第2話 病弱王子と、初めての奇跡
「――っ、はぁ……っ!」
朝露の残る薬草園に、苦しげな息遣いが響いた。
小柄な青年が胸を押さえ、膝をついている。その傍らで私は静かにしゃがみ込み、彼の額に手を当てた。
「落ち着いてくださいまし。息を整えて。はい、ゆっくり――そうです」
頬に触れた肌は熱く、脈は早い。
この青年こそ、隣国エルダリアの第三王子、アルフレッド・エルダリア。
生まれつき体が弱く、幾度も命の危機をくぐり抜けてきたという。
「……申し訳、ありません。こんな姿を、お見せするつもりでは……」
「別に構いませんわ。あなたが倒れるのを見て、手をこまねいていられるほど、私は冷血ではありませんもの」
私は腰の薬袋を開き、淡い緑色の液体を取り出した。
「これは《リリウム草》の抽出液。呼吸器に効きます。少し苦いですが、飲みなさい」
アルフレッドは躊躇いながらも、差し出された小瓶を受け取った。
一口含んだ瞬間、顔をしかめる。
「に、苦い……!」
「効く薬ほど味が悪いのですわ。甘いだけの言葉で救われるなら、世の医者はいりませんもの」
私は皮肉めいた笑みを浮かべ、腰を下ろす。
するとアルフレッドは、息を整えながら微かに笑った。
「ふふ……毒舌だと、噂に聞いていましたが……本当のようですね」
「ええ、口の悪さには自信がありますの。でなければ、追放なんてされていませんわ」
冗談めかして言うと、彼の青い瞳が少しだけ柔らかくなった。
その眼差しは、まるで真実だけを映そうとする鏡のようで、私は一瞬、言葉を失いそうになった。
数時間後。
私は薬草園の小屋で、薬の調合を進めていた。
粉にした薬草を乳鉢で混ぜ、瓶に詰める。その作業の合間、アルフレッドが静かに口を開いた。
「あなたは……王国を恨んでおられるのですか?」
「恨んでいないと言えば嘘になりますわ。でも、過去ばかり見ていても、薬草は育ちませんもの」
「……強い方ですね」
「違いますわ。ただ、前に進む以外に選択肢がないだけです」
私は手を止め、アルフレッドに視線を向ける。
「あなたもそうでしょう? 生まれ持った病に抗って、生き続けている。立派なことですわ」
「……励まされたのは、初めてです。誰も、私にそんなふうに言ったことはなかった」
アルフレッドの声は、どこか安堵に満ちていた。
その姿を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなる。
――この人は、きっと優しい。
だからこそ、壊れやすいのだ。
「さあ、立てるようになったら、この薬を試してみましょう」
私は机の上に置いた瓶を指差した。
「これは《ルクス・ハーブ》と《黒花セージ》を合わせた調合薬。体内の魔素の流れを整えます」
アルフレッドは驚いたように目を見開く。
「黒花セージ……! そんな貴重な薬草を、もう育てておられるのですか?」
「ええ、まあ。雑草と呼ばれた植物ほど、扱い方さえ分かれば最も役に立つのです」
「……あなた自身のようですね」
一瞬、心臓が跳ねた。
「まあ、口が上手いこと。病弱王子のくせに」
「ふふ。毒舌薬師のあなたに対抗するには、それくらいの皮肉は必要です」
二人の間に、穏やかな笑いが流れた。
薬草の香りが部屋いっぱいに満ち、外では小鳥が鳴いている。
こんな穏やかな時間を、私はいつぶりに感じただろう。
夕刻、アルフレッドは再び立ち上がった。
その足取りは朝よりもずっと軽い。
「……嘘のようだ。胸の痛みが消えている」
「当然ですわ。私を誰だと思っているのです?」
私は腕を組み、勝ち気に笑う。
「あなたの国の医師が匙を投げた病でも、私にかかれば治療の余地はある。だから、希望は持ちなさい」
アルフレッドは真っすぐに私を見つめ、深々と頭を下げた。
「セレスティア殿……ありがとう。命の恩人に、どう感謝すればいいか分からない」
「感謝など要りませんわ。代わりに、私の薬草園の水路を整備してくだされば、それで十分です」
「……それだけ、ですか?」
「ええ。私は打算よりも実利を取る主義ですの」
口ではそう言いながら、内心では少しだけ照れていた。
けれど、その思いを悟られたくなくて、いつも通り皮肉を添えた。
「それと、アルフレッド王子」
「はい?」
「二度と倒れるなんて真似をしたら許しませんわ。次は薬ではなく、説教をして差し上げます」
「ふふ……それは、怖そうだ」
「当然ですわ。私の毒舌は王都を追放されたほどですもの」
笑い合う私たちの頭上に、橙色の夕陽が差し込んだ。
西の空に沈む光が、彼の頬を照らしている。
その横顔は穏やかで、どこか満ち足りたようだった。
――ああ、悪くないかもしれない。
辺境の暮らしも、案外悪くない。
そう思いながら、私はそっと微笑んだ。
そしてこの日、私は気づく。
この病弱な王子との出会いが、私の運命を大きく変えるのだと。