第192話 廃都マウントグリーン ― 双子悪魔ネフィロスとの邂逅
空は灰色に沈んでいた。
朝日を追いかけるように進んだ七人の一行が、マウントグリーン王国の外縁に到着した頃、太陽は黒い霧の彼方に隠れていた。
広大な草原を抜けた先に見えるのは、かつて豊かに繁栄していた大都市――その面影は、いまや影の中に沈んでいる。
崩れた塔、風に軋む城門、そして空を這うように伸びる黒い瘴気。
街全体が“呼吸しているように”見えるのが、不気味だった。
リディアが息を呑む。
「……まるで、街そのものが生きてるみたい」
ヒカルは短く頷き、剣の柄に手を添える。
「気を抜くな。もうここは“人の国”じゃない」
チャイが低く唸り声を上げ、空気が張り詰めた。
クロエはサーチを展開する。黄金の光が、瞳の奥に細い線となって広がる。
「……反応は三つ。どれも強い。けど、ひとつはすぐ近くにいる」
その瞬間、ナオが囁いた。
「何か来る……風が逆流してる」
風の向きが変わった。
黒い霧がひとつにまとまり、形をとる。
霧の中から現れたのは――青年だった。
銀灰の髪に、淡い青の瞳。
人間そのものの姿。だが、その瞳の奥に“魂の底”が見えない。
彼は静かに微笑むと、優雅に頭を下げた。
「やぁ、君たちが来ると思っていたよ。僕の名は――ネフィロス」
リディアがすぐに杖を構える。
「あなたが……悪魔、ね?」
ネフィロスは微笑を崩さない。
「悪魔、という呼び方は好きじゃないな。僕たちは“調律者”だ。世界のバランスを取り戻すために、不要なものを削ぎ落としているだけさ」
「不要なもの……?」
クロエが声を荒げる。
「人の命を“不要”だなんて言うの!?」
ネフィロスは首を傾げる。
「命は“数”ではなく“流れ”だよ。滞るものは腐る。だから、僕はただ流れを整えているだけさ」
その笑みの穏やかさが、逆に恐ろしかった。
次の瞬間、空気が震え、地面が音もなく裂けた。
クロエは即座に跳び退く。裂け目から、黒い触手のような影が生まれ、絡みつこうとする。
「リディア!」
「分かってるわっ!」
リディアが詠唱する。
杖先から淡い光が弾け、影を吹き飛ばす。だが、影はすぐに再生した。
ネフィロスはまるで退屈そうに、その様子を眺めている。
「君たちの力……黄金、か。懐かしいね。あれを使えるのは、今ではもう数えるほどしかいない」
「知ってるの?」クロエが問う。
「この力のことを?」
「もちろん。僕も昔、それを“持っていた”からね」
その言葉に、空気が凍る。
ヒカルの目が鋭く光った。
「持っていた……? お前、人間だったのか?」
「かつてはね」
ネフィロスは目を閉じて微笑んだ。
「そして今も、人の心のままに“悪魔でいる”」
次の瞬間、彼の姿がかき消えた。
背後から、低い声が響く。
「さあ、試してごらん――“呪い”という名の理を」
リディアの背後に黒い紋章が浮かび上がる。
彼女が振り向くより早く、脚が動かなくなった。
まるで見えない鎖に縛られたように。
「リディアっ!」
クロエが駆け寄る。だが、リディアの目は虚ろに揺れていた。
「や……だめ……クロエ、動けないの……力が、抜けていく……」
ネフィロスの声が優しく響く。
「それが“調律”だ。君の心が乱れれば、身体も止まる。君はまだ“恐れ”を手放していない」
クロエの胸の奥で、何かがはじけた。
「そんな理屈、関係ない!」
彼女の掌から、黄金の光が溢れ出す。
風が逆巻き、地面の影が弾け飛ぶ。
ネフィロスがわずかに目を細める。
「……ほう。それが、“希望”という名の呪いか」
光と影がぶつかり、世界が軋んだ。
クロエの髪が風に舞い、リディアの鎖がひとつ、砕け散る。
「リディア! しっかりして!」
その声に、リディアの瞳が光を取り戻す。
「……うんっ!」
二人の光が重なり、黄金の輪が展開される。
ネフィロスは一歩下がり、愉しげに口元を緩めた。
「今日はこのくらいにしておこう。君たちがどこまで抗えるのか――興味が湧いた」
彼の姿が霧のように消えた瞬間、廃都の空気が静まった。
残されたのは、黒く焦げた地面と、胸の奥のざらついた痛みだけ。
クロエは息を整えながら、リディアの肩を抱く。
「大丈夫……?」
「……うん。怖かったけど、平気。クロエがいたから」
その笑みは震えていたが、確かな光を宿していた。
クロエは空を見上げる。
灰色の雲の隙間から、かすかな朝日が差し込んでいた。
(絶対に、負けない――)
風が吹き抜け、二人の髪を揺らした。
廃都マウントグリーンに、新たな戦いの幕が上がった。
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