第10話 「薬草園の夜に咲く約束の花」
王国会談から一ヶ月。
セレスティアのもとには、各地から救援要請と交易の申し出が絶えず届いていた。
辺境に築かれた新王国《ルミナリア領》は、薬草と医術を中心に発展し、今や“癒しの都”と呼ばれている。
そんな喧噪の中でも、セレスティアは変わらない。
朝は薬草園で収穫をし、昼は調合室で新薬を研究し、夜はアルフレッドと紅茶を飲みながら星空を眺める。
ただひとつ違うのは——その隣に、いつも“愛しい人”がいるということだった。
「セレスティア、君の作った《星降る香油》が、隣国の王妃の眠りを救ったそうだ」
書類に目を通しながら、アルフレッドが微笑む。
セレスティアは手を止め、ふっと笑った。
「それは良かったですわ。王妃様、少し神経質な方でしたもの。あの香油は、眠りを誘うと同時に心を落ち着かせる効果がありますの」
「まるで君みたいだな。鋭い言葉の奥に、誰よりも優しい効能がある」
「まぁ……うまいことをおっしゃいますのね。王子様って、そういうのも訓練で身につけるんですの?」
「いいや。君と過ごして学んだんだよ、毒と薬の使い分けを」
二人の笑い声が、薬草園の静かな空気を和ませた。
だがその夜。
薬草園の南区画で、不審な煙が上がった。
異臭を感じ取ったセレスティアはすぐに駆け出す。
「……この臭い、呪毒系統の残滓!? まだ“禁呪局”の残党が!」
駆けつけた先で、フードを被った人物が薬草倉庫に火を放とうとしていた。
セレスティアは風魔法で炎を吹き消し、躊躇なく声を張り上げた。
「止まりなさい! あなたが撒こうとしているのは、ただの毒じゃありません——人の未来そのものを腐らせる毒よ!」
フードの男は荒い息を吐きながら笑った。
「お前のせいで我らの研究は滅んだ……薬も毒も、結局は支配の道具だろう!」
「違うわ!」
セレスティアの声が夜に響いた。
「薬は救うためのもの。たとえ世界に裏切られても、私は“癒す”ことを選ぶ。それが、薬師として生きる私の誓いよ!」
手にした調合瓶を投げつける。瓶が割れ、青白い霧が広がる。
それは《逆呪香》。呪毒の瘴気を吸収し、分解する新しい薬だった。
霧が男を包み、彼の体から黒い靄が抜けていく。
倒れた男のフードを外すと、まだ若い研究員の顔が現れた。
「……あなたも、誰かに命じられただけなのね」
セレスティアは静かに目を伏せ、彼の手を取る。
「罪を償いなさい。でも、薬の道を捨てる必要はありませんわ」
その横で、アルフレッドが駆けつけ、彼女の肩を抱いた。
「君はまた、自分を犠牲にして……」
「犠牲じゃありませんの。……ただ、少しだけ疲れただけ」
薬草の香りと煙の中、セレスティアはそっと微笑んだ。
翌朝。
事件の後処理を終えたセレスティアは、薬草園の丘に腰を下ろしていた。
朝露に濡れる薬草の間に、小さな白い花が咲いている。
それは《誓花》——薬師たちが誓いの印として植える、希望の花。
アルフレッドが隣に座り、セレスティアの手を取った。
「セレスティア。君がこの国を救った。……もう、何も背負わなくていい」
「いいえ。背負うことをやめたら、私ではなくなりますもの」
セレスティアは花を撫で、穏やかに微笑んだ。
「でも、もうひとりじゃありませんわ。あなたが隣にいるのですから」
アルフレッドはその手に唇を落とす。
「約束しよう。どんな毒も、どんな闇も、僕が君を守る」
「では私は、その闇を癒しましょう。あなたが光でいてくれるように」
二人の間に朝日が差し込む。
花々が一斉に開き、風が薬草園を包む。
香りの中で、セレスティアは小さくつぶやいた。
「この世界に、もう毒など必要ありませんわ。
だって……私が、すべてを薬に変えてみせますもの」
その声は、希望そのものだった。
薬草園の夜明けに、誓いの花が咲き誇っていた。




