっち側”じゃないんだな」
「ええ。薬草の香りのするこっち側よ」
セレーネの返答に、アレンは目を細めた。
彼は何も言わずに馬へ戻り、部下たちに合図を送る。
蹄の音が遠ざかり、やがて静寂だけが残った。
セレーネは息を吐き、ルカの隣に立つ。
ラベンダーの花びらが風に乗って舞い上がった。
「ねえ、ルカ。……少し、泣いてもいい?」
「ああ。泣いたら、また笑え」
その言葉に、セレーネは小さく頷き、肩を預けた。
薬草の香りが、やさしく二人を包み込む。
――かつての婚約者に別れを告げ、彼女の“ざまぁ”は静かに幕を下ろした。
涙と共に、確かに前を向くために。




