表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/10

第3話 ……ちょん切ってくれるってこと?

 シグニィに助けられ、俺達は再びラウンジへと戻された。


 ……体が重い。

 革張りのソファは、先ほどよりもずっと深く俺たちの身体を飲み込んだ。


 半径五メートル以上、離れられない。


「……マジ、最悪」


 ぽつりと、柚葉の絞り出すような声。


「まあ……たしかに不便だが、五メートルならぎりぎり許容範囲じゃないか?」


「あんた、全然わかってない。知らないおっさんと、ずっと五メートル以内に一緒にいるの想像してみてよ」


 ……うーん、たしかに嫌かもしれないな。

 俺が男側だから、あんまり抵抗がないだけか。


「トイレとか、どうすんの。お風呂とか、着替えとか。マジ無理。マジないんだけど」


「いや、五メートルまでは離れられるわけだから、なんとかなるんじゃないか?」


 五メートルというと大きめの車、アルファードの全長くらいだ。

 結構あるぞ。


「……日本のさ、ワンルームマンションとかなら、風呂って狭いけど」柚葉は言った。「ここ、お風呂とか広そうじゃない?」


「たしかにな。まあ、柚葉が嫌な気持ちにならないように、極力努力するよ」


「……ちょん切ってくれるってこと?」


「なにをだ!」恐ろしいことを言う女だ。


「ナニを、だけど」と柚葉。「まあ、冗談だけどさ。はぁ……」


 深い溜息をついて、柚葉は黙り込んだ。


 そして俺は、べつのことを考えていた。

 自分の得た能力『誓いの聖盾』と『二人で一つ』。


 今度こそ、隣にいる者を絶対に守れと。

 それが、贖罪だと。

 まるで、そんなことを言われているような気がした。


 神様とやらがいるのなら、ずいぶんと悪趣味なことをしてくれる。


◇◇◇


「混乱されているのでしょう」


 ふいに、凛とした声が響いた。

 シグニィだ。


「突然、このような運命を背負わされて……。お気持ち、お察しします」


 彼女は、まるで俺たちの心の声が聞こえているかのように、そう言った。


 柚葉は顔を上げない。


 シグニィは、そんな柚葉の前にそっと膝をついた。

 視線の高さを、合わせるように。


「ですが、その力は、あるいは、人々を救うために神々が授けたのかもしれません」


 救う、だと?


 その言葉に、俺は思わずシグニィの顔を見た。


 シグニィは、俺と視線を合わせると、静かに頷く。


「……どういうことだ?」


「今、この神殿のすぐ近くにある、『グレンタ』という街が、ある問題を抱えています」


 シグニィはゆっくりと語り始めた。


「グレンタの街を囲む森には、『嘆きの苔鹿』と呼ばれる、古の守護精霊がおりました。しかし、近頃、その精霊が何故か凶暴化し、森に入った人々を襲っているのです」


「魔物の一種か?」


「いいえ」シグニィは、静かに首を横に振る。「本来は、森の生命力を司る、心優しき存在。それが、何らかの理由で苦しみ、助けを求めて叫んでいる……私には、そう思えてならないのです」


 彼女の言葉には、不思議な説得力があった。


「困っている人々がいるのです。森に入れず、街の経済は滞り、人々は怯えている。そして、本来は人々を守るべきだった精霊が、悲しい存在へと変わり果ててしまっている」


 シグニィは、俺と、そして少しだけ顔を上げた柚葉を交互に見つめた。


「あなた方のその特別な力であれば、あるいは、あの森の悲しい守護者を、救うことができるのではないかと……」


 彼女は、そこで言葉を切った。


「もちろん、これは命令ではありません。あなた方には、ここで安全に暮らす権利もあるのですから。ですが、もし……もし、あなた方に『助けたい』というお気持ちが、ほんの少しでもあるのなら……」


 選べ、と。

 彼女はそう言っているのだ。

 実に、巧みな話術だった。


◇◇◇


 俺は、考えていた。

 この世界で、生きていくということ。

 そして、柚葉と離れられない運命にあるということ。


 彼女を守りたい。

 そして、なんとか元の世界へ帰り着き、家族へと届けてあげたい。

 俺の力は、そのためにある。


 ならば、その力を正しく知る必要がある。

 どんな敵に通用し、どんな状況で役に立つのか。

 そして、この世界で、俺たちが何者なのか。

 その立ち位置を、確立する必要がある。


 俺は、ソファから立ち上がった。


「シグニィ」


 俺が代表して、口を開いた。


「その話、詳しく聞かせてもらおうか」


「……承知いたしました、勇者よ」


 シグニィは立ち上がろうとはせず、その場で静かに頷いた。

 彼女の翠色の瞳が、俺たちを真っ直ぐに見据える。


「『嘆きの苔鹿』は、本来、森のマナを糧に生きる、穏やかな精霊でした。しかし、この地のマナが何らかの原因で枯渇し始めたことで、精霊は飢えと苦しみに苛まれています。その苦しみが、精霊を凶暴化させているのです」


「マナの枯渇……?」


「はい。原因は不明です。苔鹿は、生きるために本能的にマナを求め、マナを持つ人間を襲うようになってしまいました。そして、その体から撒き散らされる枯れた苔は、森の木々を蝕み、草花を枯らしています」


 シグニィの視線が、ちらりと柚葉に向けられる。


「グレンタの街は、森の恵み……つまり、林業と薬草の採取で生計を立てる人々が多く暮らしています。森に入れなくなったことで、彼らの生活は困窮し、未来を憂いています」


 静かな、しかし重い事実。

 ファンタジーの世界も、結局は経済で回っているということか。


「私たちがあなた方にお願いしたいのは、討伐ではありません。苔鹿の苦しみを和らげ、その心を鎮めてほしいのです。ユズハ様のその規格外の魔力は、枯れたマナを補い、精霊の心を癒すことができるかもしれません。そして、モトイ様の絶対的な防御力があれば、万が一、苔鹿が襲いかかってきたとしても、ユズハ様と、街の人々を守ることができるはずです」


 そういうことか。

 攻撃能力のない俺と、防御能力のない柚葉。

 二人でなら、それができる、と。


 俺は柚葉の方を見た。

 彼女は、膝を抱えたまま、じっと床の一点を見つめていた。

 何を考えているのか、分からない。


 長い、沈黙。


 やがて、柚葉はゆっくりと顔を上げた。

 その目には、もう涙の跡はなかった。

 覚悟を決めた、強い光が宿っていた。


「……やってやろうじゃん」


 ぽつりと、しかし、はっきりとした声で、彼女は言った。


「困ってるやつらがいるんなら、しゃーない。ウチの最強の魔力で、なんとかしてやんよ」


 その言葉を聞いて、シグニィの唇の端が、ほんのわずかに、満足げに吊り上がったのを、俺は見逃さなかった。


「お聞き届け、感謝いたします」


 彼女は優雅に立ち上がると、深々と一礼した。


「では、旅の支度を整えましょう。こちらへ」


◇◇◇


 案内されたのは、神殿の地下にある、だだっ広い石造りの部屋だった。

 武具庫、とでも言うのだろうか。


 壁一面に、磨き上げられた剣や槍、鎧が整然と並べられている。

 まったく目利きができないが、おそらくは高性能な品々なのだろう。

 ゲームみたいに、装備したときの能力値の変動とかわかればいいんだがな……。


「さあ、お好きなものをお選びください。あなた方の最初の使命のために、我々が用意できる、最高の武具です」


 そう言われても、俺には剣も槍も扱えない。

 ステータスは、器用さ以外、ほぼFだ。


「俺は、頑丈なだけの盾と、動きやすい服があればそれでいい」


「かしこまりました。では、ミスリル銀で編まれた、最高の防御性能を誇るチェインメイルをご用意します」


 一方、柚葉は、壁に飾られた杖のコレクションに、目を輝かせていた。


「うわ、なにこれ、ちょー可愛いんだけど!」


 彼女が指さしたのは、先端に青い宝石が埋め込まれた、白樺の杖。

 ローブも、刺繍の入った可愛らしいデザインのものを選ぶと、少しだけテンションが上がったようだ。

 まあ、こういうのは女の子の方が楽しいんだろうな。

 気分は、すっかり魔法使いだ。

 いや、魔法少女か?


 俺は、分厚い革の手袋と、鉄板の入ったブーツを選ぶ。

 防御力はスキルで補える……はずだ。


「それから」と、シグニィは革袋を二つ、俺たちに手渡した。「当面の活動資金です。中には大金貨がそれぞれ百枚ずつ。グレンタの街で、何か必要なものがあれば、ご自由にお使いください」


 大金貨百枚。


 価値は分からんが、潤沢な資金だということは確かだろう。


「そして、モトイ様。こちらを」


 シグニィは、もう一つ、小さな布包みを俺に差し出した。

 受け取ると、ずしりとした金属の感触が手に伝わる。


「これは?」


「『双雄の紋章』。あなた方が何者であるかを、言葉以上に雄弁に語る証となるでしょう」


 言われるがままに布を開くと、中から古びた銀の紋章が現れた。

 二人の人間が背中合わせに立つ、どこか意味ありげな意匠が彫り込まれている。


「……これが、そんなに重要なものなのか?」


「ええ」とシグニィは、意味深な微笑みを浮かべる。「この世界には、力だけでは開かぬ扉もございます。もし、交渉が行き詰まるようなことがあれば、これを提示なさい。きっと、道は開かれるはずです」


 よく分からんが、何かあった時のお守り、あるいは身分証のようなものか。

 俺は、その紋章を懐の奥へとしっかりとしまい込んだ。


「準備は、よろしいでしょうか」


 シグニィが問う。


 俺は、新調した軽鎧の感触を確かめる。


 柚葉は手に入れた杖を、嬉しそうにくるくると回していた。


 その動作に、子ども向けのアニメの、魔法使いのステッキを回していた姿を想起する。

 大きくなったら、魔法少女になって世界を救いたいだなんて、そんな可愛いことを……。


「どうしたの? 大丈夫?」


「あ、ああ……なんでもない。大丈夫だ」


 柚葉の顔に、もう絶望の色はない。

 前を向いている。


 俺も、前を向かなければ。

 さっさと世界を救って、柚葉を元の世界に送り届ける。

 それが俺のいまの目標だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ