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第5話 トカゲだけどな

「……さて、と」


 俺も馬車を降りる。

 その瞬間、むわりとした熱気と喧騒が、俺の全身を包み込んだ。


 ここが、開拓者の街『グレンタ』か。


 空気がうまい。

 石畳ではなく、踏み固められた土の道。

 道の両脇には、丸太を組んだだけの素朴だが、頑丈そうな建物がずらりと並んでいた。


 神殿の、あの静謐で非現実的な空間とは、なにもかもが違う。

 ここには、力強い生活感があった。


「うわっ、何これ! ちょーいい匂いしない!?」


 数歩先で待っていた柚葉が、目を輝かせて露店を指さす。

 威勢のいい店主が、巨大な鉄板で何かを焼いていた。

 肉汁の滴る音と、香ばしいソースの匂いが、空腹を容赦なく刺激してくる。


「見たことない肉……。てか、あれアクセサリー? かわいー!」


 あちこちの店に興味を惹かれ、きょろきょろとあたりを見回す柚葉。

 その姿は、初めて訪れた観光地ではしゃぐ、ごく普通の女の子だった。

 まあ、無理もないか。


 俺は、柚葉とは対照的に、街の構造を冷静に観察していた。

 建物のほとんどが木造……それも、比較的新しいものばかりだ。

 石造りの建物は、中央に見える大きな建物くらいか。


 行き交う人々の服装は、革や厚手の布が中心。

 皆、一様に屈強な体つきをしている。

 武装している者も少なくない。

 腰に剣を差した男、背中に斧を担いだ女。


 なるほど。

 シグニィの話では、もともと林業と薬草の採取が主な産業だったということだが。

 いまは、『嘆きの苔鹿』の件もあり、冒険者も増えているらしい。


「おっさん、ぼーっとしてないで、あれ食べよーよ、あれ!」


 柚葉が俺の袖を引っ張る。

 彼女が指さす先には、『ドレイクの串焼き』と書かれた看板。


 ドレイク……トカゲか……。


「いや、腹が減るのは分かるが、先にやるべきことが……」


 正論でいさめようとした、その時だった。


 ぐぅぅぅぅぅ……。


 静寂を破り、盛大な腹の音が鳴り響いた。

 俺の腹から。


「……ぷっ。あはははは! おっさん、お腹鳴ってんじゃん! 正論言う前に自分のお腹に正直になりなよ、マジで!」


 腹を抱えて笑い転げる柚葉。


 ……最悪だ。四十過ぎのおっさんが、JKに大爆笑されている。


 だが、否定できない。

 腹は、正直だ。


「腹が減っては戦はできぬ」俺は、聞こえないくらいの声で呟く。「それに、この世界の物価を知っておくのも悪くない」


「なんか言ったー?」


「一本だけだぞ」


「やったー!」


 俺たちは、香ばしい匂いが漂う露店へと向かった。

 陽気な髭面の店主が、にかりと笑う。


「へい、らっしゃい! 兄ちゃんに嬢ちゃん、ウチ自慢のドレイク串、食ってくかい?」


「おやじ、二本くれ」


「あいよ! 二本で銅貨六枚だ!」


 銅貨。

 シグニィに渡されたのは、大金貨。

 価値がまったく分からん。


 俺は懐から革袋を取り出し、中から大金貨を一枚、カウンターに置いた。


「これで頼む」


 その瞬間、店主の陽気な顔が、ぴしりと固まった。

 彼は目を丸くして、カウンターの上の金貨と俺の顔を、何度も見比べる。


「お、お客さん……こいつぁ……大金貨じゃねえか! 悪いが、こんなもん、ウチみたいな露店じゃ釣りは出せねえよ!」


「え、マジ?」と、隣で柚葉が素っ頓狂な声を上げる。


「ったりめえよ! 大金貨一枚ありゃ、この街でちいせえ家が一軒買えるってんだ! どこの貴族様だい、あんたら!」


 家が、一軒。

 俺と柚葉は、思わず顔を見合わせた。


 あのエルフ、とんでもない額を渡してきたな……。


 百枚ずつ、と言っていたか。

 つまり俺たちは、家を二百軒買えるだけの大金を持ち歩いていることになる。


「わ、悪かった。細かいのは、なくてな……」


 俺が金貨をしまおうとすると、店主は「まあ待ちな!」と俺の手を制した。


「あんたら、見た顔じゃねえな。もしかして、冒険者ギルドに用があるクチかい?」


「まあ、そんなところだ」


「がはは! だろうと思ったぜ! よし、分かった! 持ってきな、兄ちゃん!」


 店主はそう言うと、焼きたての串焼き二本を、威勢よく俺たちに手渡してくれた。

 なんというか、豪快な世界だ。


「いいのか?」


「おうよ! 腹減らした冒険者にメシを食わせんのが、俺の仕事みてえなもんだからな!」


「……恩に着る」


 俺たちは、熱々の串焼きを受け取った。

 肉の焼ける匂いと、独特のスパイスの香りが、再び食欲を刺激する。


 ……しかし、こういうことのために小金も渡しておけよ。

 金貨についての説明くらいしてくれてもいいのに。

 悪いやつに騙されたらどうするんだ。


 柚葉は早速、大きな口でがぶりと食らいついた。


「んんーっ! なにこれ、ちょーうまい! 鶏肉より弾力あって、ジューシー! このピリ辛のソース、マジやばい!」


 俺も一口、かぶりつく。


 ……確かに、うまい。

 トカゲだけどな。


 プリプリとした歯ごたえの肉から、旨味の強い肉汁がじゅわっと溢れ出す。日本では味わったことのない、野性味と洗練されたスパイスが絶妙なバランスだった。


「腹ごしらえして正解じゃん?」


「……ああ。悪くなかった」


 あっという間に串焼きを平らげた。

 少しだけ、この世界に来た実感が湧いてきた。


「よし。腹も膨れたことだし、行くか」


「おー!」と柚葉。


 俺たちは、街でひときわ大きく、そして騒がしい建物を目指して、再び歩き出した。


◇◇◇


 冒険者ギルドの扉を押し開けると、むっとするような熱気が溢れ出してくる。


 薄暗いホールには長机と椅子が並んでいる。

 昼間だというのに、多くの男たちがジョッキを片手に騒いでいる。


 俺と柚葉が入ってきた途端、騒がしかったホールが一瞬、静まり返った。

 値踏みするような、好奇と侮りの視線が、突き刺さる。


 場違い感、半端ないな……。


 特に、俺のこのヒョロっとした体つきは、悪目立ちしていることだろう。

 柚葉の派手な格好も、ここでは浮いている。


 柚葉は気にした風もなく、まっすぐにカウンターへと向かった。


 さすがギャルだな。

 周囲の目が気にならないらしい。


 カウンターの奥には、いかにも、といった感じの男が一人、腕を組んで座っていた。


 ドワーフ、という種族だろうか。

 背は低いが、岩のように分厚い胸板。

 編み込まれた髭。

 そして、左目には、縦に走る生々しい傷跡。


「……なんだ、ひよっこ共。ここは遊び場じゃねえぞ」


 ドワーフ――ギルドマスターだろう――は、俺たちをジロリと一瞥すると、面倒臭そうに言い放った。


「依頼を受けに来た」俺は単刀直入に告げる。「『嘆きの苔鹿』の件だ」


 その言葉を聞いた瞬間、ギルドマスターの片眉がぴくりと動いた。

 そして、次の瞬間、腹の底から笑い出した。


「がっはっはっは! 苔鹿だと? 面白い冗談を言う! 嬢ちゃんはともかく、そこのヒョロっとした兄ちゃんが、あの化け物をどうこうできるってのか?」


 その笑い声を皮切りに、周囲の冒険者たちからも、下品な嘲笑が飛んでくる。


「おいおい、聞いたかよ? あんなモヤシが苔鹿だってよ!」

「嬢ちゃん、あんな男より、俺と組まねえか? 夜の冒険なら、いつでも付き合ってやるぜ?」


「あ゛? んだコラ」


 柚葉が、低い声で啖呵を切ろうとする。

 俺は、その肩をそっと手で制した。

 ここで騒いでも意味がない。


「忠告はしたぜ。あれは、並の冒険者パーティーがいくつも返り討ちにあった代物だ。命が惜しけりゃ、街の観光でもして、とっととお帰りな」


 ギルドマスターは、まるで蝿でも追い払うかのように、しっしっと手を振った。


 完全に、舐められている。

 だが、それも想定内だ。

 口で何を言っても、信じさせるのは難しいだろう。


 うーん、これを見せてどうにかなるだろうか……。


◇◇◇


 俺は何も言わず、懐から取り出した。

 そして、ことり、と乾いた音を立てて、それをカウンターの上に置く。


 古びた、銀の紋章。

 二人の人間が背中合わせに立つ意匠が彫り込まれている。

 シグニィから渡された、『双雄の紋章』だ。


 その紋章がカウンターに置かれた瞬間、ギルドマスター・ボルグのせせら笑いが、ぴたりと止まった。


 彼の顔から、血の気が引いていくのが分かった。


「……なっ!」


 ボルグは、震える手で、おそるおそるその紋章を手に取った。

 食い入るように紋章を見つめ、その意匠を指でなぞり、そして、息を呑む。


 次の瞬間。

 ボルグは、紋章を握りしめたまま、カウンターからゆっくりと出てくる。

 そして、俺たちの前に立つと、その岩のような体を、深々と、九十度に折り曲げた。


「……も、申し訳ありませんでしたッ! このボルグ、とんだご無礼を……! どうぞ、奥の部屋へ……! こちらへ!」


 態度は、百八十度変わっていた。


 俺と柚葉は顔を見合わせる。

 柚葉も、この劇的な変化に目をぱちくりさせていた。


 ボルグは、俺たちをギルドの奥にある個室へと、丁重に案内する。

 重厚な扉が閉められ、外の喧騒が完全に遮断された。


 静かな部屋の中、ボルグは改めて俺たちに向き直る。

 その目には、先程までの侮りは微塵もない。

 あるのは、畏敬と、そしてほんの少しの恐怖。


「お、お前さんたち……いったい、何者なんだ……?」


 絞り出すような声だった。


「なぜ、伝説の中にしか存在しないはずの、初代勇者様の『双雄の紋章』を……持っているんだ……?」

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