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第3話 「あなたを手放すつもりはありません」

「――セレスティア殿、どうかお願いがあります」


早朝の薬草園に、真剣な声が響いた。

朝霧に包まれた空気の中で、アルフレッド王子は私の前に立っていた。

昨日よりもずっと血色がよく、あの病弱だった姿が嘘のようだ。


「お願い、ですって?」

私は手にしていた鋏を止め、摘み取った薬草を籠に入れた。

「あなた、まさかもう病気が治ったから帰るとでも?」


「いいえ。……むしろ、ここに残らせていただきたいのです」


鋭い風が吹き、白いマントが翻る。

その瞳には、強い意志が宿っていた。


「この数日で、あなたがどれほどの力を持っているかを知りました。

 あなたの薬は、どんな医師も及ばない。……もし、あなたが良ければ、私の専属の治療師として共にいてほしい」


あまりに唐突な申し出に、私は息を呑んだ。

だが、次の瞬間にはいつもの調子を取り戻す。


「まあ、病が治ったと思えば、今度は私を雇うときましたか。ずいぶんと都合のいいお話ですわね」


「……違うんです」

アルフレッドは首を横に振った。

「これは、恩義ではありません。私は、あなたの力を正当に尊重したいのです。

 あなたが理不尽に追放されたと聞いて、怒りを覚えました」


私は思わず目を細める。

「……誰から聞いたのです?」

「村の人々からです。あなたが王都を追われた理由――第一王子と、その取り巻きの“聖女”による濡れ衣だと」


彼の口から「聖女」という言葉が出た瞬間、胸の奥がざらりとした。

あの薄っぺらな慈愛の笑み、周囲の男たちを魅了しては自分に都合のいい嘘を吐く女。


「王城での噂は、ほとんどが虚構です。ですが、あなたの行いは違う。

 この辺境で、人々があなたを信じ、救われている。――それが何よりの証拠です」


その真っ直ぐな声に、私は言葉を失った。

褒められ慣れていないのだ。追放され、裏切られ、嘲られ続けたあの王都で、誰も私の努力を見ようとしなかった。

だからこそ、彼の誠実な眼差しが、胸に刺さる。


「……あなた、本当に変わった方ですわね」

「そう言われるのは初めてです」

「褒めていませんわよ?」

「ふふ、それでも構いません」


アルフレッドはそう言って、微笑んだ。

それは、見惚れるほど穏やかな笑みだった。


その日の午後。

薬草園の小屋で、私は王子の手に包帯を巻きながら、ぽつりと呟いた。


「私の追放のことを、どこまで聞かれたのですか?」

「“聖女”が王子の病を癒すという虚偽の報告を行い、あなたを嫉妬の罪で告発したと」

「ええ、その通りですわ。あの女は、人の善意を食べて生きる寄生虫のような存在です。

 王子も、彼女の涙に酔わされた哀れな被害者ですけれど」


「……そんなことが」

アルフレッドは拳を握る。

「正義を名乗る者が、誰かを陥れるとは」


「それが人間ですわ。聖女の仮面を被っていても、裏は腐っています」

私は薬箱を閉じ、淡々と告げた。

「だからこそ私は、もう王都には戻りません。あの場所には、もう価値がない」


「――それでも、もしあなたが望むなら」

「?」


「私は、その偽りの王国を正します」


その言葉に、私は思わず笑ってしまった。

「まあ、ずいぶんと勇ましいことを仰るのね。病み上がりの身で、戦でもなさるつもり?」


「あなたが笑うなら、私は何だってできます」

「……冗談を」


だが、その瞳に宿る炎は本物だった。

彼の真っ直ぐさが、眩しくて――少しだけ、心が熱くなる。


夜。

私は窓辺で月を見上げていた。

アルフレッドは寝息を立て、小屋の奥で休んでいる。

静寂の中、私は小さく呟く。


「あなたのような人に出会ってしまったら……もう、孤独には戻れなくなりそうですわね」


風が薬草の葉を揺らし、夜露が煌めいた。

遠くでフクロウが鳴く。

――その瞬間、胸の奥に不思議な温もりが広がった。


一方その頃、王都。


王宮の大広間では、怒号と悲鳴が飛び交っていた。

「聖女殿! 一体どういうことだ! 癒しの儀式を施しても、疫病が止まらぬではないか!」

「そ、それは……! 神の試練なのです!」


聖女リディアは必死に言い訳を重ねるが、その手は震えていた。

本来ならば、セレスティアが調合した薬が定期的に王都へ供給されていたはずだ。

だが、彼女が追放された今、誰も再現できない。


「陛下! “癒しの聖女”の言葉は偽りです!」

「第一王子が証言を偽造したという噂も――!」


ざわめきが広がる。

王都を覆う疫病、混乱、崩れゆく信頼。

人々の口から出る名前は、ただひとつ。


「セレスティア・フォン・ルクレール」


――追放された悪役令嬢。

しかし、今や彼女の名は“真の救い手”として、国中に広まり始めていた。


翌朝。

私は薬草園の畑に出て、朝日を浴びながら伸びをした。

背後から聞こえる足音に振り返ると、アルフレッドが立っている。

「おはようございます、セレスティア殿」


「おはようございます。体の具合は?」

「ええ、すこぶる良好です。……これもあなたのおかげです」


「それは結構。では今日も、水路の整備をお願い致しますわね」

「はい、喜んで」


――そんな穏やかな朝。

だが、心のどこかで、私は感じていた。

王都の腐った連中が、この平穏を壊しにやってくる日が、そう遠くないことを。


けれど、そのときにはこう言ってやる。

「今さら私に縋るなんて、滑稽ですわね」と。


そして私は、初めて“笑顔”でその日を迎える準備をしていた。

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